にゃんだーちぇんじ!




 世の中にはいわゆる『お約束』と呼べる展開が存在する。例えば、ぶつかった拍子に男女の心が入れ替わったり、目覚めたら体が異性化、もしくは幼児化していたり、自分と瓜二つの人間が現れたり、という具合に、何のとは言わないがこれらが『お約束』という展開であることに違いがないとオレは思っている。実際のところ、効果が続くとなるとどれも面倒に感じられるが、それが一日限りなど期間が限定されているとしたら、是非オレの身の回りでも起こって欲しいと思う。
 例えば、レインが幼児化したとしよう。まずオレは真っ先に、チマリが着ているような子供用の着ぐるみを着せるだろう。それだけで癒しだが、幼児化したレインとべったりくっついて過ごし、ご飯を食べさせてやったり風呂で体を洗ってやり、純粋に小さな子供としてひたすら愛でたい。
 そして、とうとうその日がきた。オレたちにも『お約束』が訪れることとなったのだ。冒頭には挙げなかったが、獣耳が生えるというこれまた王道かつ究極の展開が繰り広げられたのだ。髪の間からのぞく可愛らしい三角耳は、間違いなく人外のものだ。素晴らしい、とオレは歓喜するはずだった。するはずだった、のだ。たった一つの誤算がなければ。

「なぜだ」
「デンジ君……」
「なんで……獣耳が生えてしまったのがオレなんだ……!」

 鏡の中には見慣れた自分の姿が映っている、が、金髪から生えているのは間違いなく獣耳である。そう『お約束』はレインではなく、オレのほうに訪れてしまったのだ。目覚めて顔を洗うために洗面台へ向かい、鏡を見たときの気持ちをなんと表現すればいいものか。一言で言うなら、絶句、だな。

「ど、どうしましょう……! これって、たぶんチョロネコの耳、よね?」
「ああ。そういやデンジ、昨日木の上で眠っていた野生のチョロネコを触ろうとして噛み付かれてたよな? そのときに変な菌でももらったんじゃねぇの? うわ、マジで本物だ」

 触るな、なんていつもの毒も吐き出せないほどオレは落ち込んでいた。尻尾が生えなかっただけマシとすべきかどうか。これがレインに生えていたのなら、どれだけ歓喜したかはわからない。だいたい、こういう場合に生えた獣耳は性感帯となることが多い。レインに生えた獣耳をいじり倒したあげく、その名の通りにゃんにゃん鳴かせるというオレの夢は終わった。野郎の獣耳なんていったい誰得だよ。

「ジョーイさんには『仲間が風邪を引いたみたいだからもうしばらくお部屋を貸してください』ってお願いしてきたわ。今は他のトレーナーが少ないから大丈夫ですって」
「そっか! よかったよかった! 病院に行きゃいいのかもしれないけどよ、デンジ」
「絶対に嫌だ」
「……だよなぁ。こんな可愛らしい耳が生えてるんだもんなぁ。まぁ、体に害はないみたいだし少し様子を見てみるか」
「大丈夫かしら……」
「とりあえず、デンジは部屋から出るの禁止だからな」

 そんなこと言われなくてもわかっている。誰がこんな可愛らしい耳を生やして外に出るか。獣耳カチューシャをつけていると言えばまあ誰も疑わないだろうが、成人男性がそう発言するのもなかなか問題である。レインだったら可愛さが限界突破していただろうに。ああ、本当に残念だ。残念すぎて泣けてきそうだ。

「デンジ君」

 ベッドに腰掛けて鬱ぎ込むオレの隣に、レインが腰掛けた。部屋の中に視線を彷徨わせると、オレの考えをいち早く悟ったレインのほうから口を開いた。

「オーバ君なら、食材とかお薬とか必要なものを買いに行ってくれたわ。一番近いショップまでちょっと距離があるみたいだし、他にもいろいろ寄ってくるって言っていたから、夕方くらいには戻るって」
「……レインは? 行かなくてよかったのか?」
「こんな状態のデンジ君を置いていけないわ。オーバ君も、たぶん不安だろうからついていてやれって」
「……そうか」
「デンジ君……怖い?」
「いや、怖いことはないけど、残念だ」
「残念?」
「ああ。いろんな意味で残念だ。非常に残念だ」

