深海の星

 ――夜の海が、好き。辛いことを思い出すこともあるけれど、夜空を見上げれば、たくさんの星が、海を照らしてくれているから。

『ランターン』

 何よりも柔らかい声が、わたしの名前を呼んだ。

『何をしているの?』

 何よりもあたたかい手が、わたしの体に触れた。

「星を、見ていたの。星を見ながら、昔のことを少し思い出していたの」
『そう……本当。今日は星がとても綺麗ね』

 何よりも優しい笑顔が、わたしに向けられた。

「レイン。大丈夫なの?」
『何が?』
「夜のこんな時間に、こんなに暗い海に膝まで浸かっているなんて。シンオウ地方を旅する前だったら、震えて泣き出すくらいだったのに」
『ふふっ。そうね……そうだったわね』

 何がそんなに可笑しいのか、レインはクスクスと笑っている。レインのことはずっと昔から知っていたし、何でもわかっているつもりでいたけれど、今のレインが何を考えているのかどうしてもわからず、小さい疎外感を覚えた。
 少しだけふてくされたようにそっぽを向くと、レインは両手を合わせながら「ごめんなさい」と言って、そのまま首を傾げた。

『ねえ、ランターン』
「何?」
『ダイビングをしない?』
「え?」
『ダイビング。私を海の中に連れていって』

 ……いよいよ、わたしは心配になってきた。こんな真夜中に、レインは寝ぼけているのだろうか。それとも、どこかに頭でもぶつけたのではないだろうか。シンオウ地方を旅している間、洞窟という洞窟すべてに怯え、波乗りをするにも半泣き状態だったレインが、ダイビング、なんて。
 わたしの心情を察したのだろう。レインは心配ないとでもいうように、ゆっくり首を振った。

『あなたと一緒だもの。暗闇も海も、怖いなんて思うはずがないわ』

 レインのことを知っていれば、どれだけ鈍くたってわかるだろう。これ以上の信頼に値する言葉はない。

「しっかり掴まっていてね」
『ええ』

 レインが背中に体重をかけたことを確認すると、わたしは薄い水の膜を張った。浅瀬の水をかき、沖へ、沖へ、ゆっくりと泳いでいく。本当にレインは恐怖を感じていないらしい。震えるどころか、リラックスした様子でわたしの体に体重をかけている。

「潜るわよ」
『ええ』
「せーの」

 ――ざぶん。視界が一気に暗くなる。海に住んでいるポケモンたちもすでに眠っているのだろう。とても、静かだ。
 実をいうと、わたしは夜の海に潜ることがあまり好きではない。この静けさ。暗闇。まるで深海にでもいるような感覚になるからだ。
 明かりを、灯そう。
 わたしがライトを輝かせると、背後から小さな歓声が上がった。

『綺麗。やっぱり、夜の海だとよく見えるわね。わたし、ランターンの光、すごく好きなの。小さい頃から、ずっと、大好きなの』
「ずっと、なんて言って。わたしのことなんて十年近く忘れていたのに」

 照れくさくて、少しだけ意地悪な言葉を返してしまった。でも、レインは「そうね」と笑って、後ろからわたしの光に手を重ねた。

『でも、記憶がなかった十年の間、夜の海を眺めていたら、とても綺麗な光の瞬きが見えることがあったの。嫌なことがあっても、海の中のお星さまみたいな光を見ると全部忘れられて、また頑張ろうって思えた。今思えば、あれはランターンの光だったのね。私があなたのことを忘れてしまっている間も、あなたはずっと私の傍にいてくれたのね』
「レイン」
『ありがとう。何回言ってもきっと足りない。だから、何回でも言いたいの。私をここまで導いてくれてありがとう。ランターン。大好きよ』

 ありがとう、は、こっちのセリフだ。
 レイン。あなたの声、手、笑顔。あなたを構成する一つ一つに、わたしがどれだけ助けられてきたかわからないでしょう?
 わたしにとって、あなたが一番のお星さまなの。
 レインがわたしといることで暗い海を克服できたように、わたしももう深海を恐れることはないのだろう。だって、わたしはもう、自分自身の力で輝けるのだから。



star of deep sea END 2014.06.08


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