1500時間の劣情



1500時間の劣情

およそ1500時間。

この数字が何を意味するか。

アッシュは腕時計を見た。現在時刻は午後9 時20分。

1500という数字はアッシュがベルに会えなか った時間を表していた。

その記録に終止符を打ったのは2時間前の空 港で。

アッシュのライブツアーとベルの帰省が重な り、この恋人達は約2ヶ月も離れていた。

仕事が忙しく、連絡さえろくに取れなかった この2ヶ月、アッシュは仕事の傍らふと彼女 を思い出しては堪らなくなった。

甘い肌や彼お気に入りの指の形。目が合うと 三日月になるミントグリーンの瞳や、桜色の つやつやした唇から覗く白い歯。

彼女の事を思い出しては熱い吐息を漏らした ものだ。

夢にまで見たそれらが、今目の前にある。

現在恋人達は、アッシュの手料理でツアーの 成功と彼女の帰宅を祝っていた。場所はベル の部屋。一輪のバラのみが置かれたシンプル なテーブルクロス。色とりどりの料理が次々 とその存在を隠していった。

テーブルの上に並んだ日仏折衷の料理は彼女 の口によく合ったし、ソースを舐めとる彼女 の赤い舌がちらつくのをアッシュは楽しんだ 。

「それからお友達のシャネルがね、カフェで… 」

ベルは2ヶ月の間に起こったことを楽しそう に話したが、彼女の話は、アッシュには聞こ えていなかった。 彼が気にしていたのは彼女の話よりもそれを 紡ぐ唇や、彼女の背の後ろにあるベッド。

とどのつまり、彼はシワひとつないベッドシ ーツを乱したくて堪らなかったのだ。

現在時刻は9時を回るころ。 丁度いいじゃないか。さぁ食事を止めて楽し い事をしよう。

適当に相槌をうちながらアッシュはどうやっ て彼女をベッドに連れ込もうか考えていた。

いい文句が浮かばない。 普段恋愛の歌の詩を書くときのように、こう いう時こそスラスラと出てきてもらいたいの に。

ベルはどこか上の空なアッシュに気づき、口 にしていたワイングラスを置いてうなだれた 。

「ごめんなさい。煩かったよね。なんだか本 当に久しぶりな気がして…緊張、してるのかな 」

「え、あ、あぁ。いや、違うッス!煩くなんて ないっスよ!ただちょっと考え事してて…」

「考え事?」

ベルは机に肘をつき、首を傾げた。少々行儀 の悪いその行動は、彼女が拗ねはじめている 証拠。 それはまずい。 久々に会ったというのに拗ねられでもしたら 、益々彼女を口説くのが難しくなる。

だからといって「どうやってベルさんを押し 倒すか考えていたッス」なんて言えるはずも ない。 アッシュは冷や汗をかきながら「いや、久々 にベルさんに会えて、嬉しいと思ってたっス 」と答えた。

そんなアッシュの小さな嘘(あながち間違えて はいないが)を聞いてベルはぱあっと表情を変 えた。

「うん…私も。寂しかったし…ずっと会いたか った、よ。」

ベルはそう呟いて、肘をついていた手を伸ば した。 その手は机の上で握られたアッシュの拳の上 に重ねられる。

「向こうにいる間…ずっと考えてたのよ、アッ シュの事…」

ベルは恥ずかしそうにアッシュを見つめた。… 知らないというのは罪だ。

彼女は更に彼の欲望に火を点けた。

「ベルさん…」

アッシュは自分の拳を開いて重ねられたベル の手を取り、自分の唇に寄せた。

薄桃色の爪に口づけすると、ベルが頬を染め 、それから花が咲いたように微笑んだ。 ベルは口づけを受けた手でアッシュの頬を撫 でた。

ベルの肌より少し硬い自分の肌を撫でる手に 、アッシュはそっと自分の大きな手を重ねた 。

いける! アッシュはそう直感し、ベルと視線を絡めた まま椅子から立ち上がった。

ベルの後ろはベッドだ。 このまま縺れ合いながらなだれ込むことは大 いに可能。 アッシュは口を開いた。いい文句は未だ思い ついていないが雰囲気が装飾してくれるだろ う。 さあ、いざ!

「ベルさ、」

「アッシュ、お願いがあるの」

「…へ?」

彼女の名前を呼んで戦闘体制に入ろうとした 瞬間、当のベルに邪魔された。

「はい…なんスか?」

興を削がれ若干ため息まじりの返答をしたア ッシュは、しかし次のベルの申し出に背筋を ぴんと伸ばした。

「えっと…あのね…久しぶりに…アッシュに触 っても、いいかな?」

「!!」

思ってもみないことだ。彼女から誘われると は! やはり離れていた月日は人恋しくさせるのか 。 アッシュは今だけ1500時間に感謝をした。

「も、もちろんっス!つうか大歓迎っス!」

アッシュは言って、ベルを抱きしめた。 もし尻尾があったらはち切れんばかりに振っ ていただろう。

「そう?よかった!!じゃあ早速、」

ベルはアッシュを見上げて、そのフサフサし た耳を指で撫でた。 アッシュが次の言葉を期待していると、ベル は悪気のない笑顔で言ってのけた。

「狼に変身して」

「…………ああ………そっちか…………」

アッシュがどんなに落胆したかは言うまでも ない。 『そううまくいくわけないか』 アッシュは自嘲気味に笑った。

「?どうかした?」

「いや…なんでもないっス…」

お預けをくらった哀れな狼は、言われるがま ま狼の姿に変化して恋人の寵愛をうけた。

ベルは嬉しそうにアッシュの背中に顔を埋め 、「ずっとこうしたかったの〜」と毛並みに キスを落とした。

『くそっ!これじゃ生殺し…!!!』

ベルが触れるたびにアッシュは理性と格闘し ていた。

特に弾力のある胸の感触を背で感じた時には すんでの所で理性を留めた。

これでは身がもたない。

アッシュは心に決めた。

明日までに口説き文句を考えよう。 それまで我慢だ。 例えベルさんがこのまま俺を離さずに寝る事 になっても耐え いや前言撤回してもいいだろ うか この人どんだけいい匂いするんスか!

「向こうにいる間はね。大きな犬を見るとあ なたのことを思い出して仕方なかったの。そ うだ。あと3日くらいこの姿で付き合っても らおうかしら」

「!!」

「明日はお散歩に行きましょう!ブラッシング もね。毛並みがふわふわになるわ。」

1500時間+α。 アッシュがお預けを食らう時間は長引きそう だ。



END



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