深海の悪夢

 眠っていた意識が浮上してきた。瞼を開ける。まだ眠ってからそう経っていないように感じたけれど、水温が高いし水面は明るい。遊び疲れて熟睡していた上に、昼まで寝過ごしてしまったのだろうか。
 まだ眠っていたいという思考を遮断して海面を目指す。いつになっても顔を出さないとシャインに心配をかけてしまう。
 海面に近付くにつれて、違和感と不安感がふつふつと浮かんできた。あたたかいのではなく、熱い。明るいのではなく、眩しい。
 どうしてこれを太陽のあたたかさと勘違いしたのだろう。海面を照らし水温を上げていた原因は、燃え盛る炎だったのだ。

 島が、燃えている。島が、森が、家が、そこに住んでいる人が、ポケモンが、燃えている。いくつもの命が、消えている。

「シャイン!!」

 考えたくない。考えたくないのに、嫌な考えばかりが次々に浮かんでくる。早く、早くシャインを見付けないと。
 海に油が流れたのだろうか。海にまで炎が回っていて島に上がることができない。海岸沿いに炎を避けながら泳ぎ、島に上がれる場所を探した。
 海崖まできたそのとき、ひときわ強い熱風が崖の上から吹き出してきた。熱風に弄ばれるように、宙に投げ出された二つの影が見える。あれは、「お兄ちゃん」と、リオル。
 助けないと。そう思ったけれど、海に落ちていく彼らとは別方向に、わたしは泳ぎだした。だって、そこには。

「シャイン!!」

 シャインが、ドンカラスに連れ去られていく。正確には、ドンカラスに乗っている男に、だ。
 わたしがいる海面から、ドンカラスが飛んでいるところは遠くて一瞬しかわからなかったけれど、まだ若い男だった。魂が抜けてしまったように呆然とするシャインを捕まえて、あいつが、シャインを、連れ去っていった。
 相手が誰で、どんな奴かなんて関係ない。

「待って……いかないで……!」

 わたしの光を、連れて行かないで。

 それからは、無我夢中だった。東の空へ飛んでいくドンカラスを追いかけて、東へ東へと、一心不乱に泳いだ。深夜前の暗い海を、ひたすら、ひたすら泳いだ。
 腕は千切れそうで、呼吸だって満足にできなかった。胸が破れてしまうのではないかと思うくらい、苦しかった。でも、今泳ぐことを止めていたらもっと苦しい思いをするに違いなかったのだ。
 ときおり、海面に出てドンカラスが飛んでいる位置を確認しては、開いていく距離に焦りと不安だけが募っていった。

 そうやって、何時間、泳いだのだろう。いつしか雨が降り出していた。
 ドンカラスの位置を確認するため、海面に顔を出したとき、わたしは愕然とした。
 シャインが、落ちている。あの男がシャインをドンカラスから突き落としたのか、シャイン自ら身を放り出したのかわからない。
 ただ、もうすぐシャインの小さな体が空高いところから海面に叩き付けられることは容易に予想が付いた。
 ポケモンでさえ、あんなところから落ちたらどうなるかわからない。ましてやそれが、弱い人間だったら。

「嫌だ……シャイン……シャイン……!」

 空を飛ぶことも、念力を使うこともできない無力なわたしは、ただ泣きながら泳ぐことしかできなかった。

 シャインの体が海面に叩き付けられるところは、恐ろしくて見ていない。しかし、わたしがそこに到着したとき、シャインの体はまだ海面を浮いたり沈んだりしていた。
 疲労と恐怖で、自分の体が震えていたことを覚えている。わたしは、震える体をそっとシャインの心臓部分に押し当てた。
 ――トク……ン…………トク…………ン。
 とても小さく、しかし確かに命が刻まれる音を聴いたとき、神がいるとしたら初めて有り難うと言いたいと思った。

「シャイン! 起きて! 目を開けて!」

 安心してはいられない。外傷がなくても、シャインは確実に弱っている。呼吸をするたびに海水を飲んでいるし、夜の水温はシャインの体温と体力を奪っているのだ。
 シャインの下に回り、体が沈まないように押し上げる。これで、少しは空気が吸えるはずだ。しかし、ここからどうすれば?

「シャイン……誰か……助けて……シャインを……助けて……誰か……誰か……」

 少し離れたところ、ざっと見て百メートルほどのところに、海岸が見える。さらに奥には人間が住んでいると思われる街の明かりが灯っている。
 あそこにシャインを連れて行けば、シャインは助かるかもしれない。しかし、今のわたしにはシャインをあそこまで連れて行くことはおろか、数メートル泳ぐ体力すら残っていなかった。
 泣く体力すら惜しいというのに、勝手に涙が出てきてしまう。悔しい、辛い、苦しい、誰か。ポケモンでも、人でも、いいから。

「誰か……気付いて……お願い……」

 最後の気力を振り絞って、二本の触角の先にあるライトを、光らせる。雨にかき消されてしまいそうなほどに弱々しい、わたしの最後のSOS。

 ――ピカッ………ピカッ。
 ………もう体の感覚がわからない……。
 ――ピカッ。
 わたしはどうなってもいいけれど……。
 ――ピカッ、ピカッ。
 シャイン……だけ、は。

 一分、十分、もしかしたらそれ以上だったかもしれない。体の感覚がない。何も見えない。ライトがちゃんと光っているかもわからない。
 機能しているかも定かではないわたしの聴力が、自然ではない波の音を、何かが海を泳いでくる音を、拾った。

「とど、い、た」

 どうか、シャインを助けて下さい。最後の一度、残された全ての輝きに想いを込めると、わたしは体の力を抜いた。
 沈む、沈んでいく。暗く、寂しい、深海へ。わたしは、生まれた場所へ還るのだ。



2014.01.31


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