わたしは、この島がすきだ。
どこに行ったって見える景色はすごく綺麗だし、実はそれほど田舎でもないし、なにより素敵な友達がいる。父さんも母さんも亡くなってしまってもういないけれど、本州には優しい兄さんがいて、ほとんど毎日と言っていいほど頻繁に電話をくれるからあまり寂しくはない。それに一人暮らしで自炊なので、商店街のおじさんおばさんたちはとても親切にしてくれる。買い物をすればしょっちゅうおまけをつけてくれるし、まだ料理に慣れなかった頃には夕飯に誘ってもらうこともたびたびあった。おかげで現代の女子高生にしては結構料理上手な方になれたと思う。

数時間前までの自分を思い出してみると、何をどう考えてみても、わたしはいろんなひとやものに恵まれていた。そしてやっぱり、この島がすきだと思った。

だけど。


「夜はやめておいた方がいいよ。水、意外に冷たいでしょ」
「…そうだね」

背後からかけられた声に、わたしは小さく息を吐きながら返事をした。実は結構驚いていたのだけれど、なんとなく、冷静な顔を作ったまま振り返る。白い三日月と空一面に光る星の明かりに照らされた砂浜に、私服姿のタクトが立っていた。

「ていうか、君がいなくなったら寂しいよ」
「そう?」
「うん。だから早く戻っておいで。風邪ひいちゃうよ」
「わかった」

ふくらはぎまで浸かった脚で波をかきわけ、手招きする彼のところへ歩きだす。冷たい海から抜け出すと、柔らかな砂が濡れた足の裏に張り付いた。タオルなんて持ってきていないから、片手にぶら下げていたサンダルを落として、濡れた足をそのまま突っ込む。うすいピンク色に塗った爪先には水滴が浮かんでいた。

「どうして?」
「なにが?」
「わたしが君がそうしたみたいに、海を渡って島を出ようとしてたこと、どうしてわかったの?」
「…さあね」

困ったように微笑んだ彼が、風に揺らされたわたしの髪にそっと触れる。その手があんまり優しいから、わたしは気づけば声をあげずに泣いていた。タクトは何も言わないで、ただただゆるやかに、長い指でわたしの髪を撫でる。いつのまにか繋いでいたもう片方の手は、震えるくらいあたたかかった。


わたしはこの島がすきだ。綺麗なものと優しいひとに溢れていて、自分はとても恵まれている。そしてそれは幸せなことなのだと思っている。心から。
けれど、大切だと思う気持ちの反対側で、わたしは確かに憎んでいた。厄介な力を抱え込んだせいで、巫女の家系でもなんでもないはずのわたしに印を刻み、あの日兄さんと一緒に海を渡ることを許さなかったこの島を。そして背負わされた運命に怯え、逃げたくて逃げたくてたまらないと心の中で叫ぶ、弱くて情けない自分を。


「君たちに出逢った日、本当は生きてこの島に辿り着けるなんて思っちゃいなかったんだ」
「……え?」

手を繋いだままの帰り道、タクトが突然そんなことを呟いた。ちょうど吹き抜けた風に気をとられていたわたしは、一瞬彼が何を言っているのかわからなくて、思わずその場に立ち止まってしまう。タクトも一緒に止まってくれたから、あったかい左手は引っ張られることも離れることもなかった。

「別に死のうと思ってたわけでもないよ。ただ、絶対に生きて渡ろうってほど強い意思は持ってなかった」

いつもと変わらない、飄々とした声音。見上げたタクトの赤い瞳に、わたしの困惑しきった顔が映っている。彼は薄く笑って、空いた左手でまたわたしの髪に触れた。今度も優しい手つきだったのに、なぜだかどうしようもなくかなしくなって、視界がじんわり滲む。

「…そんなこと、言わないでよ」

ようやく出てきた言葉はそんなありきたりなもので、慌てて俯いたのと同時に頬が濡れた。頭に置かれている掌はあたたかくて、彼はちゃんとここにいるとわかっているのに、ひどく遠い場所にいるような気がしてしまう。顔を上げられないかわりに繋いだ手をぎゅっと握ると、優しい力が同じように握り返してくれた。

「もちろん、今は生きててよかったって思ってるよ。君やスガタやワコに逢えたし、学校は楽しいし」
「…ほんとにね」

せいいっぱい皮肉るように返したわたしの声に、タクトが小さく笑う。見えないように袖口で目尻をこすって顔を上げると、頭を撫でてくれていた掌が頬に触れた。気づかれない方がおかしいのだけれど、恥ずかしくてつい目を逸らす。また、穏やかな笑い声がして。

「…君は、優しいね」

そんなふうに言う彼の表情を、わたしは見られなかった。




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