5months〜たくさんの祝福を

「よー!デンジ!」

その声の主は、家まで後一分というところで襲来した。聞き飽きた声と馴れ馴れしく肩を組んでくる腕は、顔を見なくても誰だか分かる。

「なんだ、オーバか」
「なんだとはなんだよ!」
「仕事はどうした。定時に上がったとしてもナギサまで来るの早すぎるだろ」
「まさかお前に定時について言われる日が来るとは思わなかったぜ……まぁいいや!ゴヨウのポケモンに飛ばしてもらったんだよ!一刻も早く話したくなってな!」

バン!と背骨が折れると思うほど背中を強く叩き。

「子供が出来たんだって!?」

鼓膜が破れると思うほどの大声で、そう言った。







「なんか悪いな。俺の分まで用意してもらって」
「何言ってんだ。食ってく気満々だったくせに」
「ふふっ。大丈夫よ。今日はカレーだから多目に作っていたし」
「そういや、カレー食って大丈夫なのか?前に気持ち悪くなってたろ」
「そろそろ大丈夫かなと思って」
「なあ、俺なにが食べられるかよく分からなかったから、チャンピオンおすすめのアイスを買ってきたんだけど大丈夫か?無添加だから妊婦も安心だと思うって言ってたぞ」
「ありがとう!アイス、口当たりがいいから最近よく食べてるの」

家までついてきたオーバを含めて、三人で食卓を囲む。三人で一緒に飯を食うなんて久しぶりかもしれない。最近はレインの体調が優れなかったり、食の好みが変わったり、もちろん酒も飲めないから、誰かとの食事は控えていたところだった。
いきなり連れて帰ってしまって大丈夫かと思ったが、レインが嬉しそうにしているのでまあ良かったとしよう。

「二人ともほんとおめでとうな!いやー、今から楽しみだな!」
「ありがとう」
「それにしても、リーグまで話が行くの、早くないか?オレだってジムのやつらに話したのつい昨日だぞ。やっと安定期に入ったところだし」
「ええ。私は、上司のマキシさんには心拍が確認できた段階でお話していたけど、ポケモン協会やリーグには安定期に入ってから報告するってマキシさんが言っていたから」
「そう!それで、俺が今日来たのはお祝いだけじゃなくて二人の上司として伝えることがあっ来たんだ!」

誰が誰の上司だよ、と突っ込むより先にオーバの言葉が続いた。

「レインはもちろん、産前産後休暇と育児休暇をとるんだよな?」
「ええ。育児休暇は一年をお願いしているのだけど」
「ああ。レインはもちろんとして、デンジも育児休暇をとること!」

オーバの言葉はあまりにも予想外過ぎた。それに、聞きなれない単語でその意味を把握するのにしばらく時間がかかってしまい、ワンテンポ遅れて口を開いた。

「は?オレが?そもそも男がとれるのか?」
「いや、俺も知らなかったんだけどとれるみたいだ。とらないやつのほうが多いみたいだけどな」
「だいたい、どうして急にそういう話になったんだ?」
「レインのことがリーグにも伝わってきて、みんなでめでてーなーって話してたとき、キクノさんが言ったんだよ」

そういえば、レインちゃんはおうちの事情で里帰りは出来ないでしょう?だったら、デンジ君も育児休暇をとったらいいわね。産後は誰かのサポートがないと大変よ。人を一人産んで、体も心もめちゃくちゃになってる時期に、二十四時間体制で赤ちゃんのお世話と家事を一人でするなんて。わたしも孫が産まれたときは娘と一緒に云々。
と、オーバはキクノさんの口調を真似ながらその時の様子をつらつらと話した。

「ということで、それを聞いたチャンピオンが人事部に相談してくれたんだ」
「なるほど」
「ああ。どうだデンジ!もちろんとるだろ?」
「……んー」

すぐに首を縦に振らないオレを見て、オーバは心底驚いた様子で目を見開いた。

「まさかデンジが悩むなんて……あのサボり魔なデンジが……スキあらば仕事をサボろうとするデンジが……」
「いや、だってレインが全く働けなくなるんだし、オレまで働かなくなるのもどうなんだと思って」
「……これがあのデンジなんて信じられないぜ。父親になるって人を変えるんだな。すげーな」
「うるさい。そりゃもちろん、レインと一緒に子供の世話をしたい気持ちもあるさ。キクノさんの言うとおりだと思うし。でも、これから金はかかる一方だと思うし……なあ、レインはどう思う?」
「私?私は……」

今まで口を閉ざしていたレインに話を振ると、少し言葉をためた後に。

「デンジ君がお仕事を頑張ってくれるのはすごく嬉しいし、頼もしいわ。でも、初めての育児を一人でやれるか不安もあるの。産まれたばかりの赤ちゃんはもちろん、私の体調もどんな感じになるか想像できないし……だからせめて、新生児の間。一ヶ月くらいお仕事をお休みして一緒に頑張ってくれたら嬉しい……かな」

レインはオレの目を真っ直ぐに見て言った。これは本心で間違いないらしい。レインがそう望んでいるのであれば、オレの答えは決まっている。

「わかった。じゃあ一ヶ月だけだけど、オレも育休をとるよ。もちろん、育休が終わってからも家にいるときはオレに出来ることはやるからな」
「ありがとう!」
「決まりだな!じゃあ明日にでも人事部に連絡しとくよーに!」
「わかってるよ。ショーマ達にも話とかないとな。一ヶ月挑戦者を食い止めとけって」

まあ、考えてみればイッシュを旅するのに半年近く休んだこともあるし、ジムの方は一ヶ月くらいなんとかなるか。
問題は育児のほうだ。ベビーポケモンの世話ならしたことはあるが、全く訳が違うだろう。レイン任せにならないように、自分でもいろいろ調べておかないと。とりあえず、レインが産院からもらった資料に今度目を通してみよう。
話は尽きずあっという間に食事が終わった。シンクまで運ばれた皿を当然のように洗っていると、オーバが目を丸くして「おまえも家事とかやるんだな」と言った。いいからアイスを食ってさっさと帰れと追いやる。明日は安産祈願に行く予定だから朝はいつもより少し早いのだ。

「ほら、レイン。アイス」
「ありがとう。ねぇ、よかったね。産まれた後、パパも一緒にいられるんですって」

腹に向かって嬉しそうに話しかける声が、ここまで聞こえる。自然と口元が緩んでしまいそうになるのをこらえていると「きゃ!」小さな悲鳴が聞こえたので顔を上げる。

「なんだ?」
「動いたの!少し前からポコポコと胎動かなって思うことはあったんだけど、今ははっきり!」
「えっ!?マジで!?」

大声をあげているオーバを押しのけてレインの隣に腰を下ろした。触っても大丈夫か?と視線で問うと、レインは笑ってコクリと頷いた。少し膨らんできたその腹に、恐る恐る手を当てる。しばらくすると、掌の内側から押し上げられる感触がした。「うわ」思わず手を引っ込めた。もう一度、ゆっくり確かめるようにそこに手を当てる。ポコッ、ポコッ。確かに、レインの呼吸とはまた違う動きが伝わってくる。

「……動いた」
「ねっ?」
「……本当に、ここにいるんだな」

エコー写真は何度も見たし、健診も行けるときは一緒に行って心臓が動く様子だって見た。でも、こうして触れて、命を確かめるのは、また違う感動があった。
そこからは動かなくなってしまったが、感動に浸って手を腹に当てたままでいると、横から視線を感じた。オーバが気持ち悪い顔でニヤニヤしている。

「なんだよオーバ」
「いや、父親らしい顔するようになったなーと思って」
「うるさい」
「なあ、俺も触っていいか?」
「は?」
「いや、下心とかじゃなくてただ純粋に」
「レインが良くてもダメに決まってるだろこのアフロ」

伸ばしかけられた手をピシャリと弾く。オーバは笑って、レインも笑って、つられてオレも笑う。きっと、この笑い声は腹の中にも届いているのだろう。





2018.4.27

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