被害者の会


(また始まった)

 紙パックのイチゴオレをちゅうっと吸いながら、蛍は密やかにため息を吐き出した。その視線は、双子の兄である空と友人の綾華の三人で話している輪の向こう側に向けられている。
 蛍の鮮やかな金色の瞳に映っているのは、トーマとせつなの姿だった。ふたりは教室の一番後ろにあるロッカーにもたれかかって談笑しているようだが、何かの流れでトーマがせつなのほうへと手を伸ばしたところ「近づかないでください」と、身体を一歩引かれてしまったのだ。
 ときには温和で懐っこい忠犬のようで、ときには冷静で頼りになる番犬のような、そんなトーマはゴールデンレトリバーに少し似ている。もしも今、彼に耳と尻尾があったなら力なく垂れてしまっていることだろう。
 しかし、ここで終わるわけがないことを蛍は知っていた。普段のトーマとせつなのやり取りを見ていたら、今からの展開が容易に予想できる。
 ほら。せつなは慌てた様子で首を横に振って、弁解の言葉を探している。

「あっ、ごめんなさい。えっと、違うんです。あの、今日は乾燥しているでしょう? こういう日は静電気が起こりやすくて」
「ああ、なるほど。静電気体質、ってやつかな?」
「そうかもしれません。ドアノブに触って静電気が起こるのは日常茶飯事だし、指先が触れ合うだけでもバチッとなることが多いから」
「だから、オレに近寄ってほしくない……と」
「そう。痛いのは嫌でしょう?」
「別にオレは気にしないけどなぁ」
「わたしが気になります。だから、その……」

 せつなは半歩、トーマから離れた。すると、離れた距離の分だけトーマが空間を詰める。嫌で拒絶されたわけではないと知ったトーマの顔には、少しだけ悪戯っ子の笑みが浮かんでいた。

「トーマさん、あの、近い……」
「嫌?」
「嫌じゃない、です、けど」
「でも、オレが近付いたら同じだけ逃げてる」
「それは、痛い思いをしてほしくないからで……あっ」
「捕まえた」

 トーマの手が、せつなの指を捉えた。華奢な指先一本一本の隙間に、一回り以上も太い指を一本ずつ差し入れて、ぎゅっと絡める。
 せつなは反射的に目を瞑ったが、恐れていた痛みはやってこない。恐る恐る瞼を持ち上げ、トーマの左手としっかり絡まっている自身の右手を不思議そうに見つめる。

「あら?」
「ほらね。大丈夫だっただろう?」
「本当ですね。でも、どうして……?」
「静電気が起きそうなものって、つい恐る恐る触ってしまうだろう? それだと静電気が流れる箇所が一点に集中してしまうから、痛い思いをすることになるんだ。だから逆に、思い切り触ったほうがいいってことさ」

 にぎ、にぎ、と戯れるように指先に力を入れる。せつなの表情から緊張が抜けて、いつもの笑顔が戻ってきた。

「ほら、しっかり触れ合っていたら何ともないだろ?」
「……うん。そうですね。ふふっ。それに、トーマさんの手のひら、すごくあたたかい」
「そうかい? オレはもともと体温が高いんだ。これから寒くなってくるからね。あたたまりたくなったらいつでも手を貸すよ」
「ふふふ。まるでポカポカのカイロみたいね」

 ……あまい。まるで口の中に砂糖の塊を突っ込まれでもしたかのように、あまい。飲んでいるイチゴオレ以上に、あまい。

「蛍ー!」

 空になった紙パックを蛍がゴミ箱へと投げ捨てたとき、教室の入り口から溌溂とした明るい声に名前を呼ばれた。その声は教室中によく響き、空と話していた綾華も会話を止めた。

「あら? 蛍さん。隣のクラスの宵宮さんがお呼びですよ」
「うん。行ってくる」

 席を立って、宵宮の元へと小走りに向かう。宵宮の手元には世界史の教科書があり、それには蛍の名前が書かれている。

「蛍! 借りていた教科書、返しにきたで。うち、時間割が変わったことすっかり忘れてしまってたんよ。おおきにな。助かったわ」
「ううん。今日は使わない日だったから」
「それならよかったわ! ……ん?」

 教科書を返した宵宮は大げさに目を細めると、蛍の肩越しに教室の中をじっと見ている。正確には、教室の片隅で仲睦まじく戯れているトーマとせつなを見ている、だが。

「んんんん!? トーマとせつな、えらい仲良しやなぁ。前に聞いたときはせつなから否定されたんやけど、もしかしてとうとう付き合い始めたん?」
「うん。……と言いたいところだけど、違うよ」
「へっ?」
「今はまだ、ただのクラスメイト……だと思う。あれがふたりの普通。付き合ってないって思ってるのは、たぶん本人たちだけ。クラス全員でふたりを見守ってるよ」
「……それは、うん、蛍たちも大変やな」

 理解を示してくれる宵宮に深く頷きつつも、蛍は笑った。

「こんなにヤキモキさせられてるんだもん。ふたりが付き合うことになったら、派手にお祝いしちゃっていいよね?」
「ええな! 黒板に相合傘でも描いたれ!」
「あははっ! トーマは喜びそうだけど、せつなはきっと真っ赤になって爆発しちゃうね」

 蛍と宵宮の笑い声も、きっと当のふたりには届いていない。相も変わらず教室の片隅にはただ甘いだけの空間があり、ふたりを周りから切り離してしまっているのだから。



(クラスメイト/番犬/また始まった)2023.10.05





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