@雲→道←天


ぽっかりと胸に穴が空いた。その中を空気が通り抜けて心身に凍えてしまいそうだ。コーチが最期に渡してくれと頼んだ巻物を今、手にしている。見る勇気は、無い。崑崙は今はもう形無くし、周の時代へと世は変わり、城内で生活している。
未だ日も昇りきらない明け方に、突然の訪問者。控えめなノックに虚ろ虚ろとしていた脳は覚醒し、ノックが響いたドアへと視線を向けた。

「…誰さ?」
「私だよ、天化」
「あーたは、」

そっと放たれたドアの隙間から姿を見せたのは、コーチと親しかった雲中子だった。仙人界に居た頃もよく姿は見たし、挨拶の一言、二言は交わしたこともある。しかし、こんな時間にわざわざここに訪れる理由は分からなかった。
静かに戸を閉め、こちらに歩み寄ってくる。身構えていると、彼は小さく呆れたように肩先を竦めて隣へと腰を下ろした。特別、交わす言葉もなく、互いが互いに口を閉ざして、呼吸の音を聴いていた。

「…道徳ってさ」
「へ?」
「罪だよねえ、…置いてきぼりにされて、死んじゃって。もし私が行ってても、結果は変わらなかっただろうけれど」
「…多分、俺っちにも、止められなかったさ」
「、だろうね」

知っていた。コーチは俺からの好意にも、雲中子からの好意にも気付いていたことに。それに甘んじて、巧い具合に甘やかされていたことも。多分、それには雲中子も気付いている。それでもその甘さに委ねるしか、無かったのだ。

「コーチの事、好きだったさ?」
「…うーん。どうだろう」

唇を歪めた表情に胸が苦しくなった。質問を間違えたと小さく溜息を吐くと、雲中子は小首を左右に振った。精一杯のフォローが余計に胸に痛い。横目に彼を一瞥すると、視線が交差する。そして、どちらからともなく、自然に距離は狭まり、キスをした。
それは傷の舐め合いの様な、劣なものではなくて、ただキスをしたかったからしたまでのものだった。

「…キミも、行くんでしょう?」
「ん、」
「道徳に、よろしく頼んだよ」

結局、雲中子が訪れた理由は分からないまま彼の背中を見送った。スプーキーと呼ばれる彼も、人の愛を知ればただ平凡の存在に過ぎないのだ、仙人なんて関係無しに。最後に見せた微笑みは哀しみを含んでいて、脳裏に焼き付いて離れなかった。

「道徳よりも、先に天化に会いたかったよ」
「…コーチが居なかったら、俺っちも居なかったさ」
「……そうだねえ」