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 スメールシティの中心に近い場所に位置する、長い歴史を持つ喫茶店――プスパカフェ。店内の一番奥の席に腰を下ろしている男女の名はカーヴェとリヴィア。一般的な形でふたりの関係に名前をつけるとしたら、れっきとした恋人同士である。
 にもかかわらず、今のふたりの間に甘い空気感はない。リヴィアはいつも通りの自然体だが、カーヴェはどこか緊張しているような面持ちでリヴィアの様子を伺っている。

「パーティー?」

 運ばれてきたコーヒーをふうふうと冷ましながら、リヴィアは首を傾げた。
 カーヴェ自身も熱いものは苦手だが、目の前にいる彼女は見た目通り、それ以上の猫舌だった。それでも、コーヒーは嫌いではなく寧ろ好きなほうだという。
 生まれも、住んでいる場所も、職も、種族すら違うふたりだが、食においては本当に気が合って、店を選ぶのにも頼むメニューにも困らない。
 リヴィアの頭部に生えている大きな耳を見てクスリと笑みを零しながら、カーヴェは「そう」と相槌を打った。

「スメールで活躍する芸術家を招いて開催されるパーティーだ。クラクサナリデビ様がスメールの統治者として戻られてから、今まで重要視されていなかった芸術が注目を浴び始めた。そこで、芸術家同士の交流や情報収集を兼ねたパーティーが開かれることになった、ということだ。僕はもちろん招待されたし、他には……リヴィが知っているところだとニィロウも出席するらしい」
「ふーん」
「……興味がなさそうだな」
「うん。カーヴェやニィロウがすごい人だってことはわかってるけれど、砂漠で生まれたあたしには芸術なんてわからない」
「相変わらずストレートだな……」

 カーヴェは目を閉じて、深く息を吐く。
 これから話そうとしていることを考えると、リヴィアの反応は先行き不安でしかない。しかし、だからといってこれをリヴィア以外の女性に頼むことは考えられなかった。今、言わなければ。
 覚悟を決めて、カーヴェは口を開いた。

「そこで、リヴィにお願いがあるんだけど……」
「なに?」
「その……パーティーに僕と一緒に出席してくれないか? このパーティーではパートナーの同席が必要で……」
「嫌」
「……だよな」

 予想通り、一刀両断である。
 砂漠という広大な大地で赴くままに生きてきたリヴィアが、マナーや社交に縛られたパーティーに出席することに対して、頷いてくれるかという不安はあった。断られた場合の未来も予想していた。いや、その未来に天秤が傾く確率のほうが高いことを覚悟していたはずなのに、いざそのときになると気持ちが沈んでしまう。
 はぁ、とため息をつきながらカーヴェはコーヒーを啜った。口にするタイミングを逃していたせいで、ずいぶんと温くなっていた。

「カーヴェにはあたしの耳と尻尾が見えないの? 芸術家の集まりなんてそんな場所に、砂漠の獣を連れて行ったりしたら、カーヴェの評価に関わるでしょ」

 カーヴェはコーヒーカップをテーブルの上に戻すと、リヴィアに視線を注いだ。涼しげな表情は変わっていないが、大きな耳と長い尻尾はぺたんと垂れている。まるで存在が目立たないように、と。
 大きな耳と長い尻尾を持つリヴィアは、カラカルという砂漠に生息している種族の獣人である。リヴィアはかつて卑しい砂漠の獣と蔑まれながら、非道徳的なことを行ってでもその日を生き延びてきた。
 カーヴェが学生時代のころにふたりは出逢い、砂漠を旅したことをきっかけに、前を向いて生きていこうと思えるようになったようだが、今の彼女の様子を見るに、心の奥底にある砂漠の獣という意識は消えていないのだろう。雨林と砂漠が歩み寄り始めたとはいえ、リヴィアが言う通り、偏見を持った者はすぐに減るわけではないのだ。

「それが一緒に行きたくない理由か?」
「うん」
「なんだ……僕と一緒にパーティーに出ることが嫌なわけじゃないのか」

 テーブルの上でかたく結ばれていたリヴィアの両手を、カーヴェはそっと包み込んだ。相変わらずリヴィアの表情は変わらない。しかし、ピクリと震える耳と、穏やかに揺れる尻尾は正直だ。リヴィアの心をそのまま反映している。

「それならなおさらリヴィと一緒がいい。今まで雨林と砂漠は隔てられていたけれど、クラクサナリデビ様は砂漠の民にも手を伸ばそうとされている。リヴィが参加してくれたら、あのかたも喜ばれると思う」

 それに、とカーヴェは微笑んで告げる。

「僕にとって大切な催し物に、大切な人と一緒に出ることができるのは、本当に嬉しいことなんだ。 僕のパートナーはこの人だって、みんなに知ってもらえるいい機会でもあるからな」
「……カーヴェはあたしが一緒で恥ずかしくないの?」
「恥ずかしいって……何が?」
「……ううん。なんでもない」

 ようやく、リヴィアは微笑んだ。木漏れ日が射し込むように、あたたかく、柔らかに。その笑顔を向けられると、カーヴェの心の中までもがじんわりとあたたまり、満たされていく。今ここが人目につかない場所だったら、きっと思う存分抱きしめてしまっていたことだろう。
 カーヴェにとってリヴィアとはそういう存在なのだ。ただそこにいるだけで、かたくなった心が柔らかくなるような。例えるなら精神安定剤。あるいは飼い猫のようだと、そう言ったらリヴィアは尻尾の毛を逆立てるかもしれないけれど。

「わかった。カーヴェと一緒に行く」
「よかった! ありがとう、リヴィ! 衣装なんかは僕が手配するから気にしないでくれ。リヴィの美しさを最大限に行き立てる衣装を見繕うことを約束するよ」
「そんなに気合いを入れなくてもいいのに」
「気合いも入るさ! 女性にとって衣装は重要だろう? リヴィのスレンダーな体系を生かせるようなデザインがいいな。色は赤。アクセサリーは褐色の肌にも映えるゴールドで、踊るためにヒールは低めのほうがいいかもしれないな。忘れないうちにスケッチを」
「……待って」

 持ち歩いているスケッチブックに羽根ペンを走らせようとしたところで、リヴィアの声がテーブルの向こう側から飛んできた。心なしか、先ほどよりも声が低い。

「今なんて言った?」
「え? 『ヒールは低めがいいかな』って言ったけど」
「その前」
「その前だと……『踊るために』?」
「……踊らないといけないの?」
「それはそうだろう。今回のパーティーにはダンスイベントがあるからな。だからパートナーの同伴が必要で……あれ? 伝えていなかったか?」

 これは確信犯ではない。本当に伝え忘れていたのだと弁解したら、リヴィアはその恨めしそうな眼差しを和らげてくれるだろうか。

「……やっぱり出席するのやめようかな」
「ああっ、待て! 待ってくれ! ごめん! ほら、好きなものを好きなだけ頼んでいいから、そう怒らないでくれ……!」

 バクラヴァ、ナツメヤシキャンディ、パティサラプリン、ローズシュリカンド――。
 そっぽを向いてしまったリヴィアの機嫌が直るまで、プスパカフェのテーブルには延々とメニューが運ばれてくることになるのだった。



(目を閉じて/じんわり/息を吐く)2024.01.22




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