just born〜きみが産まれた日

聞き慣れた着信音が耳に届き、目が覚めた。覚醒しきっていない頭を無理矢理動かして、スマホを手に取り、受話器のマークをスワイプする。

「レイン……?」
『こんな時間にごめんなさい。起こしちゃった……わよね』
「気にするな。何かあったのか?」

時刻は五時過ぎ。まだ外が薄暗い時間だ。こんな時間に電話を掛けてくるということは、それなりの理由があるのだろう。それに。

「なんだか声が疲れてないか?眠ってないのか?」
『……ええ。実は、日付が変わるくらいから陣痛がきたの』
「え!?」
『だから、とてもじゃないけど眠っていられなくて……』
「でも、今は少し落ち着いてるように感じるが」
『ええ。私、無痛分娩をするって言っていたでしょう?』
「ああ。そうだな」

無痛分娩。オレも詳しくは知らないが、その名のとおり、出産時に麻酔を利用して痛みをなくしたり和らげる出産方法らしい。初めは普通の出産方法を選んでいたレインだが、里帰りが出来ないことを考慮して、産後の母体の回復スピードが比較的早いらしいこの出産方法を選択する、と言っていた。
麻酔を使用するためリスクがゼロではないが、麻酔科医を呼んで麻酔をすると説明されたし、オレとしては母子ともに健康であればどんな出産でもいいと考えていたので、レインの選択に頷いた。二人の子とはいえ、産むのはレイン自身だから。

『少し前に麻酔を入れてもらって、一時間……くらいかな。眠れたところなの』
「少し前?陣痛が始まったのは0時くらいなんだろ?」
『ええ。子宮口がある程度開かないと麻酔を入れられないから、それまでは陣痛に耐えてて……』
「一人で、か?」
『助産師さんがたまに様子を見に来てくださってたから』
「それでも、心細かったろ。ごめんな。そばにいてやれなくて」
『ありがとう。でも、まだ時間がかかるから家族への連絡はまだいいって言われていたから……あ。それでね、もしかしたら七時から八時頃に産まれるかもしれないから、家族に連絡していいって言われたの』
「了解。すぐに行く。何か食べたいもの……食べるのは無理か。飲みたいものはあるか?」
『私、麻酔を入れてる間は飲食禁止なの。私のぶんは大丈夫。デンジ君のぶんの食事とか、買っておいた方がいいかも。産院にも売店はあるけれど』
「わかった。じゃあ、すぐに行くから。またな」
『ええ』

電話を切ると、手早く身支度を整えて車の鍵と、カメラをとった。車に乗り込む前に、明るくなり始めた空を一枚写真におさめた。君が産まれる日の、空の色を。







「レイン」
「……デンジ君」

産院に着いたオレは、時間外出入り口から中に入り、待機していたナースに案内されて分娩室に通された。レインはベッドに横たわり、ぐったりした様子だった。

「大丈夫……じゃないな。痛むのか?」
「麻酔が切れたら、少し……三十分毎に麻酔は追加してもらってるのだけど……あのね、もうすぐ産まれそうなんて言ったけど、さっき内診してもらったら、子宮口は全開だけど、赤ちゃんの向きが出てくる方向を向いていないみたいなの」
「……ってことは?」
「この子が産まれる気になるまで、我慢、かしら」
「マジか……しんどいだろ、レイン。オレはどうしたらいい?」
「えっと。じゃあ、陣痛が来たらこれで腰を押してもらえたら助かるかも……」

病院に用意されていたの、と言いながら渡されたのは、テニスボールだった。すっかり頭から抜けていたが、用意されていたのならよかった。最悪、モンスターボールで代用出来ないか、とも昨晩は考えていたところだ。

