Cleopatra


 花笑むように彩られたパーティーは夜遅くまで続いた末に、惜しまれながら終わりを迎えた。森の奥の崖の上という立地上、アルカサルザライパレスの敷地から一歩でも出てしまえば、そこは薄暗い闇の世界に包まれる。ほとんどの出席者は迎えを手配してもらい、駄獣がひく荷車に揺られながら屋敷をあとにすることになった。
 しかし中には、すぐにでも体を休めたいという状態の出席者がちらほらといた。カーヴェもその中のひとりである。いい具合にアルコールを摂取した状態でくるりくるりと踊り明かせば、酔いの回りが早くなるのは必然だった。
 気がつけば、カーヴェはリヴィアと共にアルカサルザライパレスの一室に放り込まれていた。
 高価な青緑の染料で染められたカーペット。幾重もの光を織りなすシャンデリア。そして、証悟材で作られた上質なベッドが二台。
 頭痛を訴える体を労るために、カーヴェはソファーに身を沈めた。

「まさか希望者には部屋まで用意してくれるなんて……泊まるのに法外的な利用料をとられるんじゃないよな?」
「大丈夫じゃない? まさかパーティーの出席者からお金を騙しとったりはしないでしょう。少なくとも今はね。草神の目もあることだし」
「ああ。でも、利用規約がないか隅々まで確認しておこう。用意されている飲み物にも念のために口はつけないほうがいい。フォンテーヌから取り寄せた貴重な水だとぼったくられたらたまらないからな」
「ふふ、徹底してる」
「当然だろう……ってリヴィ!?」

 突然、カーヴェが大声を出すのも無理はなかった。リヴィアは身に着けていたアクセサリー類をポイポイと外していき、髪をほどき、靴までも脱ぎ捨てたのだから。しまいにはドレスの肩紐に手を伸ばしかけたものだから、カーヴェは立ち上がり慌ててその手首を掴んで止める。

「リヴィ! いったい何をしているんだ!?」
「だって、窮屈なんだもん。もうパーティーは終わったんだから、脱いでマズイことはないでしょ?」
「ある!」

 そして大真面目な顔で、こう言ったのだ。

「着飾った女性の服を脱がせるのは恋人の役目だ」
「ふーん。それは知らなかった」

 内緒話をするように、密やかに笑いあいながら、唇を重ねる。小鳥がついばむように、短いキスを何度も繰り返していくと、それだけでは足りなくなってしまう。こんな場所で、よくない欲が湧いてしまう。
 カーヴェがリヴィアの膝裏に手を差し入れて体を持ち上げると、決して軽くはない愛しい重みが両腕にかかった。その状態のまま再びソファーに腰を下ろし、ぎゅうぎゅうに抱きしめると、思考が緩み、煩悩が溶けていく。
 かわりに、じわじわと押し寄せてきたのは――罪悪感だった。

「リヴィ、今日は本当にありがとう。その、今さらだけど……本当に迷惑じゃなかったか? 半ば無理矢理連れてきてしまったし……嫌な思いはしなかったか?」
「うん。やっぱりあたしは窮屈な衣装や人が多いところ、上品な味つけの料理は少し苦手ってことがわかった。芸術の話もさっぱりだし」
「うっ。そ、そうだよな……」

 あいかわらずリヴィアは歯に衣を着せない。裏表のないその素直さが彼女の魅力の一つだし、普段は気にならないことではあるけれど、酔いが回っている今のカーヴェには致命傷だった。やはり、自分のせいでリヴィアに不快な思いをさせてしまったのだ、と。
 しかし、軽く落ち込んでしまったカーヴェに「でも」とリヴィアは続けた。

「カーヴェはこんな仕事をしているんだ。こういう話が好きなんだ。そういうことを知ることができたから、パーティーに参加してよかった」
「えっ? でも、芸術の話はさっぱりだったんだろう?」
「うん。でも、だからって理解したくないわけじゃない。カーヴェの好きなこと。関わっていること。全部は理解できなくても、歩み寄って知っていくことはできるし、そうしたい。だって、あたしはカーヴェと一緒に生きていたいから」
「リヴィ……」
「今日は誘ってくれてありがと、カーヴェ」

 この感覚は何だろう。目蓋の奥が熱くなり、心の奥底が震えてしまうほど幸せなのに、そんな幸福が押し寄せていることを良しとしない自分がいることに気づく。
 いくら手に入れても満たされないような。嬉しいはずなのに傷つけられたような。誰かと一緒にいるのに独りでいるような。脆く、歪な、感覚。
 リヴィアを抱きしめていたはずなのに、気がつけばいつの間にかカーヴェのほうが抱きしめられていた。

「僕は……」
「頭の中がぐるぐるしてるときはなにも言わなくていいよ。傍にいさせて。大丈夫。全部お酒のせいだから」
「……ああ。ありがとう、リヴィ」

 髪を梳かれながら。愛しい心音を聴きながら。カーヴェは目蓋を落とした。その心が抱えているしこりまでもまるごと包み込むように、リヴィアの腕はカーヴェを抱きしめたまま夢の中へと沈んでいった。



 ――そして翌日。目蓋の裏に光の気配を感じたカーヴェは、ゆっくりとそれを持ち上げた。窓から射し込む陽の光が、虹のような色彩を床の上に落とし、室内を光で満たしている。
 その真ん中に佇んでいる恋人の、リヴィアの後ろ姿が、ひどく神々しく見えた。

「リヴィ……」
「あ。おはよ、カーヴェ。具合はどう?」
「……頭が痛いし気持ち悪い。昨日この部屋に案内されてそれから……僕はいつの間に寝たんだ……?」
「……記憶がないのも仕方ない。それもお酒のせい。そもそも、昨日は気を張っていたから疲れたんじゃない?」
「そうか……? 確かにそうだな……」
「もう少し休んでから帰ろう。はい、お水。大丈夫。あたしが外から汲んできた水だからぼったくられたりしない」
「ははは。ドリーならあり得るな。ありがとう、いただくよ」
「うん。どうぞ。ザイトゥン桃も採ってきたから、食べられるようだったらあとから食べて」

 リヴィアはカーヴェに水が入ったグラスを渡すと、窓辺に立って目を細めた。背筋を伸ばし、光を見据える、その姿は。かつて砂漠の神殿の奥深くの壁画に描かれた、気高き女王のようで。

「……リヴィア」

 思わず名前を口ずさむと、光を受けたエメラルドグリーンの瞳は確かにカーヴェだけを映して、酷く柔らかく、輝いたのだった。



(目蓋/まるごと/手に入れても)2024.01.29 END




  • - ナノ -