サフィーロの抱擁

「それでは宝探し開始! ……いってらっしゃい!」

 雲一つない晴天の下のグラウンドに、校長せんせのよく通る声が響き渡った。グレープアカデミーの生徒たちは一斉に学園の外に向かい、テーブルシティに続く階段を駆け下りていく。「みなさん、お気を付けてー! パルデアの大穴への立ち入りは危ないので校則違反ですからねー!」という校長せんせの忠告は、耳に入ってはいないだろう。それでもきっと、パルデアの大穴に入る物好きなんていねえだろうけど。

「いよいよ始まったな……」

 オレにとっての宝探し……いや、オレにとっての宝物を救うための課外授業が始まった。具体的にいうと『秘伝スパイス』というポケモンを元気にするための食材を手に入れるために、それを守っているヌシポケモンを倒す旅だ。ヌシポケモンはその土地の『主』と謳われるほど強いポケモンで、ポケモンバトルが苦手なオレ一人で勝つことができるのか……正直、心もとない。
 だからこの日のために、頼りになりそうな生徒にも声をかけておいた。何かと話題になっている新入生――ハルトだ。グレープアカデミーに入学したばかりだが、ポケモンバトルの腕前はチャンピオンクラスに座する生徒会長も注目するほどだという。ダメ元で声をかけてみたが、なんと二つ返事で頷かれたものだから驚いた。……なにか裏があるのかも知れねえけど、今は手段を選んでいられない。ハルトのマップアプリにヌシがいる場所を印付けておいたから、旅の途中に来てくれるはずだ。
 それまでに、オレは先に行って調査をしていないと。 

「よし! まずはボウルタウン近くの崖に出現するって噂の岩壁のヌシのところに行くか! テーブルシティの東門を出て進んでいけば良さそうだな」

 両頬を叩いて気合いを入れて東門へと向かった。
 東門を出てすぐ目の前に広がっているのは、パルデア地方南三番エリア。迷路のようにいりくんだ道は整備されてるとは言い難く、坂道だって多い。まずは近くのポケモンセンターを目指して……。

「っ、コリンクの群れ……!」

 街を出ればそこはポケモンたちが暮らしている世界だ。草むら、川、荒野、山、海。ポケモンはどこにだって出現する。そんなことはわかっているはずなのに、目の前に現れた小さな生き物たちを前にして、オレは反射的にモンスターボールに手を掛けようとした。
 しかし、コリンクたちは思いの外おとなしく、攻撃してこようとはしなかった。むしろ、つぶらな眼差しでオレを見上げ、中には腹を出して甘えてくる個体すらいる。
 ここはテーブルシティから近い道。人の往来が多く、コリンクたちは人に慣れているのかもしれない。
 オレは苦笑しながらも膝を地につけて、コリンクの腹をわしゃわしゃと撫でてやった。 

「よしよし。オマエたちはおりこうちゃんだな」

 正直、バトルを避けることができて安心した。その本音が声色として滲み出ていたのか、まるで抗議するように一つのモンスターボールが小さく揺れた。最近仲間になったばかりの、ホシガリスが入ったモンスターボールだ。コイツはバトルをしてゲットしたわけではなく、外でサンドイッチを食べていたオレのところにやってきて、自ら仲間になってくれたポケモンだった。当然、ホシガリスはサンドイッチ目当てでオレに近付いてきたのだが、今では頼れる仲間だと胸を張って言える。

「わかってる。オマエは戦えるんだよな? 別に……オマエの力を信じてないっつーわけじゃないけどよ……」

 事実、ホシガリスはハルタとバトルをしたとき接戦まで持ち込んでくれた。最終的に負けはしたものの、その能力は決して低くないということをオレに証明した。
 だから、これはオレの問題なのだ。
 ホシガリスが入っているモンスターボールとは別のボールに触れながら、懺悔するように頭を垂れる。 

「……オレがポケモンバトルが『苦手』なんだ」

 もしも、また、同じことが起こってしまったら。ホシガリスまで、同じ目に遭わせてしまったら。そんな考えが、鍋の底にこびりついた焦げのようにとれない。
 ……さあ、そろそろ出発するとするか。
 オレが立ち上がると同時に、コリンクたちは一斉に草むらの中へと駆け込んでいった。一体どうしたのだろうかと、理由を考えるよりも前に答えへと直面する。
 鋭い眼光を携え、雄々しい鬣を逆立てながら、現れたのは……。