「わかった。頼りにならないかもしれないけど、何でも言ってくれ」
「ありがとう。隣にいてくれるだけですごく心強いわ。頑張りましょう。三人で」
「ああ」

これが七時くらいの会話だった。







どういう風に時間が進んでいったのか、よく覚えていない。レインの体が四十℃近い熱を出したから氷枕で全身を冷やしたり、麻酔を追加してもらうようナースコールしたり、水分補給のため氷を食べさせたり、腰をテニスボールで押したりしながら、陣痛中は二人で必死だった。
それでも、麻酔が効いているときや陣痛の波が去っているときは、レインも会話する余裕があったが、陣痛がきたときはやはり正気を失いかけていた。
陣痛がくると同時に息まないといけないのだが、その時にオレの手を握る力の強さといったら、普段のレインからは考えられないほどの強さだった。ネットを読み漁っていたとき、出産時に旦那の指の骨を折ったという話を目にしたが、それも今なら頷ける。
麻酔を追加するときは、麻酔の効果からか、レインの手足が冷たくなり、全身がガクガクと震え、呼吸が短く早くなっていた。一瞬、このまま死んでしまうのでは、とゾッとしたほどだ。
それでも、レインは決して、弱音を吐かなかった。どれだけ涙を浮かべても、歯を食い縛っても、辛いとか痛いとか、そんなことは言わなかった。

「だって、赤ちゃんだって暗くて細い道を一人で頑張って進んでいるんだもの」

と言ったときの彼女の表情は、すでに立派な母親だった。







「……うん!赤ちゃんの向き、よくなったしだいぶ降りてきたわね!お産の準備に入ります!」

と、助産師が言ったのが十六時過ぎ頃。今までのはお産じゃなかったのか、と軽く衝撃だったのはオレだけではないだろう。ポカンとしているレインのまわりを、助産師や看護師、そして妊婦健診の担当をしていた先生が取り囲み、強いライトがレインを照らした。
本当にもうすぐ、もうすぐなのだ。

「旦那さん!カメラの準備、してていいからね」

そうだ。必死すぎて忘れていた。
荷物入れからカメラを取り出し、レンズの調整をしている間も、お産は進んでいく。切りますねー、と聞こえたあとに、バチンとこちらまで痛くなるような音も聞こえたが、麻酔が効いているからか、陣痛が来ているからか、レインは気付いていないようだった。
そして、さらにレインが何度か息んだあと、力を抜いていいですよー、と助産師が言い、そして。

「おぎゃぁ!おぎゃー!」

小さな命が、産声をあげた。何枚かシャッターを切りながら、自然と一粒、涙がこぼれた。赤ちゃんを胸の上にのせられた、レインも笑いながら泣いていた。

「おめでとうございます。可愛い女の子ですよ。赤ちゃん、綺麗にしますね」

助産師の一人が赤ちゃんを抱き上げて、奥に用意されていた小さなベッドへ連れていった。

「レイン……!」
「デンジ君!」
「頑張ったな。ありがとう」
「デンジ君も本当にありがとう。一緒だったから、頑張れた……っ」
「まだ起き上がれないだろ。横になってないと」
「ええ……赤ちゃん、今は何をしているの?」
「ああ。体を拭いてもらって、足型をとってるな……ははっ。いっちょまえにオムツもするみたいだ」
「不思議。さっきまで私のお腹の中で生きていたのに、他の赤ちゃんと同じように、すぐに外の世界で生きていくのね」
「はい、赤ちゃん。よかったら、家族三人で写真を撮りましょうか?」

助産師から赤ちゃんを受け取り、代わりにカメラを渡した。レインのベッドに横たえる前に、一瞬だけ抱っこした赤ちゃんは、大きなオムツと肌着に包まれて、くにゃくにゃのふにゃふにゃで、なんとも頼りなくて、愛しかった。
レインは目の下に隈ができているし、オレの髪はセットもなにもしてないからボサボサのまま。産まれたての赤ちゃんは、産まれたてのヒコザルみたいにしわくちゃだったが、これがありのままの三人の初めてのスリーショット。

「はい、チーズ」

いつか教えてあげたい。君が産まれた日、ボロボロになりながらも、オレもレインも、こんなにも幸せそうに笑っていたのだということを。






280days end 2018.8.23

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