34.N

〜N side〜

 もう十数年も昔のことだ。ボクが言葉を覚え始めた頃から、両親の様子がおかしくなった。

 ボクが家のポケモンと会話をする様子を、初めは二人とも微笑ましげに見ていたのだ。人間とポケモン。ポケモンの言葉を正確に理解できなくとも、両親だってポケモンに話しかけることはある。ボクとゾロアも同じだと思っていたのだろう。
 しかし、ボクたちの会話を聞いているうちに、次第に二人はボクを不審に思い始めた。両親とポケモンしかいない空間で話していたことをポケモンから聞いたボクが、そのことを両親に話してしまったとき、幼いながらもボクは二人の心情を感じ取った。幼いボクに対して、二人は恐怖心すら抱いていたのだ。

 恐怖が嫌悪に変わったころ、両親はボクを深い森の奥に捨てた。

 「ポケモンと会話ができるなんて気味が悪い子」。両親の顔なんて今は思い出せないけれど、母親が言い捨てていった言葉は今でも耳にこびりついている。ポケモンと話せるせいでボクは捨てられたのだ。しかし、ボクがポケモンを憎むことはなかった。異常なのはポケモンではなくボクのほうだと、そのときに初めて気付いたから。
 森に住んでいたポケモンたちは、幼いボクをあたたかく迎えてくれた。最初は泣いてばかりのボクだったけれど、森のポケモンたちはとても優しく、ボクの面倒を見てくれた。一緒に木の実を採ったり、川で水遊びをしたり。木の陰で昼寝をしたりして過ごすことはとても楽しかった。この森のトモダチこそが本当の家族とすら思うようにもなった。

 そして数年が経過したとき、ボクの父と名乗るゲーチスという男が現れた。

 あのときはすまなかった。これからは共に暮らそう。そう言いながら、ゲーチスはボクに手を伸ばした。森での生活に不満はない。トモダチと離れることを寂しいとも思った。正直、父親の顔なんてもう思い出せなかったし、ゲーチスが本当の父親かどうかなんてわからなかった。
 それでもボクは、共に暮らしていた頃の父の温もりを思い出し、その手を取ったのだ。念のためにとボクの名前を問うので、ボクが自身の名前を口にすると、ゲーチスは微笑んで、今日からはN(エヌ)と名乗りなさいと言った。
 森の中を二人で歩きながら、様々な話をした。母さんとは離れて暮らしているということ。今はプラズマ団というポケモンの為の組織で働いていること。今からプラズマ団の活動拠点に連れて行くから、ボクにもポケモンの為に力を貸してほしいということ。様々なことを話したけれど、今思い返せば、今までを森で過ごしていたボクの心配は少しもしていなかった。
 ゲーチスはボクを、地下に鎮座している造りかけの城に連れて行き、その中の一室に閉じ込めた。窓が一つもない壁には青空の壁紙が貼られている。ボクに与えられた遊び道具は、バスケットボールや電車の模型、ダーツや部屋の中で遊ぶには危険なスケートボードなどだった。幼いボクはそれらの玩具の使い方を知らずに、電車の模型をバスケットゴールに投げ入れたり、ダーツをアートパネルに刺したりして遊んでいた。
 この部屋には誰も入ってこない。時折、食事を持ってきてくれるプラズマ団員がいたが、彼らはボクを憐れんだ目で見下ろし、食事が乗ったトレーだけを置いて部屋を後にしていた。寂しくはなかった。たくさんの玩具が、あったから。寂しくなんて、なかった。

 変化が訪れたのは、ボクが城に連れてこられて一週間ほど経った時だった。

 部屋のドアが開かれて、光が射しこんだ。食事の時間でもないのに不思議に思ったボクが振り向くと同時に、肩に焼けるような痛みが走った。血がどくどくと流れる傷口を押さえながら蹲ったボクの目の前に、傷だらけのゾロアが飛び込んできた。ゾロアの目は怒りで血走っており、焦点が合っていなかった。

(人間! 人間がいる! 子供だからといって油断ならない! 人間はポケモンを傷付ける! 殺そうとする! 殺される前に殺してやる!)

