欠伸を洩らす。瞬きをする。涙を溢す。息をする。それは当たり前の事だけれど、それの大事さを理解していない。これからも当たり前にする事だと思っているから、事の重大さにも中々気付けない。俺もその一人だったりする。
酸素を胸一杯に吸い込み、二酸化炭素を排出する。肺が冷たくなった感じがする。雲一つ無い、暗い空に失笑の笑みを浮かべた。俺らしくない。目は冴えていて、やけに風の音が聴こえて瞳を閉じれば、まるで異世界にいる気分のよう。すると、嗅ぎ慣れている煙が鼻を掠めた。勿論、その匂いに覚えは有った。風に乗って流れてくる煙草の煙の主が急に愛しくなった。煙草の匂いのせいで、胸が苦しくなっているのは、理由を尋ねる程では無かった。敢えて、気付いていない振りをしていれば、次に足音が段々と近付いてくるのが聴こえた。その足音は真横で止まった。俺はまだ目蓋を伏せたまま、ただ息を繰り返しているだけだった。すると後ろに回り込むように足音は新たに聴こえて、次に襲ってきたのは背中への衝撃だった。ずっしりと重みが掛かって、危うく前のめりになりそうなところをなんとか持ちこたえる。伏せていた目蓋も上げる羽目になった。すると、後ろからは乾いた笑いと煙を吐き出す息遣いが間近に感じた。お互いに口を開く事もせず、互いの息遣いを聴いたり、背中伝いに在る温もりを感じたり、再び目蓋を伏せて色々物思いに更けたり。その時間は長く感じて
、けどそれは心地好くて暫くは動けないでいた。正確に言えば、この時間を崩したくなくて、動かないでいた、のが良いのかもしれない。ようやく、目蓋を抉じ開けると月明かりが少しだけ眩しく見えた。いつも通りの明るさだと云うのに、可笑しい。小さく溜息混じりに息を吐き出すと、後ろから声を掛けられた。夕方に話したのに、その声を聴くのが随分久しいような錯覚を起こしそうになる。酷くその声に酔っているのも、分からない位に。

「寝れねえの、そしたら王サマに会いたくなった」
「…都合の良い、」
「イヤ?」
「まさか」

そこで同時に小さく笑い声が洩れた。背中から伝わる小刻みに揺れる肩先にも愛着が沸く。背中から体温が離れたと思ったら、今度は真横に並んで、肩先に頭を預けられる。滅多に甘えないのに、こうして甘えてくるのは不思議では有ったが、特に気にすることも無かった。再び沈黙が流れる。空の片手を、相手の肩に回して引き寄せれば、安心したのか安堵の息を洩らすのが聴こえた。

「王サマは、明日も、一年後も、その後も、こうして一緒に居られると思う?」
「…んだよ、急に」
「何と、なく。離れたく、ないさ」

肩先から離れた天化の瞳を捉えた。途端に、瞳は揺らいで、双眸を細めて、小さく半ば無理矢理に笑みを向けられた。その寂しそうな笑みの本意に気付けなかった俺は、そのまま抱き寄せて頭を撫で遣った。天化の言葉に応える事はしないで、いつもよりか細い肩先を抱き締めながら、先程の言葉と笑みの意を考えた。それでもその正しい答えは見つからずに、モヤモヤが心の中に集った。
急に顔を上げた天化は、言葉を交わす事も無く俺の唇に朱く熟れたそれを押し付けた。間近に在るその瞳は微かに潤んでいたことに気付かない振りをして、酸素ごとその唇を啄んだ。


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