言葉だけじゃ足りない

長かった一日がようやく終わろうとしている。
約束の時間の5分前。もうそろそろいいだろうと、スマホを取り出して連絡先を検索。『ヒロコ』という文字が現れるまで画面を下にスライドさせて、見つけたところでタップ。
スマホを耳元に当てるのと、レイン(ヒロコ)の声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。

『デンジ君!』
「はやっ」
『電話が来るのが待ち遠しくて、スマホの前で待っていたの』
「……ぷっ。そうか」

ソファーの上で膝を抱えて、スマホの画面とにらめっこをしていたのだろうか。その姿を想像すると愛しくて仕方がない。

「今日は一日どうだった?楽しかったか?」
『ええ!とっても!ミクリさんのコンテストを生で見られて、ポケモンとも触れ合わせていただいたの。はしゃぎすぎちゃってプールから落ちて、ヒロコちゃんのお洋服を濡らしちゃったけど、ダイゴさんがすぐにお洋服の手配をしてくださって』
「あー。その流れでファッションショーをやってた、と」
『そう……ヒロコちゃんの体だと何でもお洋服が似合うから、楽しくってつい』
「レインだって自分の体でもいろんな服を試してみろよ。オレも見てみたい」
『ええ!?私には今日着たような服はとても……!』
「オレが着て欲しいって頼んでも?」
『……少し着るだけ、なら』

少し困ったような、恥じらいを含んだ声色だ。別にダイゴのように短いスカートを履かせるつもりはない。この前、一緒にトバリデパートへ行ったときに、レインに似合いそうなシャツワンピースを見つけたのだ。レインは「もう少し大人っぽかったらこういうのも似合うんだろうな」と言っていたが、それを今度プレゼントして着てもらうことにしよう。

『デンジ君達は?今日は何をしていたの?』
「主にナギサの観光だな。パンフレットに載っているようなところはほぼ回ったぞ」
『そうなのね。平和な一日を過ごせたみたいでよかった』
「いや……平和かどうかと聞かれたら、そうでもない」
『え?』
「ヒロコは朝イチでオーバのミミロップを借りて手合わせしてたし、観光途中で引ったくりを目撃して犯人をその身一つで追いかけ出すし」
『ええっ!?』
「犯人に追い付くために歩道橋から飛び降りたときは心臓か止まるかと思ったぞ……」
『だ、大丈夫だったの?』
「ああ。体は無事だし、引ったくり犯も何とか取っ捕まえた」
『そう。ヒロコちゃんに怪我がなくて本当によかった』
「ま、平和ではなかったけど飽きはしないな」
『ふふっ』
「でも」

確かに楽しい一日だった。それは素直にそう思う。でも。
どんなに楽しい出来事でも、オレ一人で感じるのではなく、やっぱりレインと共有したい。

「オレは早くレインに会いたいよ」
『デンジ君……うん。私も』
「体が戻ったらあれ作ってくれよ。半熟卵のオムライス。ふわふわプルプルしてるやつ」
『ええ。分かったわ。約束ね』

レイン(ヒロコ)の声の後ろで波の音がする。オレがいる海と、レインがいる海は繋がっている。そう考えたら、遠くにいるはずのレインを近くに感じられる気がした。







『もー!ダイゴったら油断も隙もないんだから!』

開閉一番に漏らされる不満な言葉に思わず苦笑する。数時間前に手厳しく怒られたはずなのだが、ヒロコちゃん(レインちゃん)はまだ言い足りないらしい。

『あたしの体の中身がレインなのをいいことに!レインが断りきれないのをいいことにファッションショーなんて!あんな格好をさせて!』
「わかった。ごめんごめん。今度からは中身がヒロコちゃんの時にたくさん着てもらうよ」
『そういう問題じゃない!体が戻ったら全部データチェックするからね!』
「えー」
『まさか、洋服全部買ってる、なんてことないわよね!?』
「大丈夫。実際に買ったのはプールに落ちたレインちゃんの替えの服だけだから」
『まあ、それなら仕方ないけど』
「可愛いワンピースなんだ。いつかデートの時に是非着て欲しいんだけど」

とは言ってみたものの「着るわけないじゃない」と、ピシャリとはね除けられるんだろうな。そう思っていたけれど、少しの沈黙のあとに返ってきたのは意外な返事だった。

『……わかったわよ』
「え?いいの!?」
『デートの時だけだからね』
「十分だよ。嬉しいなぁ。なんだか今日は素直だね。もしかして、ボクと離れて寂しいとか?」
『……』
「無言は肯定と受け取ってもいいかな?」

口元が弛んで仕方がない。きっと、勝ち気で意地っ張りなヒロコちゃん(レインちゃん)は、顔を真っ赤にして次の言葉を探しているに違いないのだ。もう、可愛いったらない。

『今日ね』
「うん」
『ナギサを観光中に引ったくりに遭遇してね』
「うん」
『職業病というか、追いかけちゃったんどけど』
「ヒロコちゃんなら、そうするだろうね」
『でも、体はレインのものだから、無茶はできなくて、ちょっと危ない状況だったんだけど、デンジが助けに入ってくれたの。その時、なんだか無性にダイゴに会いたくなったの』
「……うん」

ヒロコちゃんは強い。それはポケモンバトルだけではなく、自分自身が戦えるという意味でも、心が強いという意味でも、だ。そんな彼女がピンチの時にボクの姿を思い浮かべてくれたなんて、これ以上の殺し文句はない。

「明日には体が元に戻ってるといいね」
『うん』
「じゃないと、目の前にヒロコちゃんがいても抱き締めることもキスすることも出来ないし」
『も、もう!』
「名残惜しいけれど、そろそろ寝ようか」
『そうね。当たり前だけれど、別々のベッドで寝るように!』
「あはは。もちろんだよ。だって、何をするにも、見た目だけじゃなくて中身がヒロコちゃんじゃないと意味がないからね」
『!』
「おやすみ」
『うん……おやすみ』

暗転した画面にキスを一つ。今はこれだけ。元に戻ったら覚悟しておいて。

「おやすみ。愛しい人」

窓の外の海の中で、薄紅色をした二つの灯りが揺らいだ気がしたけれど、ボクは気にも留めず自身のベッドに潜り込んだ。明日には、温もりを抱いて眠りにつけることを願って。





2019.4.29

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