 それだけで、ボクにはこのゾロアが人間からどのように扱われてきたのかわかった気がした。涙が、溢れた。ポケモンを傷付け殺そうとする人間がいることに、怒りすら覚えた。
 泣きじゃくり謝り続けるボクを見て狼狽え始めたゾロアに語りかけることで、ボクが敵ではないことをなんとか証明することができた。
 ボクとゾロアが和解した直後、開いた扉の隙間から一面の様子を傍観していたゲーチスが口角を上げた後、その場を去った。同時に、複数のプラズマ団員が入ってきて、ボクたちの手当てを始めたのだ。

 そういったことが、いったい何度続いただろう。

 人間から物のように扱われてきたポケモンや、虐待を受けながら戦わされてきたポケモンや、捕まえられてから一度もモンスターボールから出されたことがなかったポケモンなどが、この閉じた世界に連れてこられた。その度に、ボクはポケモンたちとの和解を試みてトモダチとなった。
 もちろん、ゾロアのときのように簡単ではなかったけれど、ポケモンからどんな攻撃を受けても耐えられた。この痛みは、ポケモンが人間から受けた痛みそのものなのだ。目を背けては、ならない。受け入れなければポケモンたちはボクに心を許してはくれない。痛みを受け入れなければ真に理解し合うことなど出来やしない。閉じた世界には、いつだってボクのトモダチたちの悲しい感情が溢れていた。
 そして、ボクは決意した。ポケモンと人間が入り混じった灰色のこの世界は酷く醜く悲しい。ボクのトモダチのようなポケモンたちをこれ以上生み出さないためにも、ポケモンと人間は白黒はっきり分けて別々に生きるべきなのだ。
 そのために、ボクはプラズマ団の王となり人間からポケモンを解放させるため、イッシュ地方を建国した英雄とトモダチだったと言われる伝説のポケモンとトモダチになり、ポケモンリーグのチャンピオンを超える。伝説のポケモンと共に世界に認められている唯一無二の存在になれば、世界中がボクの声を聞くだろう。
 そして、宣言するのだ。ポケモンと人間は切り離されてこそ幸せになる。そのために全てのトレーナーはポケモンを解放するのだと。それこそが世界の真実だと。世界を変えるための数式なのだと。ボクは信じて疑わなかったのだ。

 二十歳を迎えた時、ボクは城に連れてこられてから初めて外の世界に出た。

 チャンピオンになるためにはまずジムリーダーと戦いバッジを得ることが必要だ。ボクは一人でジムがある街へ向かった。
 その道中で、レインやデンジと出会った。今思い返せばあのとき、もっとキミたちやシャワーズの話を聞いていれば良かったのだ。しかし、閉じた世界で生きていたボクは自分の考えが正しいと信じて疑わず、誰にも耳を貸さなかった。

 そんなボクの心に小さな化学変化が訪れたのは、カラクサタウンを訪れた時だった。

 ゲーチスが演説を行うからと、ジム戦前に訪れたその町で、ボクはポケモントレーナーになりたての少年と少女に出会った。名前はトウヤとトウコ。賢そうな少年と活発そうな少女だ。
 まだ十代半ばほどの彼らは、腰に真新しいモンスターボールをつけて、ゲーチスの講演を聞いていた。ポケモンは人間に都合よく利用され従わされている。ポケモンは解放されるべきだ。解放されてこそ人間とポケモンは平等になれるのだ。そのような演説を聞いた新人トレーナーがどのような想いを抱くのか、興味があった。
 演説が終わり、人が散り散りになっていく中、二人はその場に残ってモンスターボールからそれぞれポケモンを出した。そして、問うたのだ。自分は君と出会えてとても嬉しいが、キミたちはどうだと。それに対してのポケモン達の答えが、ボクには衝撃だった。
 ポケモンは彼らのことを好きだと言い、一緒にいたいと言ったからだ。その言葉を二人は完全に理解できてはいないだろう。それでも、ポケモンたちの声色や表情から気持ちをくみ取った二人は、嬉しそうにそれぞれのポケモンを抱きしめたのだ。
 このときのボクの気持ちが想像つくかい? ボクには理解できなかったよ。なぜ、ポケモンが人間を好くのか。なぜ、一緒にいたいと思うのか。それもそのはずだ。ボクは人間に傷付けられたポケモンとしか触れ合ったことがなかったから。人間のことを好きなポケモンがいるなんて、知らなかったから。

 ポケモンジムを巡る旅を続ける中で、ボクの決意は揺さぶられ続けた。

 暗く閉じた世界ばかりを見ていたボクに、外の世界は広すぎた。ポケモンを道具のように扱う人間がいるのは確かだ。しかしそれ以上に、人間と心を通わせ助け合いながら共存しているポケモンのほうが圧倒的に多く、そのポケモンたちも幸せそうだった。
 ボクが真実として追い求めているのは本当に正しい世界なのか? 人間とポケモンは本当に切り離されるべきなのか?
 揺らぐ真実を確かめるために、ボクは伝説のポケモンであるレシラムと共に英雄となり、ボクと同じく伝説のポケモンであるゼクロムと共に英雄となったトウヤとトウコと、あの城で戦った。
 ポケモンと人間の世界を分かつことこそが真実とするボクと、今までもこれからも人間とポケモンは共存して暮らす世界こそが理想と謳うトウヤとトウコ。真実と理想。白と黒。陽と陰。レシラムとゼクロム。
 対称的な存在が自身の信念をかけて戦った結果、敗れたのはボクのほうだった。それも当然だったのかもしれない。ポケモンのことしか、否、ポケモンのことすら理解していなかったボクが、多くの人間やポケモンに出会い仲間に囲まれていた彼らに敵うはずがなかったのだ。

 トウヤとトウコに破れたボクを、ゲーチスはゴミでも見るような目つきで見下ろし、その本性を露わにした。

 プラズマ団、ゲーチスの本当の目的とは、ゲーチスのみがポケモンを操れる世界を創ることだったのだ。そのために、ゲーチスは「ポケモンの言葉が話せる人間の子供が森に暮らしているらしい」という噂を手繰り、ボクの前に姿を現し、手を差し伸べた。そして、ボクに閉じた世界で人間に虐げられたポケモンと暮らし続けさせることで、人間とポケモンは切り離させるべきだと洗脳させた。
 ボクは、ゲーチスが欲する世界を実現するために用意された駒に過ぎなかったのだ。
 薄々、ゲーチスが本当の父親でない事は察していた。それに、ボクはゲーチスに操られたからではなく自分自身の意志で真実を追い求めたのだと信じている。それでも、「歪で不完全な人間」「人の心を持たぬバケモノ」と言うゲーチスの言葉に少なからずショックを受けたのは、ボクは心のどこかでゲーチスのことを父親だと慕っていたからかもしれない。
 眩暈がしてふらついたボクを支えてくれたのはトウヤだった。守るようにボクとゲーチスの間に進み出たのはトウコだった。ゲーチスが繰り出す狂暴化したポケモンに、トウコは自身の仲間と共に、必死に食らいついていた。
 ポケモン個々の能力でいえば、ゲーチスのポケモンのほうが勝っていたかもしれない。しかし、最後までトウコはポケモンを信じていたし、トウコを信じて戦ったポケモンたちの絆が、力を上回った。トウコはゲーチスに勝利したのだ。

 敗北したゲーチスはイッシュ地方のチャンピオンであるアデクが連れて行き、城にはボクと二人だけが残された。

 この戦いでわかったことがいくつもある。真実を求める者も、理想を求める者も、どちらも正義なのだ。だから、レシラムはボクを、ゼクロムはトウヤとトウコを選んだ。
 しかし、自身の信念ばかりを貫こうとすると、異なる考えを持つ者が現れたときに衝突し争いが起きる。それではいけないのだ。
 異なる考えを否定するのではなく、異なる考えを受け入れることで、世界は化学反応を起こし静かに広がっていく。これこそが、世界を変えるための数式なのかもしれない。それに気付かせてくれたのが、トウヤとトウコだ。彼らが、ボクの光だ。
 言いたいことは山ほどあった。アリガトウすら言えていない。しかし、そのときのボクには冷静になれる余裕すらなかった。これからどうすればいいのか。何をすべきなのか。そのことばかり考えていた。

 そして、ボクは彼らにサヨナラを告げ、レシラムと共にイッシュ地方を飛び去ったのだ。

 これで、ボクの話はおしまい。
 少し語りすぎたかな。でも、独り善がりかもしれないけれどキミたちにはボクのことを知ってほしかったんだ。だって、キミたちもボクの光だから。キミたちと過ごした時間はボクの世界を確かに広げてくれたから。
 さっきも言ったけれど、これからボクはもっとたくさんの世界を見てたくさんの人間やポケモンと出会うよ。そしていつか、胸を張ってイッシュ地方に帰ることができる日が来たならば、トウヤとトウコに会いに行く。そして、あの日に言えなかった言葉を伝えるんだ。

 それじゃ、ボクはそろそろ行くよ。……そうだ。最後にボクの本当の名前を聞いて欲しい。
 ボクの名前はナチュラル。ナチュラル・ハルモニア・グロピウスだ。
 今までアリガトウ。デンジ、レイン。それじゃ……いってきます! また会おう!



20130407



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