impossibility


 スメールのローカパーラ密林の奥深く、崖の上に静かに佇んでいる豪華絢爛な宮殿――アルカサルザライパレス。宮殿の庭には、艶やかな紫色の花が咲き、美しい鳥が歌い、清らかな水が流れている。
 小さな楽園のようなこの場所に、煌びやかな装いに身を包んだ男女が集っている。カーヴェとリヴィアもその中の一組である。
 リヴィアは庭園の入り口で立ち止まると、アルカサルザライパレスを見上げて呟いた。

「まさかこんな形でアルカサルザライパレスを訪れるとは思わなかった」
「リヴィは初めてだった?」
「うん。外から見たことはあるけれど、中に入るのは初めて。だって、こんな煌びやかな世界はあたしとは無縁の場所」
「いいえ。 決してそのようなことはありませんわ」
「この声は……!」

 一度聞いたら忘れられないような鮮烈かつ怪しげな声とともに現れたのは、宝石や貴金属が散りばめられた豪華な装いに身を包んだ小柄な女性――ドリー・サングマハベイ。カーヴェにとって、切りたくても切れない縁で結ばれている、その人だった。
 カーヴェとドリーの関係は、簡単に言うと『モラを借りた人』と『モラを貸した人』だ。しかも、ドリーは借金の取り立てに関して容赦ない。毎月期日になると一モラ、そして一分たりとも待ってはくれないのだ。そして、彼女と取引をするとなると、必ず無傷では終わらない。
 そのような経緯と内情を知っているため、不意な邂逅にカーヴェが思わずたじろいでしまうのも仕方がなかった。

「ど、ドリー……いたのか……」
「当然でございますわ。今回のパーティーの開催場所を提供し、多くの協賛をしたのはこの私。大商人のドリー・サングマハベイですの。今日ここに集うのは名の知れた芸術家ばかり。ふふふ、参加者の顔がみーんなモラに見えてきますわ」
「……なんのメリットもなくあなたがこの宮殿を解放するなんておかしいと思っていたんだ。商談の場とコネクションを作るためか……」
「当然でございましょう? 転がっているビジネスチャンスは逃しませんの。ささ、あなたにも名刺をさしあげますわ」

 ドリーは名刺を取り出すと、礼儀正しく両手を添えてリヴィアへと手渡した。
 金の箔で飾られている名刺は刷るのに何モラするのだろう。少なくとも自分の名刺の倍以上のモラはかけられていそうだと思いながら、カーヴェはふたりの会話を見守った。

「改めまして、私の名前はドリー・サングマハベイ。スメールで旅商人をしておりますの」
「……あたしはリヴィア。アアル村で砂漠の案内人をしてる」
「ええ! 存じていますわ! 広大な砂漠の隅々まで熟知している上に、エルマイト旅団の優秀な傭兵に匹敵するほどの戦闘力をお持ちですとか。砂漠のお宝をっおっほん! ……商売のために砂漠に入る際はぜひとも同伴をお願いしたいですわ」
「おい! リヴィをあなたの胡散臭い商売に巻き込まないでくれ!」

 思わず会話に割り込むと、サングラスの奥からドリーの鋭い視線が飛んできた。

「あーら? カーヴェ。債権者の前ではおとなしくなさったほうがよろしいのでは?」
「ちょ、声が大きい。僕の借金の話は関係ないだろう? リヴィは僕の恋人だ。恋人が怪しい商売に巻き込まれようとしていたら、誰だって普通は止めるだろう?」
「あらあらあら! パーティーに一緒に来られていると思っていたら、なるほどなるほど、おふたりはそのようなご関係でしたの」
「ああ! しまった!!」

 リヴィアとの関係を隠したいわけではない。ただ、ドリーにだけは知られたくなかった。恋人という強みにも弱みにもなる人物の存在を握られると、今後どのような取引を持ちかけられるか、揺さぶりをかけられるか、わかったものではない。
 カーヴェが頭を抱えている傍らで、じっと名刺を見ていたリヴィアは静かに頷いた。

「……いいよ。相当の報酬さえ払ってくれれば、砂漠の果てへでも案内してあげる」
「リヴィ!」
「ほほう! お話がわかる方で助かりますわ。では、この件はまたの機会に。本日はこのアルカサルザライパレスで開かれるパーティーをどうぞお楽しみくださいませ!」

 高らかな笑い声を残し、ご機嫌なステップを響かせながら、ドリーはカーヴェの前を去り別の出席者へと声をかけに行った。

「リヴィ! なんてことを!」
「あたしの仕事はふたつだけ。一つ目は雇い主の行きたいところまで案内すること。二つ目は雇い主を守ること。それだけ。それ以外には何も干渉しない」
「それでもなぁ、相手はあの悪徳商人だぞ」
「そう? カーヴェからいろいろ話を聞いていたからどんな人か警戒していたけど、想像していたほどじゃなかった。むしろ、潔いくらい真っ直ぐな人だと思う」
「はぁ!? 何をどうしたら彼女を見てそんな感想が出てくるんだ!?」
「勘。ただ純粋にモラが好きな人。そんな印象」
「いやそれが問題だろう……」
「それに、あの人の前では猫を被っていたほうがカーヴェにとっても都合がいいかもしれないでしょう?」
「それはそうだけど、まさかそのために……?」
「さあね」

 リヴィアはとぼけるように笑ったあと「そろそろ行かなくていいの?」と首を傾げた。

「そうだな。気を取り直して、そろそろ受付を済ませよう。挨拶をしておきたい人が何人かいるんだ。それに、僕に挨拶をしに来る人もいるだろう。リヴィ、ついてきてくれるか? 大丈夫。隣でニコニコしてくれているだけでいいから」
「うん。わかった」

 コツ、コツ、コツ。ぎこちないヒールの音が、カーヴェのあとをついてくる。
 リヴィアがもともと持っていた体幹の強さと身体能力の高さがあり、ヒールをはいてもすぐに歩けるようにはなったものの、人並みにというわけにはいかないようである。ましてや慣れないこの場所で、いつもと同じように振る舞えというほうが難しいことは、カーヴェも理解している。
 ――だから。

「さあ、お手をどうぞ」

 カーヴェが手を差し出すと、リヴィアはたどたどしく、けれども素直に、同じものを重ねた。その手の小ささに、胸の奥がきゅっと締まる。
 これは、リヴィアが全てを許している証。信頼されている証。
 この手を委ねられるものは自分以外には存在しないのだと、そう考えると本当に――愛おしい想いが募るばかりだった。



(無傷/存在しない/愛おしい)2024.01.24




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