図書館の君


 『今年の一年生はレベルが高い』

 クラスメートたちがそう話していたことを、ふと思い出した。彼らがいうレベルというのは、もちろん見た目、容姿の話である。まったく下世話なことだ、と鼻を鳴らしながら遠巻きに会話を聞いていたが、入学式を終えた新入生たちが体育館から出ていく姿を教室から眺めていると、全体的に華やかだったように感じたのは確かだった。
 なにせ、今年は神里綾華という群を抜いた美貌を持った少女が入学してきたのだから、彼女がそこにいるだけで場が華やかになるのは事実だ。噂によると、容姿の美しさだけではなく文武両道の優等生で兄は会社の社長だという。まるで少女漫画に登場するヒロインを描いたかのような人物なのだ。レベルが高い、で言い表せるような人ではない。一般人には近寄りがたい、例えるならば高嶺の花だ。
 他にも、目立つ新入生は何人か見かけた。例えば、いつも綾華の傍にいる金髪の男。顔立ちにどこかあどけなさを残してはいるが、少年とは呼べない体格をしていた。クラスメートの女子が「かっこいいし人懐っこくて優しそう!」と黄色い声を上げていた記憶がある。そして金髪といえば、顔立ちがよく似ている男女の双子も新入生だったはずだ。
 少し思い出すだけでもこれだけいるのだから、上級生たちが色めき立つのも無理はない。

「あの子の連絡先聞けるかな?」
「お前がいってこいよ」

 これは、とある男子生徒たちの会話。

「うちの部活に入らない?」
「先輩マネージャー、可愛い子いっぱいいるよ〜」

 これは、新入生を勧誘する女子生徒たち。
 まったく、我先に唾を付けようとする生徒ばかりだ。
 少年はため息をつきながら、図書室に入るために学生証をかざした。そして、カウンターの向こうの席に着くと、来月に発行する図書新聞を作るためにパソコンを開く。この時間帯は人が少ない。今のうちに終わらせてしまおう。
 カタカタとキーボードを打つ音が、夕焼けが差し込む図書室に満ちる。集中しているつもりだが、視線は画面右下の時計を何度も確認してしまう。
 おそらく、もう少ししたら。
 そう思った直後、ピッという小さな電子音が聞こえてきた。急いで顔を上げて入り口を見ると、一人の少女が図書室に入ってきたところだった。
 ふと、視線が絡む。ドッドッドッ、とうるさい心臓を悟られないように平静を装って会釈だけすると、少女も目尻を微かにやわらげて会釈を返してくれた。
 やっぱり、この時間に現れた。
 たおやかな黒髪と、不思議な色の瞳。どこか儚げな姿を持った少女を図書室で見かけたのは、一ヶ月ほど前のこと。入学式が終わってしばらく経ってからのことだった。いつものようにカウンターで図書委員の仕事をこなしていると「本を借りたいのですが」と、控えめに一冊の本を持ってきた。それが、初めて少年が少女を認識したときだった。
 あの日以来、少女は毎週決まった曜日の放課後に借りた本を返しに図書室へとやってくる。そしてまた、新しい本を借りていく。そのやり取りをする瞬間が、少年と少女の唯一の接点だった。

(今日は、本の貸し出し以外のことで話せるだろうか)

 パソコンに集中しているふりをしつつ、少年の頭の中は緊張でいっぱいだった。クラスメートたちが新しい出会いに沸いているように、自分もまたあの少女とお近づきになりたいと思っている自覚はあった。いわゆる、恋心を抱く一歩手前まできているのだろうと思う。
 きっと、少女にとって自分は『カウンターで図書委員の仕事をしているいつもの人』という程度の認識だろう。それでもいい。まずはお友達からでもいいから、彼女との接点を増やしたい。

