magic
アルカサルザライパレスを設計するにあたり、宮殿のような広い庭を取り入れたのは、ドリーからの要望である「広く、豪華に」を突き詰めた結果だった。大商人であるドリーに対して人々に畏敬の念を抱かせ、さらに歴史に名を残すほどの美しさと煌びやかさを兼ねるには、庭は必要不可欠だった。植物の専門家であるティナリにアドバイスをもらい、花と緑を植え、噴水とガゼボを一からデザインした結果、アルカサルザライパレスはより完璧なカーヴェの理想になった。
楽園のような庭で、芸術家が集まりパーティーが開かれている。だからきっと、自分の理想は正しかったのだろうと、カーヴェは少しばかりの安堵感を得ていた。
――パーティーが始まってから早くも一時間弱の時間が経過しようとしている。パーティー会場となっているアルカサルザライパレスを設計したカーヴェの元には、一言言葉を交わしたいと願う芸術家たちが次から次へと訪れていた。
その波がようやく終わり、カーヴェはリヴィアを連れてガゼボの下へと移動するとシャンパンを一気に飲み干した。喋り倒してカラカラに乾いた喉に、爽やかな味わいの刺激が心地いい。
「ふぅ。ようやく挨拶回りが終わったな。リヴィ、付き合ってくれてありがとう」
「ううん。あたしはなにもしてない」
「そんなことはないさ! リヴィがいてくれたから会話が弾んだ場面はいくつもあった。ほら、砂漠の風景画を描いている画家や、砂漠の生き物の生態を追いかけている写真家に挨拶をしただろう?」
「あたしはただ自分が知っていることを答えただけ。遺跡と夕日がきれいにおさまる場所も、珍しい動物が現れる場所も、砂漠を案内していたら知っていて当然」
「ああ。でも、それはリヴィだからこそ持ちうる知識だろう。僕だって何度も砂漠を訪れているけれど、リヴィに頼りっきりだからその辺の知識はからっきしだ」
「でも、砂漠の建築物に関してはカーヴェのほうが詳しい」
「それはそうさ。僕は建物やデザインが好きだからな。興味関心が一番の先生だって、よく言うじゃないか。昔、僕たちが一緒に砂漠を旅したときリヴィが文字を覚えたように」
カーヴェは学生時代、リヴィアの案内で砂漠を旅したことがあった。文字の読み書きという教育すら受けられない砂漠の貧しさに衝撃を受け、痛んだ自身の心を慰めるために、カーヴェは旅をする間リヴィアに文字の読み書きを教えた。
リヴィアの吸収の速さは天才と言われ続けていたカーヴェですら目を見張ったもので、旅を終えるころには簡単な物語を読み終えるほどだった。それから数年後。独学で砂漠の歴史や地形を学び、教令院の試験を受け、合格した末に、入学を蹴ったという話を聞いたのも、今では数年前の話だ。
改めて記憶をめぐっていくと、リヴィアと出逢ってから思いの外年月が経っていたのだということに気がついた。その間、いろんなことがあった。
――本当に、いろんなことが。
「うん。あたしは砂漠が好きだし、知らないことを知るのが好き、なのかも」
だから、と一呼吸を置いて、リヴィアはカーヴェを見つめる。その瞳の輝きは、出逢った頃と何も変わっていない。鮮烈なまでの光を宿した、まっすぐな瞳。どんな宝石よりもうつくしいエメラルドグリーンの輝きに、カーヴェは心を奪われたのだ。
「カーヴェのことをもっと知りたい」
「僕? 僕はリヴィになんでも話しているだろう?」
砂漠を旅したさなか、死の危険に遭遇したことは何度もあった。情けなく砂の上で這いつくばったことも、血を流して意識を飛ばしかけたことも、ある。その全てを見られているのだから、カーヴェがリヴィアに対して話せないことはほとんどない。
父の死のこと。母親の再婚のこと。死域のこと。借金のこと。家を失ったこと。学生時代喧嘩別れした元友人の家に転がり込んだこと。
全て話したつもりだが、これ以上なにがあるというのだろう。
「カーヴェさん! リヴィア!」
「あ、ニィロウだ」
その場にいるだけでパーティーが明るく華やぐような声を響かせた少女――ニィロウは、シャンパンが入ったグラスを両手に持ってカーヴェとリヴィアの前に現れた。
大輪の花が咲いたような笑顔は、人々を魅了して注目を集める。ニィロウに注がれる視線には、傍にいるカーヴェたちの姿も映っている。
カーヴェの頭の中で、スイッチが切り替わる。人から見られている。天才建築家のカーヴェを、自分自身が見失わないようにしなければ。
「ふたりとも、楽しんでる? グラスが空だよ? はい、飲み物をどうぞ」
「ありがとう! いただくよ」
「ふふっ。でも、飲みすぎには注意してね。もうすぐダンスの時間なんだから」
「おっと。そうだったな。ほどほどにしておくよ」
「ニィロウも踊るの?」
「もちろんだよ! ほら、きっとここには躍りが得意じゃない人もいるでしょう? そんな人たちのお手本になれるようにお庭の真ん中で踊るの。見逃さないでね!」
人の波の向こう側に消えるニィロウの姿を見送りながら、カーヴェはシャンパンに口をつけた。
ニィロウの言う通り、これを最後にしたほうが良さそうである。自分ではそう思っていないが、周りが言うにはカーヴェ自身はおそらく酒が弱いほうに分類される。酒を飲むと楽しくなり、普段からお喋りな口がさらに饒舌になるうえ、所かまわず何でも書きたくなってしまうのだ。
この場でそのような状態になるのだけは避けたいが、今のふわふわした気分くらいなら大丈夫。むしろご機嫌にダンスを踊ることができるはずだが……尻尾を体に沿わせるように巻き付けているあたり、リヴィアはそうもいかないようである。
「……だってさ」
「……やっぱりあたし、ここで見ていようかな」
「どうしてだよ! 一緒に練習したから大丈夫。ほら、クラクサナリデビ様だ」
草神クラクサナリデビ。またの名を魔神ブエル。そして、彼女を知るものは親しみを込めて名を――ナヒーダと呼ぶ。
邸宅前に姿を現したナヒーダは、ひとりひとりと目を合わせるように庭を見渡したあと、可憐な声でスピーチを始めた。
「みんな。本日はパーティーに参加してくれてどうもありがとう。今まで、スメールにおいて芸術は……」
「リヴィ?」
ナヒーダがスピーチする間、リヴィアの表情は相変わらずかたく、尻尾は体に巻き付いたままだ。緊張、そして不安。それを、取り除くことができるかはわからないけれど。
カーヴェは空になったグラスを戻すと、リヴィアの指と自分のそれを絡め、柔らかく包み込んだ。
「カーヴェ?」
「リヴィアは人が多いところが苦手だし、かしこまった場や衣装にも慣れていないだろう。ダンスなんてもっての他かもしれない。でも……僕はリヴィと一緒にパーティーを最後まで楽しみたいと思うよ」
「さあ、みんな。パートナーと手を取り合って。ただ楽しむことだけを考えてちょうだい。花笑むひとときを作るのは、あなたたち自身よ。一人一人が咲き誇る花となり、パーティーを彩りましょう」
――僕を信じてついてきて欲しい。そんな魔法をかけるために、カーヴェはリヴィアの手を軽く持ち上げる。
「僕と踊ってくれませんか?」
そっと身を屈め、手の甲に唇を落とす仕草をする。普段はしないような気取った仕草ができるのは、パーティーが持つ不思議な力のせいかもしれない。
そして、魔法にかけられたリヴィアもまた、美しく微笑む。
「……うん。喜んで」
そしてふたりは、パーティーを彩る一対の花になるのだった。
(不思議な力/信じて/見つめる)2024.01.28