巡り捲る




私あんなに変な人にあったの初めて。本当よ。
いえ、人、といっていいのかしら。
客商売していると色んなお客様がいるじゃない?先日だって軍服でひょひょひょって笑う人とか、ガスマスクを被ったままなんて人もいたわ。
でも今日の人は特別ね。だって透明なんだもの。


そんな会話をサナエちゃんとしたのが二日前。
透明な彼はまた店に現れていた。

「こんにちは。何かお探しかしら?」
「ヤァヤァ。ギャンブラーZの本って入荷してない?」



そう、 はじまりは、一冊の古い絵本だった。

私は洋書専門古本屋でアルバイトをしている。小さな店内にはずらりと並んだ様々な本がもう一度読まれるのを待っていた。
大抵は新しい読者を獲得していくけれど、中には古かったり傷がついてて中々選ばれない本もある。
だから店先には、青くペイントされた木製のワゴンが置かれているの。
その箱の側面には白のペンキで「ご自由にお取りください。」と書かれている。長い間選ばれずに古くなっていった本や、破損の酷いものなどをそのワゴンの中に並べるの。種類は日毎に違うものが追加されるわ。言ってしまえば売れない処分品を提供するために設置されたものなんだけれど、案外好評なの。
状態が悪いとはいえ、まだ読める本を捨てるなんて気が引けたから、貰われて行ってくれてうれしいわ。
ガラス張りの店内の、特にカウンターからは、そのワゴンがよく見えるのだけどね。スーツを着たおじさんや、中学生くらいの女の子、杖をついたおじいさんや子どもまで、幅広い層の人達が道を通るたび、その中を覗いて本を手にとるの。
大抵の人は手に取った本を「まあ貰っておこうか」といった風にただ持っていくの。だけど、道行く人が、たまたまその中に気に入った本や、欲しかった本を発見した時、それを手に取って綻ぶ顔を見ると、とても幸せな気分になるのよ。
部活帰りだったのかしら、大きな鞄を提げたジャージ姿の男の子達が一冊の本を手にとって、跳ねながら大喜びしていた様子は今でも思い出して嬉しくなるの。私はそんな様子を見るのが好きで、ワゴンを覗く人がいればついその様子を観察していたわ。

二日前。その日のワゴンには新たに古い小説と、それから日本のロボットアニメの絵本が追加されたの。
私は店先のプランターのパンジーに水をあげるため、小さなじょうろを持って店の前に出ていたわ。蕾の花に水をあげていると、突然背後から感嘆の声が聞こえてきた。

「うわあ!うそ!これギャンブラーZの海外版絵本!?」


振り返ると、ワゴンの中の絵本を一点に見つめ、わなわなと震える男の人が立っていた。
男の人は、こう言っては失礼だけど、かなり変わった出で立ちをしていた。左に流した青い髪に、肩まで露出するように着崩したロングコート。極めつけは全身をぐるぐる巻きにしている包帯。唯一露出している左目は、今日追加した絵本に捕らわれていた…と思ったら急にぐるんと私の方を向いた。

「キミ店員?これ本当に貰っていいの?」

興奮ぎみに絵本を指差す彼に後退りしつつ、私は「はい。どうぞ。」と答えた。

本を見て喜んでくれるのは嬉しいけど、絵本に対して度を越した興奮を見せる大人とは正直関わりあいになりたくない。早く店内に逃げ込みたい私の気持ちも露知らず彼は更に捲し立てた。

「だって…ギャンブラーZの絵本だよ!?こんな所に無造作に置かれてていい代物じゃないんだ!ど、どうしよう!まさかこんな所でお目にかかれるなんて…」

そこまで言って彼は口をつぐんだ。と、いうより絵本を両手に持って、まるで神聖な物のように頭上に掲げて感動していた。
呆れた。変わった人だけど、ここまで喜んで貰えたらなんだか此方まで嬉しくなってきた。


「よかったですね。きっと絵本も貴方に貰ってもらえて喜んでるわ。」

そう笑うと、彼は悦に入った表情のまま此方に目線を向けて、私と目が合った瞬間、ポカンとした顔をした。明らかに、私へ向けられたその表情に戸惑う。何?私変な事言ったかしら、と首を傾げると、その人は我に返ったように一瞬目を見開き、嬉しそうに破顔した。

「ああ…そうだね!たまたまここを通りがかってよかった…運命かもね!ヒヒヒ!」

格好に気をとられていたけれど、正面からよく見ると、彼は整った顔をしていた。
ともすれば冷たい印象を与えるだろう細い吊り目は三日月形に細められ、大きな口からは白い歯が覗いている。笑顔が似合う人だな、と思った。
「ネエ、店内を見てもいい?もしかしたらまだこんなお宝があるかもしれないしサ!」
「ええどうぞ。色んな本があるから、きっと気に入るものが見つかるわ。」



それからというもの、彼は店の常連になった。残念ながら店にはギャンブラーZの本はもう置いてなかったけれど、その他に彼の興味を引く本が数多くあったらしく、週に1度は必ず店に顔を出してくれた。
彼の名前はスマイル。それを知った時は、印象そのままの名前で思わず吹き出した。でも彼も何故か、私が名乗った時に同じ反応をした。

そんな彼は知るにつれて奥深い人だった。子どものように無邪気に笑うかと思えば、まるで数百年も生きた老人のように静謐な一面も見せる。そんな彼から目が離せなくなった。初めは面白い人として。今は、それに秘めやかな感情が混ざっていた。




「ベルちゃん、これ見てよ。」
「わあ、懐かしい!」

閉店前の店内には私とスマイルしか居なかった。彼がバッグから取り出したのはあのギャンブラーZの絵本。思わずカウンターから身を乗り出して、絵本を手に取る。

「綺麗になってる!クリーニングしたの?」
「うん。ちょーっと結構大変だったけどネェ」

新品までとはいかないけれど、本の縁も研磨され、見違えて綺麗になっていた。

「大事にしてくれてるのね。なんだか嬉しい。」
「ギャンブラーZの絵本だからね!それにホラ、ベルちゃんと出会うきっかけになった本でもあるからサ!」

なーんて、僕ってキザー!とケラケラ笑うスマイルは、本気か冗談かわからない。

「ふふ。ありがとう。スマイルって本当に好きなのね。」
「…!…ヒヒ!うん!好きだよ。初めて見た時から大好き!ネェ、ベルちゃんは?」
「え?私?そうね、まだよく知らないけど、好きかもね。」
「本当に!?やったー!僕今サイコーに嬉しい!」
「ふふ、スマイルってば大袈裟なんだから。」

そこまで好きなら、ギャンブラーZ、勉強しようかな。

「ねえ、スマイル。よかったらギャンブラーZの事、教えてくれない?」
「え?うん!まかせてよ!ヒッヒッヒ…僕の部屋はすごいよー…ギャンブラーZだらけ!」
「へぇ、すごいわね。見てみたいわ。」
「むむ…付き合ってすぐ部屋に来るなんて、ベルちゃんて意外とダイタン…。」
「え?」
「ううん、なんでもないよ!大歓迎だよ!」
「よかった。楽しみにしてる!」



この時盛大なすれ違いが起きていたんだけれど、私はとうとう、スマイルの部屋に招かれた日まで気付かなかった。

はじまりは一冊の古い絵本。
これから、私と彼の新しい関係が始まる。


END

prev next

 

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -