3months〜変化するからだ

妊娠と聞いて、男のオレが一番に想像したのは吐き悪阻だった。よくドラマなんかで、口元をおさえた女優がトイレに駆け込み、吐き気に耐えるシーンを見かける。
全ての妊婦はそういう症状を発症するものだとばかり思っていた。思っていたのだが。

「お。今日の昼飯は素麺か」

どうやら、レインは違うらしい。今までどおり食事をするし、仕事にも行く。吐き気をもよおしているところすら見たことがない。オレが気付いた限りでは、ここのところ少しだけ食が細くなったのと、食の好みが変わったことくらいだ。あとは、相変わらずの眠気もあるらしい。

「季節外れでごめんなさい。なんだか、どうしても食べたくなって」
「麺は食べやすいって言ってたもんな」
「ええ。あっさりしてて喉越しがいいから……あ、デンジ君はこっちも食べてね。私は脂っこいものは、ちょっと気持ち悪くなっちゃうからまだ控えておくわ」

そう言って、肉と野菜を炒めたものをオレの前にコトリと置いた。
ここのところレインが好んで食べるものといえば、冷たくて口当たりがさっぱりしたものが多い。素麺、トマト、スイカ、冷やし汁、酢の物、ゼリー、などなど。
もちろん、それだけでは栄養が足りないので肉類も食べてはいるが、吐くまではいかないものの脂っこいものを食べると気持ちが悪くなるらしい。
あと、出先でファストフードのポテトが食べたいと、ポツリと言っていたときは驚いた。幼い頃からレインと一緒にいるが、いわゆるジャンクフードが売られている店に一緒に行ったことは、片手で数えるほどしかない。驚きはしたが、塩気のあるものが食べたくなるのも妊婦にはよくあることらしい。
人一人を腹の中で育てる代償として、自分の体や感覚が変わってしまうのだから、女とは本当に大変ですごい生き物だなと思う。

「食の好みが変わるのも大変だよな」
「でも、私の悪阻なんて軽いものよ。ひどい人は水さえ受け付けなくなって入院しないといけないみたいだし」
「そうかもしれないけど、レインの辛さはレインにしか分からないんだし、シンドイときは言えよ?黙って吐いたりしてないだろうな?」
「ううん。それは大丈夫。ありがとう、デンジ君」

食事を終えたあと、食器を洗うのはオレの役目だ。今までも度々そうしていたが、レインの妊娠が分かってからは特に率先してやるようにしている。あとは、ゴミ出しや風呂掃除、トイレ掃除もオレの担当になった。重いものを持ったりしゃがんだりする動作は、体に負担がかかると思ったから。
レインは避妊を止めた当たりから飲み始めたサプリメント……葉酸という妊婦に大切な栄養が含まれているらしい。それを飲んだあと、ソファーに腰を下ろした。ソファーの前のローテーブルには、小さなアルバムとエコー写真が数枚広げられている。

「あとは、匂いがダメになる人もいるんですって」
「へえ。例えば?」
「えっと、歯ブラシ粉の匂いとか、ご飯が炊けた匂いとか、あとはポケモンや旦那さんの匂いとか」

洗い物を終えてレインの隣に腰を下ろすと、ぽす、とレインの頭がオレの肩に乗った。

「洗い物してくれてありがとう」
「ん」
「えへへ……私はそういうのはなくてよかった。こういうふうにくっついたり出来なくなっちゃうものね」
「……あー、もう」
「?」
「そういう可愛いこと言うなよ。抱きたくなるだろ」
「え!あ、あの!」
「分かってる分かってる。しばらくはお預けだってちゃんと分かってるよ」

子供が出来てもレインはレインだ。このくらいでもすぐに顔を赤くする。
妊娠中でも夫婦の営みをしても問題はないらしい。もちろん、妊婦の体調や妊娠の状態が良好であれば、の話だが。
しかし、話し合った結果、とりあえず安定期までそういったことは控えようということになった。レインの気持ちもあるし、オレもレインの体調が不安定なのにそういうことをするのも気が引ける。
アルバムに貼られる前のエコー写真を手に取る。前までは教えてもらわないとどこにいるか分からないような大きさと形をしていたのに、もう一目見てそこに赤ちゃんがいると分かる大きさになっていた。

「一気に人に近い形になったよな。頭と体があって、そこから小さい手足が生えてて、ヒメグマみたいだ」
「ふふっ。言われてみたら、そうね。大きさもね、今はイチゴサイズくらいあるんですって」
「もうそんなに大きいのか?」
「ええ。心拍も確認できたし、この前の健診では手足を動かしてたの」
「動いてるところも見られるのか」

こくり、と頷いたレインは、エコー写真をアルバムに貼って『10w』と書いた。妊娠10週目という意味らしい。

「次の健診からお腹からのエコーになるのだけど」
「じゃあオレも行く。旦那も部屋に入れるんだろ?」
「ええ。今までも、入ろうと思えば入れたけど……」
「いや、それは、いい。レインもそれは嫌だろ?」

否定はしなかったものの、困ったように笑うレインを見て、そりゃ嫌だろうなと思った。もしレインが良くても、相手が先生だと分かっていても、カーテンで仕切られているのだとしても、嫁が他の男の前で足を広げている様子を見る勇気はオレにはない。
レインの頭の重みが再び肩にかかる。目がトロンとしてる。これは、秒で眠りそうだな。

「腹もいっぱいになったし、一緒に昼寝でもするか」
「……う、ん」

あ、寝た。膝の裏と背中に手を差し入れて、そっと抱き上げる。後ろからレインを抱え込む状態のまま、一緒にベッドに横になる。意識をせずとも、まだ膨らんでいないレインの腹に手が伸びてしまうあたり、こんなオレでも父親の自覚が少しでもあるのか、と少し照れくさい。

「おやすみ、二人共」

いつか、三人並んで眠る日を夢見て。





2018.4.17

- ナノ -