彼は、お爺様の忍だ。本来なら常にお爺様に付き従い、お爺様の命によって諸国を動き回り、何よりもお爺様をお守りすることに全身全霊を懸けなければならない。
なのに彼が常に私の傍に控えているのは、幼い頃に駄々をこねた私の単なる我が儘のせいだった。いいかげん私も成長したのだから、本当はもう彼をお爺様のもとへ返さなければならないことは解っている。けれどあの寡黙な忍の傍にいられることは、どんな言葉で飾り立てようとも表せないくらい幸福で。私は結局、いつまでたっても彼を手放せない。

「…小太郎、いる?」

縁側に両足を投げ出すように座ったまま、自分の耳にすら届かないほど小さな声で彼を呼ぶ。瞬間、ふわりと香る微かな匂い。花のような若葉のような、まるで彼の優しさを閉じ込めたみたいに香るそれは、彼が姿を見せるときにいつも鼻を掠める。忍の彼に匂いなどあるわけがないのに、と何度思ったことだろう。

「座って、隣」
「………」

無言で頭を下げて、小太郎は私の隣に腰を下ろした。そういえば彼が言葉を話すところを見たことがない。それなのに彼の意志は、頭に直接響くようにして伝わるから不思議だ。しかも聞いた直後にはまるで霧のように散ってしまうから、記憶にはまったく残らない。何か忍の術でも使っているのだろうか。

そう問うてみると、彼は是とも否ともつかないような曖昧な無言を返してきた。端から見たらさぞかし可笑しな光景だろうな、と思うと緩んでいた頬が更に緩む。ああ、世界はこんなにも綺麗だ。


じわり、



「…小太郎、いる?」

常人の耳には届かぬであろう小さな小さな声を聞き、俺は音もなく彼女の傍に現れた。頭を垂れる直前に垣間見た彼女の顔は、僅かに微笑みを浮かべている。俺が現れると、この不思議な姫はいつも笑うのだ。それが何故なのか、俺には解らないけれど。

「座って、隣」
「………」

彼女の言葉に無言で頭を下げて腰を下ろす。ふらふらと縁側から投げ出された両足は、俺のそれとは比べものにならないくらい小さくて白い。きっと脚も腕も肩も、彼女の身体は全部が細くて白いのだろう。少しでも力を入れて触れれば、簡単に折れてしまうかもしれないと思うと少し怖くなる。

「ねえ、小太郎」
「…?」
「小太郎は話さないのに、いつもあなたの言いたいことが頭の中に流れてくるの。これ、忍の術なの?」
「………」

いつの間にか不思議そうにこちらを見上げていた彼女は、いきなりそんな質問を投げ掛けてきた。少し迷って、それから是とも否ともつかぬような無言を返す。実際のところ、自分でもよく解らないのだ。

「…変なの」

くすり、と彼女は微笑む。それからまた前に向き直って、今度は小さく鼻唄を歌いながら足をふらふらと揺らし始めた。小さな右手はいつの間にか己の装束の裾を掴んでいる。微かに緩む頬に気づいて、もしかしたら幸せとはこういうものなのかもしれないと、傍らに柔らかなぬくもりを感じながら晴れ空を見上げた。


ふわり。

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -