固い枕


俺たちが保健室に入ると、机に向かっていた養護教諭の卯月先生が座ったままこちらを見た。普段はかけていない細フレームの眼鏡を着けている。俺たちの他には生徒は誰もおらず部屋の中は静かだった。

「先生、榎本が熱あるみたいで」
小栗がそう言うと、先生は立ち上がって俺たちの方に近づいてきた。
「とりあえず座ろうか。小栗くんはそこの紙に必要事項書いといて」

黒い丸椅子に座ると同時に身体に悪寒が走る。やっぱり熱あるな。

「熱測ろう」

先生から体温計を渡され、脇に挟む。体温計の冷たさにぶるりと身体が震えた。下を向いていたが、先生が目の前に椅子を持ってきて座ったので俺は顔を上げる。先生はどれどれ…と言い俺のおでこに手を当てた。先生の白衣から香る懐かしい匂いが鼻をくすぐる。先生の手はひどく冷たくて内心びっくりした。

「37.5℃以上はありそうだね」

卯月先生はおでこを触っただけでその人の大体の体温が分かるという特技を持っている。毎回当たっているので、今回も当たっていそうだ。俺の平熱は35℃くらいなので37.5℃は結構高い。
書き終わったのか、小栗が俺のすぐ後ろに立った。ちょうどピピ、と体温計が鳴って見てみればそこには「37.7℃」と表示されていた。

「え、結構高いじゃん」
体温計を覗き込んでいた小栗が驚いたように言う。

「薬を出すから、寝ていきなさい。小栗くんは教室に戻って、2時間目の先生に伝えておいてくれる?」
先生は椅子から立ち上がり、薬が仕舞ってある棚の前に立つ。

「了解です」
「小栗、ありがとう」
感謝の意を伝えれば、小栗は目尻を下げて優しく微笑み「ゆっくり休んで」と言った。そして保健室から静かに出て行った。



「はい。これ飲んで」
「ありがとうございます」

差し出されたコップに入った水と錠剤を受け取り、口に入れる。知らない間に喉が渇いていたようで、冷たい水が美味しく感じた。空になったコップを先生に渡し、俺はベッドに向かう。

「右のベッド使っていいですか?」
「うん。いいよ」

上履きを脱いで、ベッドに入る。冷たくて、肌触りがあまりよくない布団をめくり身体を横たえる。固い枕に頭をのせれば白く味気のない天井が視界いっぱいに広がった。ぞわぞわと悪寒が身体中に広がってふう、と息を吐く。

「榎本がこのベッド使うの久しぶりだね」

先生が俺の枕元に立った。横に顔を向ければ、切れ長の瞳がこちらを見ていた。卯月先生は30代半ばぐらいの男の先生だけれど、中性的で綺麗な顔立ちをしている。髪も男性にしては長めで、小栗曰く耳にかける仕草が色っぽいと生徒に評判らしい。

「そうですね…高等部に上がってからはあんまり来なくなったから」

俺はこの学園に転校してきてばかりの頃、精神が今より不安定でよくこの保健室にお世話になっていた。卯月先生は包容力があって優しく、一緒にいると落ち着く雰囲気を纏っているため当時の俺は先生の存在に救われていた。

「実はずっと心配していたんだ。突然来なくなったから。無理していない?」
「高等部上がってから忙しくなっちゃって。最近はいたって健康です。今日は風邪ひいちゃったけど。先生も元気?」
「もちろん。保健室の先生が元気じゃなきゃおかしいだろ?」

先生は眼鏡の奥の目を細め、見ていると心が安らぐような笑みを浮かべる。ああ、先生全然変わってないな。

「またいつでも来なさい。悩み事でも愚痴でも世間話でも何でも聴くから」
先生はそう言い俺の前髪を優しく梳き、その冷たい手をおでこに乗せた。

「…ありがとうございます」

礼を言うと先生は微笑んだ。そして「お休み」と言うと俺の頭を一撫でし、ベッド周りのカーテンを閉めて出て行った。
…卯月先生はずる休みや用もないのに保健室に来たがる生徒を邪険にしていると聞いたことがある。それなのに何故か特別俺にはこうやって優しくしてくれる。それを不思議に思いながら、中等部のときはその優しさにすがってしまっていた。それに、誰かが同じ部屋にいる中で睡眠を貪ることができるという安心感は、中等部の頃の俺になくてはならないものだったのだ。


保健室に来ると具合が悪くなると聞いたことがあるが、それはあながち間違っていない気がする。全身が鉛のように重く、熱く、怠い。なのに、眠気は一向にやってこない。こういう時は羊を数えるといいと聞く。俺は大量の羊が一匹ずつ柵を飛び越えているシーンを思い浮かべるが、いつの間にか俺の脳内には芦名くんの顔が浮かんでいた。結局芦名くんから連絡は来なかった。そうだ、卯月先生にあのあとどうなったのか聞こう。あと、委員長から引きこもりの子についてメールが来ていたから確認しないと。あと、律、ちゃんと学校行ってるのかな…。
色々考えているうちに、いつの間にか俺は深い眠りに落ちていた。








back 20/33 go


top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -