目の前の小さな人間に見覚えがあった。肩の辺りで綺麗に切り揃えられた栗色の髪と吊り上がった真っ黒な猫目。白いワンピースから覗く腕や膝には大量のかすり傷があって、だけど頬にも絆創膏を貼り付けた少女は満面の笑みを浮かべているから、多分痛みは無いのだろう。見ているとなんだか落ち着いた。

ねえ、海賊のお兄ちゃん

どこからか声が響く。気づくと子供は相変わらず笑顔のまま、何かを喋っていた。あの子供が呼んだのだろうか。大きな瞳と視線を合わせて、返事をしようと口を開ける。けれど何故だか掠れた息しか出ない。仕方なく首を横に傾けて応えると、少女はまた喋り始める。

お兄ちゃん、あの子のことすきだった?

少女の声のはずのそれは、どうしてか幾重にも重なってあいつの声のように聞こえた。少し低めの柔らかな音。あの子、が誰なのかは訊かなくてもわかる。今度は首を縦に振ると、子供は嬉しそうにはにかんだ。

あの子もね、お兄ちゃんのこと大すきなんだよ。ほんとにほんとに、大すきだったんだよ

ふんわりと花のように笑いながら、彼女は泣いていた。瞬き一つの間に、子供は線の細い女の姿になっていた。真っ直ぐな栗色は腰まで伸びていて、黒い吊り目も幼い頃から変わっていない。お気に入りの白いワンピースを纏う彼女は、あの子は、あいつは。

ゾロ、ごめんね

はっきりと空気が震えた。間違えるはずもないあいつの声。俺が一番すきな音。何を謝っているのかわからなくて、鉛のように重い腕を必死で前に伸ばす。そこでようやく辺り一面が白で埋め尽くされていることに気がついた。そこに融けてしまうかのように、ゆっくりゆっくり、あいつの輪郭がぼやけている。

ごめんね、約束破って。ゾロが世界一の剣豪になるの、一番近くで見なきゃいけなかったのに

小さな足から緩やかに色が抜けていく。走り出したいのに、身体が言うことを聞かない。あいつは笑っている。ぼろぼろと泣きながら、幸せそうに笑っている。やめてくれよ。冗談だろう?声にならない叫びが届いたのか、あいつは首を横に振った。

傍で見るのは無理だけど、ゾロが来るまでちゃんと空から見てるから

そう言うあいつはもう膝まで透けてしまった。全身のどこに力を入れても動けなくて、俺はただただ空気を吸っては叫ぶように吐き出す。たった数歩進めば触れられる距離なのに、遠くて遠くて仕方がない。ルフィのように腕が伸ばせるならば届いただろうかと場違いなことを考える。

ルフィたちにも、ごめんなさいって伝えてくれる?それと、こんなわたしと旅をしてくれたことに感謝しているとも

嫌だ、言いたきゃ自分で言え。無理に声にしようとしなくても、彼女にはわかるらしい。可笑しそうに唇の端を上げて見せ、もう胸の辺りまで透けた姿のまま歩いてくる。唐突に身体が軽くなって、俺は消えていく小柄な身体を捕まえるように抱きしめた。彼女の匂いも暖かさも、少しずつ少しずつ、薄れていく。細い腕が背中に回された。僅かに震えていた。

「ゾロ、ずっと愛してるから」

消えていく身体の代わりに、か細い涙声だけが形を持ったように存在を浮かび上がらせる。もう頭の先まで透明になっていて、触れている感覚すらなくなっていく。何かを考える時間も惜しくて、濡れた唇に自分のそれを押し付けた。

「…ちゃんと見てろよ」

あの日交わした約束を、きちんと果たしたら会いに行くから。だからそれまで待っててくれ。
声に出さずとも、伝わったであろう言葉。彼女は少女のようにあどけない笑みを浮かべて、俺の腕から消えていく。ざあ、と風が吹いた。いつの間にか掌に残された白い花弁に雫が落ちる。膝をついた地面には、あいつがすきだった白い花が咲き誇っていた。


花葬

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