「あの、すみません」

 落ち着きのある柔らかい声が降ってきて、目の前に意識が戻ってきた。ずっと見てた少女が目の前にいる。話を広げるなら今だと、なけなしの勇気を振り絞る。

「は、はい」
「この本を借りたいのですが」
「わかりました。学生証と本をこちらへ……」

 学生証と本を受け取り、不自然にならない程度に視線を向けた。学生証には月下せつなという名前が刻まれている。学生証に使われている証明写真に写っている少女の目元は、少し緊張しているように見えた。大和撫子という言葉が似合う雰囲気と出で立ちをしているどこか古風な少女だが、借りている本はいわゆるライトノベルに分類されるラブコメのようで逆に親近感が生まれた。

「この本、面白いですよね」
「えっ、あ、はい」
「僕も読んだことがあるんです。話のテンポがいいから続きがどんどん気になって、あっという間に読み終えてしまって」
「そうなんですね。わたしはこの出版社をおすすめしてもらって、ジャンルを問わずいろいろ読んでみているところなんです」
「ああ。八重堂ですね。確かに、若者から年配のかたまで評判はよかったかと」

 なかなかいい調子じゃないか? と自画自賛しながら少年は少女――せつなとの会話を続ける。この調子で、連絡先を聞き出すことはできないだろうか。おすすめの本を紹介したいからとか、もっともらしい理由をつけて下心を隠せば大丈夫なはずだ。
 緊張でカラカラになった唇を下で軽く舐める。そして、勇気を出して口を開いた。

「よかったら、僕が……」
「せつな!」

 せつなに声が届くかどうか、という絶妙なタイミングで図書室の入り口が開いた。まるで犬のような人懐っこい顔を浮かべている金髪の男だ。少年はその顔に見覚えがあった。確か、女子たちが噂をしていた男だ。近くで見ると本当に体格がいいし、背が高い。上級生でもないのに制服を着崩しており、それが様になっている。せつなの隣に並ぶと、頭ひとつ分ほどの身長差があり、とても絵になっていた。
 せつなはパッと眉を上げて笑うと、男の名前を呼んで彼を迎えた。

「トーマさん」
「本は借りられたかい?」
「はい。今借りようとしているところです。トーマさんからおすすめしてもらった出版社の本、どれも面白くって。いつもどれを借りるか迷ってしまうの」
「じゃあ、来週はオレも一緒に図書室に来るよ。せつなが好きそうな本を一緒に選んであげる」
「わぁ、いいんですか? ありがとうございます」
「ああ、もちろん。それで、今日せつなが借りた本は?」

 まるでガラス一枚隔てられた向こう側の会話を聞いているように現実味がなく、脳が考えることをやめてしまっていた。しかし、二つの視線が自分に向いていることに気がついた少年は、慌てて本のバーコードを機械に読み込ませてせつなへと返す。

「お、お待たせしました」
「はい。ありがとうございました」
「じゃあ、帰ろう。せつな。お嬢も待ってるよ」

 ぺこり、と小さく頭を下げたせつなはトーマと共に図書室の入り口へと向かった。その後ろ姿を見送りながら、深々とため息をつく。まさか彼氏持ちだったなんて。淑やかで控えめな雰囲気だからてっきりフリーだとばかり思っていた。勝手に淡い期待を持っていた自分自身を戒めるために、仲睦まじく話している二人の後ろ姿を目に焼き付けていると。
 金の毛先が僅かにかかっている若草色の瞳が一瞬だけ鋭く尖り、こちらを捉えた。
 それも瞬いている間だけのことだった。瞳の鋭さはすぐに緩み、細められた目尻からは笑みが落とされる。きっと、トーマに対して黄色い声を上げていた女子たちが見たら、卒倒してしまうだろう。しかし、それが何を意味しているのか、わからないほど鈍いつもりはなかった。

「あれのどこが人懐っこくて優しそうだって?」

 あんなにも柔らかで、それでいて背筋が粟立つ牽制もあるのだと、少年はひとつ学んだのだった。



(いつもの人/ずっと見てた/お友達から)2023.08.25





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