1/365の特別

 砂漠の片隅にひっそりと佇むオアシスの木漏れ日の元に、ふたつの影が寄り添いあっていた。端正な見た目に反して、どっかりと足を組む癖があるカーヴェの股座には、リヴィアがすっぽりとおさまっている。尻尾をゆるやかにカーヴェの腕に巻き付けて、満足そうに喉を鳴らしているのだから、これ以上なく機嫌がいいようである。
 カーヴェはリヴィアの身体を包むように腕を回し、両手の指先を緩く繋いでいる。本能に従うならば、髪やら耳の付け根やらを撫でまわしたいところだが、今は「ここにただ座っていて」というリヴィアの望みに従わなければならない。
 なんといっても、今日はリヴィアが主役の一日なのだから。

「リヴィの誕生日を祝うのももう何回目になるのか……毎年同じ過ごし方をしているけれど、いいのか?」
「同じじゃない。去年はローカパーラ密林のキノコの上で過ごした」
「でも、過ごし方としては同じだろう? 何をするでもなく、ただふたりでのんびり過ごすだけ……せっかくの誕生日なんだ。もっと特別なことをしてもいいし、おねだりだって何でも聞くつもりなのに」
「カーヴェだって自分の誕生日のときに言っていたでしょう? 普段通りの一日を大切な人と過ごす以上のことなんてない、って。あたしも同じ気持ちだからこうしたいって思っただけ。ううん、あたしにとっては毎年贅沢な過ごし方をしてる。カーヴェが会いに来てくれて、お気に入りの場所でひなたぼっこしてのんびりする……うん。やっぱり贅沢。こんなに安心できる場所はないから」

 リヴィアは噛みしめるように言葉を零した。少し運命が悪戯をしただけで日常が失われてしまうことを、カーヴェもリヴィアもよく知っている。だからこそ、当たり前に訪れる毎日があるだけで、特別だと思えるのだ。

「おいで、リヴィ」
「ん」

 素直に頬をすり寄せて甘えてくれる恋人を、腕の中に閉じ込めた。窮屈だとかくつろいでいたのにとか、抗議する声は飛んでこなかった。
 この体温は当たり前にあるものではないから、ふたりの体温の境界さえもなくなるくらい、抱きしめあって鼓動を重ねた。誕生日だとか関係ない。そこに大切な人がいてくれるのなら、それだけで世界は特別なものになる。彩られる。
 しかし、カーヴェは知っている。たった独りで生きてきたリヴィアはカーヴェと出逢い、人を知ることと寄り添うことを覚えていった。そして今や、リヴィアは様々な人たちと関わりあいながら生きている。

「リヴィ。今日はリヴィの時間を全部僕がもらっているけれど、明日はスメールシティに行こう。僕以外にもリヴィのことを祝いたい人がたくさんいるんだ。みんなで食事でもしよう」
「あたしの誕生日を祝いたいなんて、そんな物好きがカーヴェ以外にいるの?」
「ああ。ニィロウもそうだし……そういえばドリーも参加したいと言っていたな。何を企んでいるんだか……とにかく、みんなにとってリヴィは大切な友人なんだ。リヴィにとってもそうだろう?」
「……うん」
「じゃあ、決まりだな!」

 リヴィアの人生はもう彼女一人だけのものではない。彼女が困っていたら手を差し伸べ、悲しんでいたらそっと寄り添い、生まれた日を祝福したいと願う人たちが、リヴィアを光の下へと導いていく。
 もちろん、最も多くその役を担うのは自分であることは譲れない。リヴィアがカーヴェに救われたように、カーヴェもまたリヴィアの存在に安らぎを覚えているのだから。

「リヴィ、改めて誕生日おめでとう。そして、僕と出逢ってくれてありがとう。……砂漠で大きなものを失った僕にとって、砂漠で君と出逢えたことはとても大きな意味を持っているんだ。あのときの奇跡をこれからもずっと大事にしていきたい。これからもよろしくな」
「うん。ありがとう、カーヴェ。ずっと、ずーっとよろしくね」
「……っっっっ」
「どうしたの? 感極まったような顔をしてる」
「いや、素直で可愛いなと噛みしめていただけだ」
「いつもは捻くれていて可愛くないってこと?」
「違う違う!」
「ふふっ、ごめん。慌てなくてもわかってる。カーヴェはあたしのこと好きで仕方がない。そうでしょ?」
「君ってやつは! ……でも、その通りだ」

 くすくすと笑いながら、どちらからともなく見つめあい、顔を近づけていく。そして、互いの息が唇を撫でるような距離まで迫ったとき……気の抜けるような細く長い音が、甘い雰囲気に割り込んできた。重なる直前でお預けをもらってしまったカーヴェの唇は不満げに尖り、薄い腹をさすっているリヴィアを見下ろす。

「……お腹空いた。デーツでも採ってくる」
「ちょっと待った! いいものを作ってきたんだ」
「なに? もしかして、ずっといい匂いがしているこれのこと?」
「当たり」

 リヴィアは鼻先をくんくんと動かしながら、小脇に置かれている荷物を指さした。さすがはカラカルの獣人である。大きな耳からわかる聴力の良さもさることながら、嗅覚も鋭い。
 カーヴェは荷物の中からカップ状の容器を取り出すと、蓋を開けて中身が見えるようにリヴィアのほうへと傾けた。すると、エメラルドグリーンの瞳はなにかを訴えるようにじっとカーヴェを見つめ返す。
 まったく、今日はいつもに増して甘えただ。
 カーヴェは容器の中の物を一本摘まみ上げた。細い棒状に形作られたお菓子を、リヴィアに向かって差し出すと。

「ほら、あーん」

 素直に開かれた口の中へとそっと運ぶ。鋭い犬歯がお菓子を勢いよくかみ砕き、そのあとはポリッポリッとリズミカルな音が続いた。
 なだらかな喉が上下に緩く動いたあと、リヴィアは目を輝かせて興奮気味に口を開いた。

「美味しい!」
「だろう? ジャガイモをマッシュポテトにして、すりおろした野菜と一緒に焼いてみたんだ。棒状だから食べやすいし、完全に水分を飛ばしているからある程度保存がきく。砂漠に入るときにちょうどいいだろうと思ったんだ」
「うん。小腹が空いたときにちょうどよさそう。でも、美味しいしなにより食感が面白いから、あっという間になくなっちゃうかも」
「ははっ! それはよかった。たくさん作ってきたからどうぞ。遠慮なく食べてくれ」

 カップ状の容器ごと手渡すと、リヴィアはそれを大事そうに抱え込んで、中のお菓子に手を伸ばした。食感を気に入った、と言っていたが、それを楽しむような食べ方をしている。ポリポリポリポリ……と、前歯で小刻みに食べる姿はカラカルというよりリスだ。そんなことを言ったら、シャーッと威嚇された挙げ句に拗ねられるだろうから口にはしないけれど。

「なに? カーヴェも食べる?」
「いや、僕はいいよ。リヴィがお腹いっぱいになるまで食べてくれ」

 そして、満たされたあとは甘い時間の続きをしよう。大切な人が生まれた日に、たっぷりの愛を飽きられるくらいに伝えよう。
 腕の中で愛しい体温を感じながら、カーヴェはゆるやかに微笑むのだった。



2024.03.15


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