古い紙特有のにおいで満たされた部屋は、任務続きでささくれ立った心を少しだけ鎮めてくれた。本なんてもう随分読んでいない。ずらりと並ぶ背表紙のあいだを歩きながら、時折薄く埃を被った本を引き抜き、ぱらりとページをめくり、元に戻してまた歩きだす。人工的な灯りしかないのが少しだけ残念だった。日光は本を傷めてしまうから、仕方がないのだけれど。

「あれ、珍しいさね。こんなところにいるなんて」

不意に背中から声がかけられて、みっともなく肩が震えた。振り返るとオレンジの髪を揺らして笑う男の子。右頬に貼られた湿布と左腕の包帯は目に痛いくらい真っ白で、わたしは僅かに視線を下げながら瞬きをする。これがたとえばリナリーだったら、きっとぱちりぱちりと長い睫毛が可愛らしい音を立てるんだろうな。そんなおかしな思考は脳の片隅に追いやって、前を向いたままの身体を反転させる。

しごと、しにきたの?

ゆっくりと唇を動かすと、ラビは優しい笑顔のまま肯定の返事をした。手話を使わなくても言いたいことをわかってもらえるのは楽だ。歩み寄ろうとしたわたしに、彼は小さく声を上げた。首を傾げてみせると、形のいい眉がちょっとだけ下がる。

「悪ィんだけど、左側の三段目の真ん中らへんにある深緑の本取ってくれんかな」

片手を顔の前で立てるラビに頷いて、わたしは言われた場所に視線を這わせた。三段目の真ん中…あった。森の木陰のような深い緑に、金色でわたしの知らない国の文字が綴られている背表紙。抜き出すとずっしりとした重みが右手を引っ張る。読みかけだったのか、真ん中より少し前のあたりに栞紐が挟まれていた。ついでになんとなく目についた隣の淡い空色をした本も取り出して、今度こそラビの方へ足を向ける。椅子を二つ引いておいてくれた彼は、ありがとさんと笑ってわたしの手から深緑の本を受けとった。結構重たいはずなのに片手で軽々持ち上げるから、やっぱり男の子なんだなあと思いながら腰を下ろす。隣で本を開くラビにならって、わたしもなんとなく取ってきた綺麗な色の表紙に指をかけた。


***


最後の一文字から視線を外す。鈍く痛む首を回すとごきりと嫌な音がした。顔をしかめて両腕を伸ばす。背中からも骨が軋む音が聞こえた。

「つっかれた…あ」

大きく息を吐いてから、隣に彼女がいたことを思い出す。右側に目を向けると、小さな身体は机に突っ伏して眠っていた。セミロングの綺麗な髪が上下する肩に合わせて揺れる。開いたまま肘の下に置かれているのは、遠い国の詩集だった。読めなくて眠ってしまったのかと思うけれど、よく見ると下に英語で訳がある。戦争を嘆く、唄だった。

「…皮肉なもんさな…」

ぽつりと落ちた呟きに応える声はない。あるわけがない。この部屋は時計も窓もないから時間の感覚がわからないけれど、来る前に確認した時刻はすでに真夜中に近かった。こんな夜更けにこんなところへ来る奴なんて、俺か、今は任務のジジィか、もしくは科学班の連中くらいだ。
起こさないようにゆっくり、細腕の下から本を抜く。閉じた表紙は彼女のすきそうな淡い空色で、やっぱり女の子なんだよな、なんて今さらすぎる事実が脳を過ぎる。もう聴けない俺を呼ぶ柔らかな声音を思い返すと、一年も前のことなのに無性に泣きたくなった。





第二解放の影響だった。声帯に寄生するイノセンス。力を得る代わりに、彼女は何より愛していた唄を取り上げられた。神様なんて信じないと無音で叫ぶ泣き顔を、俺はきっといつまでも忘れられない。
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