深海の夢

 眠りから目覚め、瞼を開けるときは、まだ少しだけ緊張する。瞼を開けても、映るものは閉じているときと何も変わらずに、真っ暗な世界が広がっているかもしれないと考えてしまう。
 ゆっくり、ゆっくり、瞼を持ち上げる。そこには、朝日が射し込む海面に揺れる光のカーテンが広がっている。それを見るたびに、酷く泣き出してしまいそうになる。
 わたしは、本当に光の中で暮らしているのだ。

 半分夢の中にいる意識を覚醒するために、光のカーテンの中を泳いで食べ物を探す。太陽の光を浴びて育った美味しい海草を食べて、そのあとは色鮮やかな海を探索する。わたしを助けてくれたポケモンたちとは今やすっかり仲良くなり、一緒に波にのったり、綺麗な石を探したりして遊ぶ。そして、夜になると寝床に帰って優しい揺れに身を預けて眠るのだ。
 深海を飛び出してから、わたしの世界は百八十度変わった。たくさんの優しさに出会った。たくさんの新しいものを見ることができた。
 そして、何よりも。

『チョンチー!』

 光よりも眩しい、光と出逢えた。
 太陽が一番高いところにのぼって少し傾いたころに、海面から顔を出すと、浜辺には必ずシャインがいる。彼女はわたしを見付けると、太陽にも負けない笑顔で手を振ってくれる。
 シャインと話をするこの時間が、わたしは何よりも好きだった。

「シャイン」
『こんにちは! おからだはもう大丈夫? どこも痛くない?』
「うん」
『よかった』

 わたしを助けてくれたシャインという人間の少女は、少し泣き虫だけれど、とても優しい子だ。そして、種族が違うポケモンと会話ができるという不思議な力を持っている。
 後者はシャインに限ったことではない。この島に住む人間は、みんなポケモンと会話できる能力を持っているようなのだ。その力を、シャインは『波導』といい、波導を使うことができる人間を『波導使い』というらしい。

『あのね。今日はお兄ちゃんが波導の訓練をするところを見ようと思うの。チョンチーも一緒に行こう?』
「いいよ」

 『お兄ちゃん』というのは、怪我をしたわたしの傷を癒してくれた人物だ。波導はポケモンと会話をする以外にも様々なことができるようで、わたしを治癒した力も波導によるものらしく、『お兄ちゃん』の手のひらから放たれた青い光に包まれた瞬間、体が温かくなって痛みがスッととれたことを覚えている。
 シャインはまだ幼く、波導使いとして未熟でポケモンと会話をするくらいしかできないので、わたしの傷を治すことができなかったらしい。だから、シャインはあの日、自分にはできないわたしの怪我を治すために『お兄ちゃん』を呼んだのだ。
 島の輪郭を伝うように泳ぎ、島の中に通じる川に入る。川は森の中へと続いていく。進んでいると、島に住んでいるポケモン達が声をかけてくれる。彼らとも、ほとんどがシャインを通じてお友達になったのだ。
 本当に、わたしはシャインに貰ってばかりだ。いつか、何かを返せたらいいな。

 しばらく進むと、シャインが人差し指を立てて唇に当てた。指示の通り、音をたてないようにそろそろと進む。
 木が生えていない開けた場所に『お兄ちゃん』と彼のリオルがいる。二人とも目を閉じており、ピクリとも動かない。そこに、草木の間から石が飛んできた。二人は目を閉じているというのに、まるで見えているように、ううん、目を開けているときよりも素早く、石を避けた。
 ふう、と息を吐く『お兄ちゃん』の額にはじんわりと汗が滲んでいるようだった。

『座って見たらどうだい? シャインちゃん』
『ひゃっ!』

 脇をくすぐられたみたいな高い声が上がった。『お兄ちゃん』はクスクスと笑いながら片目を開いて、わたしたちを見やった。

『び、びっくりしたぁ。邪魔しないように静かにしていたのに、どうしてわかったの?』
『波導があるからね。ああ、今日はチョンチーも一緒なんだね。怪我のないように離れたところで見ているんだよ』
『はい』
『さあ、リオル。もう一回だ。みんなも頼むよ』

 『お兄ちゃん』の声に答えるように、木々が揺れた。
 今、『お兄ちゃん』とリオルは視覚がない状態で、波導を使い周りの状況を感知する訓練をしているらしい。周りの草木には森に住むポケモンが隠れていて、訓練の手助けをしてくれているのだ。と、シャインが教えてくれた。
 そのあとは、森のポケモンと『お兄ちゃん』のリオルがバトルの訓練をするところを見ていたけれど、波導の訓練を見ているときよりも面白くなかった。口数が少なくなったわたしを心配してか、シャインはわたしの顔を覗き込むようにして口を開く。

『どうしたの? チョンチー。なんだか、つらそう』
「つらそう?」
『うん。とっても』

 面白くない、じゃなくて、辛かったのか。わたしは。

「何でもないよ。何でもないけれど、どうして戦うんだろうって思っただけ」
『……あ』
「どうして、わざわざ自分から傷を負うようなことをするんだろうって、思っただけ」

 初めて海面に顔を出したときのことが、どうやら自分が思っている以上にトラウマとなっているらしい。
 ポケモンには強大な戦闘能力があり、生きるためにそれを使ったほうがいいということは理解できるし、生きていくうえで戦わないといけない場面だってきっと多い。
 それでも、わたしは、痛くて怖い思いはしたくないし、相手にもそういう気持ちになってほしくないと思う。

「弱いね。わたしは」
『ううん。チョンチーはすごく優しいんだと思う』

 わたしのライトを撫でながら、シャインは微笑んだ。

『お兄ちゃんはね、バトルはポケモンと人間が仲良くなるための方法の一つだって言っていたよ。でも、チョンチーみたいにバトルが苦手なポケモンだっているよね。それでも、いいと思うの』
「……シャインはああいう風にポケモンと一緒に戦ってみたいって思わないの?」
『わたしは、それより今はお兄ちゃんみたいな波導使いになりたいけれど、ポケモントレーナーにも、少しだけ、憧れるときはあるよ。でも、戦いたくないお友達を無理に戦わせてまで、ポケモントレーナーになりたいとは思わないかな。バトルだけが仲良くなる方法じゃないもの。いろんなポケモンと人間がいて、その数だけ信頼の形があるから素敵なんだと思うの。そもそも、一緒にバトルはしたことないけれど、わたしたちはもうこんなに仲良しだもの』
「……ふふっ」
『?』
「シャイン、好き」
『私も! チョンチーのこと大好きよ!』

 ああ、なんだか、今までに訪れなかった幸福が一気に押し寄せたようで、幸せに溺れそうだ。

『シャインちゃん。チョンチー。そろそろ暗くなるから、帰りなさい』
『はぁい。お兄ちゃんは?』
『わたしはもう少し訓練していくよ。気を付けて帰るんだよ』
『大丈夫。もし暗くなっても、チョンチーがお星さまみたいに照らしてくれるもの』
『そうだね。チョンチー。シャインちゃんをよろしく』
「もちろん」

 ずっと、ずっと、この幸せな時間が続けばいいと、本当に、願っていた。



2014.01.26


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