その躊躇った瞳に映る自分が滑稽に見えた。裾を掴む掌からは僅かな体温が伝わってきて、何かを紡ごうとする薄くて艶やかな唇は林檎の様に甘そうだ。
今日は俺の誕生日だけれど、生憎休日で部活もオフだった。特にする事も見当たらずに宿題に手を付けていたら昼過ぎに、航がケーキを片手に訪ねてきた。来るとしたらお季楽ちゃんや一斗も一緒だと思っていたから、航が一人で訪ねてきた事には驚いた。親もまだ出先だったからとりあえず航を歓迎して、二人で先にケーキを食べて。夕方になり、母が戻ってくると航を夕飯に誘い、今に至る。

夕飯を食べ終わり、再び二人で自室に戻ってきた時だった。遅くなるといけないから、帰そうと声を掛けたら、航は一向に小首を縦には頷かせようとはせず、視線を交えたまま唇の開閉を繰り返す。その焦れったさに小さく息を吐いて、裾を掴む掌を手に取り、引き寄せた。安易に腕に収まった彼は安堵混じりの息を吐き出すと遠慮がちに背に腕を回してきて、己よりも僅かに低い身長を恨めしそうに肩先に顎を乗せた。密着した身体から伝わる航の鼓動の音は平常時よりも少し速くリズムを刻んでいる。

「な、泊まっていいが?」
「うん、…そういうと思ってたから」
「ん!」

額に唇を押し付ければ擽ったそうに頬を綻ばせて、双眸を細めた。普段見せない表情に己の心臓の音も、高鳴っていてそれを聴いた航は顔を上げて唇で弧を描いた。



「寝る?」
「ん…、ねみいべ、」
「こらこら、布団でちゃんと寝なきゃ」

それからは部屋で航が遊びに来たときと同様にゲームをしたり、持ち込んできた学校の宿題を一緒に片付けたり、特別誕生日らしいことはなかったものの、この当たり前な日常が逆に心地好かったのは事実だ。今にも目蓋が閉じて寝てしまいそうな航をベッドまで運んで、布団にくるまる航の至福そうな表情にふと自然に笑みが溢れた。寝付きだけは速い航だけれど、今日は何故か無理矢理目蓋を抉じ開けているようにも見えて、小首を傾げると腕を引かれた。バランスを崩して凭れるように距離を阻めれば砂糖でも使われているんじゃないかってくらいに甘ったるい声音が鼓膜を震わせ、頬に唇が押し付けられた。

「うで、まくら、」

まだ途中だった宿題も諦めて、部屋の電気を暗くする。月明かりと近くの街灯の光が窓から差し込んでいて、航の表情はよく見えないが眠気と格闘しているようで、虚ろな視線を捉えた。

「聖人、」
「…うん?」
「誕生日、おめでと…んが、何も用意出来んで悪かっだな、」
「良いよ。…気持ちだけでも」
「ん…チューしたい」

眠気で伏せがちだった目蓋も先ほどよりは開いていて、かち合う視線からはどこか色み帯びた光が宿っていた。腕枕する対の掌で顎を捉え顔の距離を縮めていくと、その緩やかな動きに痺れを切らした航から唇を重ねた。薄くて艶やかな唇はやっぱり甘くて、柔く下唇を啄むと熱を含んだ吐息が吐き出された。

「は、―…まさとっ」
「…可愛いなあ」
「うっ、うるさ…っ!…聖人のせいで、眠気吹き飛んじまっただ、」
「……誘ったのは航なのに?」

潤んだ瞳に映る自分が今は欲に塗れていて我ながらに嘲笑の笑みを浮かべた。また何か言葉を紡ごうとしている唇をその言葉と吐息ごと呑み込むように、艶かしく動く唇を塞いだ。苦しく訴える彼の僅かな酸素も呑み込んで、働かない頭で彼を、とてもいとおしく思った。



高瀬聖人 happy birthday!
20110911