30.eternal shine

〜N side〜

 全員が揃う午後のティータイムを目前にして、紅茶に使うジャムが切れていることに気付いたレインに、ジャムを買ってこようかと言ったのはボクのほうからだった。何かあってはいけないからと心配したらしいレインは、リオルにボクと一緒にお使いに行ってきて欲しいと頼んだようだけれど、ボクがナギサシティに来て一ヶ月は経つ。複雑な構造の道が多いナギサシティの街並みも、今や完璧に頭の中に入っている。豊富な種類の商品が陳列されているスーパーの棚から目当ての物を探す、というのも朝飯前だ。
 スーパーに入って目的の物を見付けてレジで代金を支払い、スーパーを出るまで五分とかからなかった。すっかりナギサシティにも慣れたものだと思う。

「これで美味しい紅茶が飲めるね」
『はい! 早く帰りましょう、Nさま。レインさまが作るおやつ、すごく楽しみです!』
「そうだね」
『……えへへ』
「どうしたんだい?」
『Nさま、なんだか嬉しそうです』
「そうかい?」
『はい』
「……不思議だなと思ったんだ。ついこの前までは赤の他人だったのに一つ屋根の下で暮らすことになって今ではそれが当たり前になっている」
『Nさまはリオルたちのおうちに帰るのが嬉しいですか?』
「……うん」

 驚くほど素直に頷くことができたと思う。帰りたいと思える場所がある人やポケモンは、きっと幸せだ。何があっても自分を受け入れてくれる場所があると思うだけで、辛いことがあっても頑張って生きられる。

『Nさまはただいまとおかえりの挨拶を知っていますか?』
「ううん、知らないよ。それはどういうものなんだい?」
『自分を待ってくれている人のところに帰るときは、その人を抱きしめて「ただいま」って言うんです。そうしたら、帰りを待ってくれた人は「おかえり」って言って抱きしめ返してくれるんですよ』
「それは初耳だね。今までそういうことをしたことはなかったよ」
『じゃあ、今度Nさまの大切な人にやってみてください。きっと、喜んでくれますよ』
「……大切な人に、か」

 ボクにとっての大切といえば、真っ先に思い浮かぶのはトモダチたちだった。しかし、彼らは在るべき場所へ帰ったのだから、次に会えることがあるとしても「ただいま」や「おかえり」と言うのは何か違う気がする。
 しかし、レシラムはどうだろうか。レシラムは今、シンオウ地方の伝説たちの元を巡っているはずだ。レシラムが帰ってきたら「おかえり」と言ってあげよう。吃驚するだろうか。それとも喜んでくれるだろうか。楽しみだ。
 玄関の扉を開くと香ばしい香りが家の中を満たしていた。甘すぎない焼き菓子の香りが食欲をそそる。玄関脇に置いてある時計を見ると、ちょうど十五時を過ぎた頃だった。

『レインさまー!』
「あら、リオル。早かったのね」
『はい! ただいまです!』
「お帰りなさい。お使い、どうもありがとう」

 エプロン姿で出迎えてくれたレインの胸に飛び込んでいったリオルを、レインは驚く素振りも見せず当然のように抱きしめた。なるほど、リオルが言っていたのはこういうことか。
 教わったことの復習は済んだ。あとは実践のみだ。

「N君もお帰りなさい」
「ただいま」

 レインの頭をボクの胸に引き寄せるように、抱きしめた。
 なんだか不思議な感覚だ。トモダチを抱きしめるのとは全然違う気がする。ボクと同じ人間なのに、レインはとても小さいし、肩なんて力を入れたら折れてしまいそうなくらい細い。それに、ふわふわして柔らかいし、良い匂いがする。なんだか、気持ちいいな。
 それよりも、レインはさっきから硬直して声すら上げないが、苦しいのだろうか。心配になって体を離そうとしたとき、リビングの扉が開きデンジがひょっこり現れた。

「レイン、もう良い具合に焼け……N! おまえ、なにして」
「ただいま、デンジ」

 デンジにも同じようにしてみたが、やはりトモダチともレインとも全然違う感触だ。ボクより背が高いから抱きしめにくいし、骨張っていて固いし、あまり気持ちよくないなぁ。
 デンジはレインと違ってニョロトノが潰れたような声を上げているのだが、どういうことだろうか。デンジの顔を見てみるとなぜか鳥肌が立っている。

「帰りを待ってくれている人にはこうしたほうが良いとリオルから教わったのだけど違うのかい?」

 ボクの頭にデンジの拳が振り下ろされるまで、そう時間はかからなかった。



20130317



- ナノ -