悋気の手懐け方


 タンッ!
 グラウンドの端に建てられた弓道場のほうから、乾いた高い音が聞こえてきた。放課後のグラウンドでサッカーを楽しんでいた空は、一緒にボールを追いかけていたクラスメイトのトーマの視線に気づき、弓道場のほうへと足を向けた。
 矢道を挟んだ矢取り道の反対側には、フェンス越しではあるが弓道を観覧するための席が設けられている。そこにトーマと並んで腰を落とすと、またすぐにタンッ! という、矢が的を射抜いた音が聞こえてきた。

「トーマ。弓道部に知り合いでもいるの?」
「ああ。確かこの前、せつなが弓道部に入ったと言っていたんだ。だからもしかしてと思ったけれど、ほら」

 観覧席に一番近い射位には、道着を身に纏ったせつなが立っている。宵色の長い髪は高い位置に結い上げられており、切り揃えられた前髪から覗く月光色の瞳にはいつもの柔らかさはなく、研ぎ澄まされた光が宿っている。
 肩幅に開かれた足はしっかりと道場の床を踏みしめ、二本持っているうちの一本の矢を弓へと番える。そして弓と弦、それぞれに馴染ませた両手を額より少し高い位置まで持ち上げて、左右水平に肩を開き、弓を引く。
 息遣いさえ聞こえてしまうような張り詰めた静寂の中に、弦が軋む音が響くこと、数秒。放たれた矢は吸い込まれるように真っ直ぐに的へと飛んでいき、高い音を立てて中心を射抜いた。

「綺麗だな……」

 自覚して言っているのか、もしくは無意識か。おそらくは後者だろう。トーマの視線の先には相変わらずせつなしかいない。せつながゆっくりと弓を倒し、二本目の矢を射るための動作に魅入っているのだから。

「せつなって新入部員だよね? もうあんなに弓が引けるの?」
「……」
「……トーマ」
「……ん?」
「……聞いてないし」
「えっ? ああ、ごめんごめん。せつなのこと?」
「うん。せつなは新入部員とは思えないくらい弓が上手いみたいだけど、経験者かなにか?」
「ああ。彼女の家は道場をしているらしい。だから、幼い頃からいろんな武道を習っていると言っていたよ。その中でも剣道と弓道が特に好きらしくてね。この学園の弓道部は家より設備が整っているから、入部を決めたらしいんだ」
「へぇ。家でもできるのに学校でもやりたいなんて、よっぽど好きなんだね」
「ああ。せつなが弓を引いている姿を見ていたら、なんだかオレも弓道部に入ってみたくなったよ。体験入部してみようかな? ハハッ!」
「……本音は?」

 にたりと笑いながら、少しだけ意地悪な質問をする。すると、トーマは視線を泳がせて微かに朱が滲んだ頬を指先で掻いた。

「一緒にいない時間に、せつなが誰かにとられないか心配でさ」
「確かに。ほら、奥にいる男子部員もせつなのことを見てる。少し敵が多すぎるかもね?」
「うっ、焦らせることを言わないでくれよ。嫉妬なんて格好悪いことはしたくないんだ」
「格好悪くったっていいと思うけど……そんなに好きなら告白したらいいのに」
「いや……それはまだ……入学して数ヶ月も経っていないし……確かによく話してくれるけど、せつなはオレのことを友達としか思っていないだろうし……」

 トーマらしくない、と空は思った。意外だったのだ。入学してから友達になった空にもわかるくらい、トーマは何事もそつなくこなし、社交性が高く、友好的で要領がいい。加えて目立つ爽やかなルックスときたものだから、今までさぞモテてきたのだろうと勝手に思っていた。
 しかし、目の前にいるクラスメイトはたったひとりの好きな女の子相手思いを拗らせ、前に進めないでいる。まるで初恋に踊らされている少年のように。
 何もかも杞憂なのに。クラスメイトとして、普段からトーマとせつなを客観的に見ている空は笑った。

「本当にそうかな?」
「えっ? あ」

 トーマの短い声が、矢が宙を切る音にかき消された。せつなが放った矢はまた的を射抜くと思われたが、矢は的枠を掠めて安土へと刺さったのだ。

「しまった。少しうるさくし過ぎたみたいだ。行こう、空」

 観覧席を立ったトーマの背中と、射位に残っているせつなの赤くなった耳を見比べて、空は笑う。
 好きな相手からあれだけ熱烈な視線を向けられたら、経験者だって緊張して的を外してしまうのも無理はないだろう、と。



(敵が多すぎる/視線の先/聞いてない)2023.10.09





- ナノ -