「っ、レントラー!? なんでこんなところに!? このあたりには出現しないはずだろ!?」

 出現しない。ポケモン図鑑のアプリ上では、確かにそうだ。ポケモンたちはそれぞれ大まかな生息地が決まっており、例えば南三番エリアにはコリンクやパモ、マメバッタなど、進化前のポケモンたちが出現することが多い。
 しかしそれは、あくまでもデータ上での話。実際には、進化前のポケモンがいるのなら進化後のポケモンがいたっておかしくない。例えそれがどんなに稀だとしても、だ。
 運が悪かったなと内心で舌打ちしつつ、ホシガリスが入っているモンスターボールに手をやる。すると、オレの行動に気が付いたレントラーは天高く咆哮した。 

「しかもやる気満々ちゃんかよ……っ」

 レントラーは体毛に電気をため始めた。おそらく、じゅうでんという技だ。今の状態ででんき技を放たれでもしたら一溜りもない。
 早く、早くオレもポケモンを出さないと。
 頭では理解しているのに、握りしめたモンスターボールを投げることができない。ホシガリスは急かすようにモンスターボールを揺らしているが、開閉スイッチをグッと押し込んでボールが開かないようにしているのは他の誰でもなく、オレだった。
 ハルタが相手のときは、例え負けたとしてもそれだけで済むとわかっていたから、戦えた。しかし、野生のポケモン相手だと話は別だ。
 バトルして、こちらが戦闘不能になったところで、そんなことお構いなしにさらに技を叩き込まれたら? 大怪我どころじゃ済まない傷を負わせてしまうかもしれない。アイツ、みたいに。
 じゅうでんを終えたレントラーが、鋭い牙をむき出しにして唸っている。威力を上乗せした電流が体から放出されて、オレたちへと迫る。
 逃げられるわけでもないのに、反射的に目を閉じた。

「サーナイト、サイコキネシス」

 激しい破裂音が聞こえる前にオレの耳に届いたのは、砂糖菓子みたいに甘ったるいあの声。しかし、ただ甘いだけはなくどこか凛とした強さを秘めた、ポケモントレーナーとしての鋭さを持った声。
 レントラーが繰り出したほうでんは、サーナイトのサイコキネシスによって打ち消された。そして、サーナイトのトレーナー――アレリは、クエスパトラの背に優雅に腰かけたまま、片手を振り上げてサーナイトに次なる指示を出す。

「みらいよち」

 はっきりとした指示に反して、レントラーのまわりにはなにも起こらない。最初は技を警戒していたレントラーだったが、サーナイトがなにも仕掛けてこないとわかると、牙を見せ付けるようにしながらサーナイト目掛けて突進してきた。あれは、かみなりのキバだ。
 レントラーのキバが体を貫く寸前に、サーナイトは自身の姿を消してみせた。かと思えば、レントラーがいる反対方向に現れる。テレポートでレントラーの攻撃を回避したようだ。
 そして、アレリは静かに告げた。

「残念ですが、あなたの未来は決まっています」

 それは、勝利を確信した自身に満ち溢れた声ではなかった。どこか諦めたような、そんな、どこか物悲しさを漂わせた声色。
 レントラーの背後の空間が捻れ、念力の塊がレントラーを襲う。油断していたところに攻撃を仕掛けられたレントラーは高い鳴き声を上げると、オレたちに背を向けて走り去ってしまった。
 そうか、みらいよちは技を放ってからしばらく経った未来で発動する技だった。
 疲労が一気に押し寄せてきて、思わず深い息を吐き出した。

「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。……助かった」
「いいえ。同じグレープアカデミーのよしみですから」
「……そーかよ」
「でも、ポケモンは持っていないのですか?」
「いや、いるのはいるが……苦手なんだよな。ポケモンバトル」

 サーナイトをモンスターボール……いや、ピンク色をしたハートの模様はラブラブボールか? アレリはサーナイトをラブラブボールに戻すと、クエスパトラに乗ったままオレの傍まで近寄ってきた。
 そして、クエスパトラから降りてきたかと思うと、オレの正面に立ってじっとこちらを見つめてきた。

「『苦手』……というより……『怖い』のですか?」
「つ、っ!」

 苦手だ。ダイヤモンドみたいにキラキラして、何でも見透かしてしまうような……光しか知らない、アレリのその瞳が。
 視線から逃れるように体を反転させる。ここで時間を使っている場合じゃねえ。

