左手の親指。どうやら血の巡りが悪いらしく、寒いと直ぐに爪の根元が紫に染まるのであった。気持ち悪、と呟きながら何度も擦れば、本来の肉色に戻る。まだ冬が始まったばかりだと言うのに。年々冷え性が悪化しているような気がして気が滅入る。
 しかし、紫は決して嫌いではない。寧ろ好きな色であり、思い出の色である。

 私が通っていた小学校の校庭には、立派な藤棚がある。正確にはあった、の方が正しい。鄙びた田舎の小学校は少子化の煽りを食らい、私が高校生の頃に他の小学校と合併してしまった。その際校舎は取り壊されてしまったと聞く。恐らく藤棚も潰されてしまったに違いない。
 小学生だった当時、好きな男の子がいた。名前は、荻原翔くん。小学五年生の春に都会から転校してきた彼は本が好きで、昼休みは藤棚の下に設けられたベンチで読書をしていた。いつも私はその隣で空を眺めたり、ドッヂボールをする子達を応援したり、こっそり荻原くんの横顔を見つめたりして過ごしていた。当然、そんな私達を他の子はからかったが、私の親友である奈緒が注意してくれたお陰でからかう子はいなくなった。背が高く空手をしていた彼女に勝てる子は、誰一人いなかったのである。こうして私は卒業するまで彼の隣に居続けたのだ。
 中学校は別々で、彼がどの高校を選んだのか進路はどうしたのか、私は知らない。勇気のない私は、告白はおろか、連絡先を交換する事も出来なかった。そもそも、一緒に居る時間は長かったけれど、会話をした時間は少なかったのである。なんて話しかけるべきかまごついている間に、卒業してしまった。
 どうしてだろう。卒業以降、近寄りさえしなかった小学校に行きたいと思った。冬休みに帰省するから、絶対行こう。例え藤棚が無くなっていたとしても。そう心に決めると、再び紫になった爪を擦った。

 駅のホームに降り立つと、肺に冷たい空気が入って咽る。相変わらず故郷は寒い。実家に辿り着く頃には鼻も頬も真っ赤になっていた。連絡してくれれば迎えに行ったのにと、ぼやく母に散歩に行ってくると告げ、早々に家を飛び出した。
 およそ十年ぶりとなる通学路を、体が覚えていたらしい。迷うことなく足を進める。もう直ぐ小学校と言うところで、私は足を止めた。
「…嘘」
 懐かしき我が母校は、卒業した当時と変わらない姿を保っていた。夢でも見ているんじゃないかしらと、冷たい指で頬を摘めば確かに痛い。慌てて校門へ走れば、あの藤棚が遠くに見えた。雪に邪魔されながらも歩みを進め、藤棚に辿り着く。青々とした葉も、零れ落ちそうな花も無いが、間違いなくあの藤の木だった。木はきちんと手入れをされているように見える。けれども何故、廃校になった小学校と藤棚が残されているのだろうか。するりと幹を撫でると、誰かが走ってくる音が響いた。そして「柿崎!」と私の苗字を呼ぶ声に、私の心臓は大きく跳ねた。そんなドラマみたいなタイミングで、まさか。振り向けずにいる私の背に、もう一度声が掛けられる。今度は先程よりうんと近くで。ぎこちなく振り返れば、一人の男性が立っていた。背も伸びて、声も低くなっているけれど、あの頃の面影も感じられる。小さく、荻原くんと呟くと、返事の代わりに彼は笑って、私の直ぐ目の前にまで歩いてきた。恐々と久しぶりだねと、当たり障りのない挨拶をする。そんな私の目をじっと見て、彼は真剣な顔で口を開く。


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