2months〜命のはじまり

「……よし。ま、こんなもんか」

昨晩の残りの野菜スープに、不格好な目玉焼き。脇にはレタスとトマトも添えた。レインのようにはいかないが、オレにはこれが精一杯だ。あとは、レインを起こしてからパンをトースターに入れればよし、と。
レインが割とねぼすけなのは今に始まったことではないが、時刻は午前十一時を回ろうとしている。いくら今日が休みとはいえいつもよりだいぶ起きるのが遅い。レインが気持ち良さそうに寝ていたので、オレも隣でしばらくゴロゴロしていたが、流石に腹が減ってきたので起きてブランチの準備をしていたのだ。
エプロンを外して寝室へと向かう。とっくに起きて早い昼食も済ませたオレのポケモン達は、リビングでゆったりくつろいでいる。今日は雨だ。ポケモンたちとみんなで一日のんびり過ごすのも、たまにはいいだろう。

「レイン。そろそろ起きないと昼になるぞ」

なんと、レインはまだ毛布にくるまってくうくう寝ていた。さすがのオレでも苦笑いが出る。
ベッドの脇に腰掛けて、柔らかそうな頬をつついたり、前髪を撫でたり、唇を指先でなぞったり、とイタズラしていると、長いまつげに縁取られた瞼がゆっくりと持ち上がった。

「ん……」
「おはよ」
「デンジ君……おはよう……」
「もう昼になるぞ。簡単だけど飯準備したから食おう」
「……ありがとう」

ふわぁ、と欠伸を一つ。まだ眠り足りないとは驚きだ。
レインより先にリビングに戻って、トースターのスイッチを入れる。あとは、コーヒーとミルクティーの準備だな。
パンが焼けた音が響いたと同時に、レインがリビングに入ってきた。顔を洗って着替えも済ませて、幾分かスッキリしたようだ。

「ありがとう。全部準備してくれたのね」
「いいよ。いつもはレインがやってくれてるし、たまにはオレもやらないとな。と言っても、レインみたいにしっかりしたものが作れるわけじゃないけど」
「ううん。美味しそう。ありがとう」

いただきます。と、しっかり手を合わせてからスープを飲む。ああそういえば、食事の一口目は汁物で喉を温めてからがいい、とかなんとかテレビで言ってたっけ。オレもレインに習ってスープをすすっていると、欠伸を噛み殺しているレインと目があった。

「ふぁ……」
「ははっ。今日はかなり眠いみたいだな」
「ん……今日というか、最近すごく眠くて……」
「疲れが溜まってるんじゃないか?最近はノモセジムでの仕事も忙しいんだろ?」
「ええ……」
「今日は雨だし、ゆっくりしよう。DVDでも借りてきて見るか?」
「……」
「レイン?」
「私、あとからちょっと病院に行ってこようかしら」
「具合が悪いのか?」
「ううん。そういうことじゃないのだけど……」

出た。レインの癖だ。嘘をついたり誤魔化そうとしていると、目をそらして視線が泳ぐ。全く、分かりやすいったらない。

「じゃあ、オレも行く」
「え?」
「心配だし、送る。雨降ってるし」 
「だ、大丈夫!それにほら、今日はこの前注文していた工具が届くんでしょう?受け取らないと、ね?再配達なんてことになったら宅配の人も大変だし、ね?」

ほら、なんなんだこの慌てよう。絶対に怪しい。しかし、レインが言うことも最もなので、何も言い返せずにその場は言葉を飲み込んだ。でも。

「帰ってきたら全部聞くからな」
「……はい」
「じゃあ、気をつけて」
「ええ。いってきます」

傘をさして家を出るレインに、しっかりと釘を指しておいた。
オレがこうも素直に送り出したのは、特に体調不良のようなものがレインに見られなかったからだ。確かに食事中もずっと眠そうだったし、家を出るときも目がとろんとしていたが、本当にそれだけ。熱があるとか咳が出るとか、そういう症状があったら無理やり車に乗せたんだけどな。眠いだけなら、まあ大丈夫だろう。もちろん、レインのポケモン達はついていったし。

「しかし、病院に行って何を診てもらうってんだ?眠くなる病気なんてあるのか?」
『デンジさまー』
「リオル。どうした?」
『レインさまは?』
「ああ。びょ……」
『びょ?』
「いや。ちょっと出かけたよ。すぐ帰ってくるさ」
『えー。リオル、この絵本読んでほしかったです……』
「ああ。今はオレが読んでやるから、そうがっかりするなよ。レインが帰ってきたら、また読んでもらいな」
『うわー!ありがとうございます!』

ソファーに腰を下ろすと、リオルが嬉しそうに膝の上によじ登ってきた。ああ、可愛いな。自分のポケモンに感じるものとはまた違う愛しさを感じる。膝の上で本を読んでやるなんて、まるで親が子にそうしてやってるような……親が、子に?

『デンジさま?』

読んでくれないの?とでも言うような声色でオレの名を呼ぶが、オレの視線はリオルが持っている絵本に釘付けになっていた。ピカチュウの夫婦と、ピチューが表紙に描かれている。絵本のタイトルは『はじめまして、あかちゃん』。
まさか。と思ったときには、オレはすでに立ち上がっていた。膝から転がり落ちたリオルが抗議の声を上げる。

『いたいですー』
「悪い!ちょっと出てくる!絵本はライチュウにでも読んでもらっててくれ!」

車の鍵ではなく傘をひっつかみ、家を飛び出した。この時間、道はやや混んでいる。走って裏道を通ったほうが、レインが向かったであろう病院には早く着くはずだ。
ナギサの街で病院と言えば、レインが育った施設が併設されている灯台の近くにある病院だ。だが、オレはそこには向かわなかった。確か、あの病院にはレインが受診するであろう診療科は入っていなかったはずだ。
レインの異常な眠気だけでそうだと思うのは、気が早すぎるかもしれない。でも、なぜか、そうじゃないかという確信にも似た予感がしたのだ。
ナギサレディースクリニック。そう書かれた病院の前で、小さな写真を愛おしそうに見つめるレインを見つけて、抱きしめるまであと少し。




(デンジ君すごい。よくわかったわね。違ったら申し訳ないから、確認できてから言おうと思ったのに)
(レインが妊活がどうのこうのっていう本を買ってただろ?あれをちらっと読んだとき、初期症状に眠気があることもあるって書いてあったのを思い出した。あとは、カン)
(ふふっ)
(レインの方こそ。家で検査とかしてたのか?)
(ううん。でも、生理が遅れてたしもしかして、と思ったから)
(そっか。その豆みたいなのが赤ちゃん?)
(ええ。まだ心拍確認が出来なかったから、もう少ししてからまた来てくださいって言われたのだけど)
(へー……なんか、すごいな。今は1cmもないのに、これからどんどん人間みたいに成長するんだよな)
(そうね)
(…………)
(デンジ君?)
(レイン。ありがとうな)
(!こちらこそ、ありがとう)
(三人で頑張ろうな)
(うん!)




2018.4.11

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