「あっ、ペパーくん」
「オレは行くぜ。バトルが苦手でも、やらなきゃならねえことがあるんだ……!」

 そうだ。これから戦うであろうヌシポケモンは、レントラーよりも何倍も強いヤツに違いないのに、こんなところで震えていてどーするんだよ。

「あの……もしよろしければ、わたしにペパーくんの宝探しをお手伝いさせてもらえませんか?」
「……は?」

 踏み出そうとした足は、アレリの言葉によって再び地面に縫い付けられた。なにかの冗談だろうか。しかし、アレリの眼差しは真剣そのものだった。

「こう見えて、前回の宝探しではジムバッジを全て集めました! 四天王戦は敗退してしまったけれど、ペパーくんがバトルがこわ……いえ、苦手ならわたしが一緒に戦いますし、よかったらアドバイスもできると思います!」

 アレリの申し出は、オレにとって願ってもないことだった。もとはというと、生徒会長に声をかけてみるべきかと考えた時期もあるくらい、強いポケモントレーナーを探していた。ハルタのことを信頼していないわけではないが、仲間は多いに越したことはない。

「……なるほど、悪くねえ」
「では……!」
「で? 見返りはなにが欲しいんだ?」
「えっ」
「誰かを助けるのなら、相当の報酬や見返りを求めるのは当たり前だろ? オレにはお嬢サマが望むものなんて用意できないと思うぞ」
「……理由がなければ人に親切にしてはいけないのですか?」

 心底不思議そうに首を傾げる姿を見て、オレとアレリの価値観はきっと交わることがないのだろうと悟った。
 アレリにはわからないだろう。親からは愛されて、友人からも恵まれて、頼りになるポケモンだっている。そんなヤツに、ほとんど一人で生きてきたオレの気持ちなんてわかるはずがねえんだ。
 オレは首を横に振り、今度こそその場を立ち去ろうとした。が、またしてもアレリの声がオレの足を止めることになった。

「では、こうしましょう! ペパーくんの宝探しを手伝う代わりに、わたしをいろんな所へ連れていってください!」
「へ?」
「崖。山。洞窟。砂漠。それから……湖もいいですね。わたしはいろんな所へ冒険して、いろんな景色を見たいのです!」
「……前回の宝探しでパルデアを旅したんじゃないのか?」
「あのときはジム戦が目的でしたので、街やその付近しか行っていないのです。移動もイキリンコタクシーでしたし……なので! 今回は自分の足でいろんな所を旅したくて、背中に乗せてくれるクエスパトラを仲間にしました! あ、もちろんこの子はバトルもできますよ?」

 冒険したいと言ってるくせに、自分の足で歩くという考えは出てこないのかよ。本当に、根っからのお嬢サマなんだな。

「ペパーくん。これなら、あなたを助ける理由になりませんか?」

 しかし、オレにとってはよっぽど信頼できる。無償で手を差し伸べてもらえるほど世の中甘くはないし、後になって「あのとき恩を売っておいた」だとか言われずに済むからな。

「……まあ、悪くない」
「わぁ! ありがとうございます! よろしくお願いしますね!」
「ただし! お嬢サマだからって気を遣ったりしねーからな! 野宿をすることもあれば、崖を上ることだってあるぞ!」
「はい! 楽しみです! あ、なにかあったときのために連絡先を交換しましょう」
「っておい! オレの話聞いてるか!?」

 アレリは制服のポケットからピンク色のカバーをしたスマホロトムを取り出した。ここにもハート柄がたっぷりと使われている。……まあ、悪くない趣味なんじゃねえの?
 アレリのペースに巻き込まれてることを若干不足に思いつつ、オレも自分のスマホロトムを取り出した。花柄のカバーとハート柄のカバーが向かい合うように並び、光が数回点滅する。これで、連絡先の交換は完了だ。

「ふふ、ありがとうございます」
「……んじゃ、行くぞ。ひとまずの目的地はボウルタウン付近の崖だ!」
「はい! あ、ペパーくんも乗りますか?」
「いらねえ!」

 クエスパトラに乗ろうとしているアレリを置いて、ずんずんと進んでいく。「待ってください〜!」という声が追いつくのを待ちながら、秘かにため息をついた。

「前途多難ちゃんだぜ……」



サファイアの石言葉:『慈愛』 2023.03.02

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