そう怖い顔をするな、と牙のない口元を歪めて女は言った。尖った爪も耳も丸みを帯び、瞳が黒く変化した姿は朔の日の自分と同じで、しかし今宵はそれとは正反対の満月である。見下ろす髪が黒いのは常のことだからそう違和感はない。けれど少年は、あの透き通るように深く澄んだ蒼い瞳がないことが少しだけ残念に思えていた。

「…今日だなんて聞いてねえぞ」
「言ってないからな」
「言えよ!」
「そう簡単に他人に教えられるものではないと解っているだろう」

軽い調子の、しかしきっぱりとした声音が耳朶を叩く。己も半妖だからこそ解るその頑なさに返す言葉が見つからず、少年は舌打ちをひとつ落として、女の隣に乱暴に腰を下ろす。細い肩がぴくりと震えたが、女は黙って空を見据えるだけ。微かに漂う血の臭いが鬱陶しくて堪らなかった。

「…傷、手当したほうがいいんじゃねえか」

我ながら、らしくない言葉だ。そう思いつつも呟いた原因は、傍らにある少し青ざめた横顔だった。月明かりの白さのせいにするには些か血の気が悪すぎる。彼女が夕刻に負った傷がまだ癒えていないのを、少年は知っていた。普段ならすぐに塞がるそれも、人間である今は決して軽い怪我ではないはずだ。

「そうしたら今日だと知られてしまうだろう」
「半妖に妖力を失う日があることをあいつらは知ってんだ、どうせそのうち気づかれるぞ」
「けど別に今でなくてもいいだろう。今日は久しぶりに人里で眠れるんだ、余計な負担はかけたくない」

さっきは他人だなどと言い放ったくせに、とは言えなかった。決して仲間だと思っていないわけではない、けれど半妖として最も重要な秘密を人に教えるのはまだ怖い。昔の自分も今の彼女と同じように、そんな気持ちを抱えていたから。
それでもやはり痛むらしい傷が気になって、それを素直に心配だと伝えられない己の性分にまた苛立つ。同じ半妖なのに何もしてやれないことが歯痒かった。やさしい言葉もかけられず、傷も痛みも消してやれない。悔し紛れに触れた女の白い手は酷く冷たかった。

「おまえ、こんな冷えてんじゃねえか!やっぱりだめだ、宿に戻るぞ!」
「な、これくらい平気、」
「うるせえこれ以上心配かけんな!あと黙られてる方がよっぽど負担になる!」

怪我をしていない方の腕を引っ張って立ち上がらせると、女は今まで見たことがないくらい驚いた表情を浮かべた。僅かに潤んでいる漆黒にどきりと心の臓が音を立てる。自分以外に聴こえるはずもないそれがどうしようもなく恥ずかしくて、少年は無言で羽のように軽い女の身体を抱え上げた。

「い、犬夜叉!」
「大丈夫だ。そんな不安がらなくたって、案外何ともなんねえもんだぞ」
「でも、」
「ごちゃごちゃうるせえ!いいから俺を信じろ!」

ひたすら前だけ見つめながら、少年は常と変わらず乱暴な言葉を降らせる。けれど女は気づいていた。傷に響かないようにと、彼がゆっくり歩いてくれていることに。

「…犬夜叉」
「ああ?」
「ありがとう」
「……おう」

女は目を閉じ、穏やかに緩やかに微笑んだ。月明かりに照らされて垣間見えた、少年の頬の朱さを想いながら。



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