 オレの考えが理解できないらしく、レインは困惑した顔付きをしていたが、オレの手を手繰り寄せ両手できゅっと包み込んでくれた。オレが不安がっていると思い、それを取り除こうとしてくれているのだろう。
 確かに、何日もこのままだったら、という微かな不安はある。しかし、まぁ何とかなるだろうと言うのが本音だった。こういった『お約束』はだいたい長くて一週間もすれば効果が消えるのだ。

「心配するなよ、レイン。オレは大丈夫だから」
「本当?」
「ああ。むしろ、いつもと違う感覚でおもしろいぞ。耳はいつもよりよく聞こえるし、嗅覚は鋭くなっているみたいだし」
「本当にチョロネコみたいになっちゃったのね」
「みたいだな」
「……あの、デンジ君」
「ん?」
「少しだけ、触ってもいい?」

 レインは多少なりともワクワクしているように見えた。オレがこの耳をあまり悲観していないと知り、抑えていた本音が出てきたのだろう。なんだかんだで、レインも好奇心が強い女だから。
 いいよ、と言えばレインはオレに対して向き直るように座り直して膝立ちになり、恐る恐るというように手を伸ばした。レインの柔らかな手が、オレに生えている獣耳を優しく掴み、ふにふにと揉むように触れる。あー……なんかかなり気持ちいいかもしれない。
 目を細めながら、断続的に与えられる小さな快感に酔う。すると、レインは次に獣耳の裏に手を伸ばし、程良い強さでカリカリと獣耳の付け根を掻いた……これは、かなりいい。
 オレはレインの腰に両腕を回して、自分の方へと引き寄せた。レインは一度、きゃ、と小さく声を漏らしたが、オレがレインの肩口にぐりぐりと頭をすり寄せるようにして抱きしめていると、今度は両手で獣耳の付け根を掻いてくれた。

「……デンジ君、気持ちいいの?」

 無言で頷くと、上から控えめな笑い声が降ってきた。

「なんだか、今日のデンジ君、甘えんぼさんで可愛い」
「……可愛いとか言うな」
「ふふっ。ごめんなさい。でも、デンジ君がマッサージをしてあげてるときのレントラーと同じような顔をしてたから、つい」

 そう言いながら、レインは獣耳の付け根辺りをマッサージしつつ、ときおり髪を撫でてくれた。ああ、もうなんか今は甘えんぼでいいや。気持ちいい。至福である。
 心地よい快楽とレインの温もりに身を預け、閉じていた目を何となく開いた。目の前にはレインの真っ白な首筋があって、ただ本能的に噛み付きたいと思った。

「んっ!」

 痛そうなレインの声で我に返った。
 レインの首筋にははっきりとオレの歯跡が残っている。いつもレインを抱くときのように、軽く歯を立てただけのつもりでいたが、どうやらオレは歯までチョロネコのように鋭くなっているらしい。
 獣が傷口の痛みを和らげようとするときのように、歯跡がついたレインの首筋を舐めてやる。すると、レインはピクンと肩を震わせた。この反応を、オレはよく知っている。

「レイン」
「……」
「……感じたんだ?」

 ぼんっ、と何かが爆発したような効果音がつきそうなくらい、レインの顔が一瞬で真っ赤になった。
 たぶん舌もチョロネコみたいにザラザラしてるんだろうしな。いつもより気持ちよかったわけだ、ふーん。

「で、デンジ君……!」
「ん?」
「な、なんだか意地悪な顔してる……!」
「意地悪な顔って、どんな?」
「あ、う……」

 ベッドの中での顔、だって思ってるんだろうな、きっと。わかってて聞くあたり、まさに、と自分でも思う。でも、意地悪したくなるくらい可愛いレインが悪い。
 トン、とレインの肩を押すと呆気なくベッドに倒れ込む。その上に覆い被さりながら、オレはまた『お約束』の台詞を口にするのだ。

「オレ、あれっぽい。発情期」
「!」
「イッシュ地方に来てからは常にオーバが一緒にいるからな。……二人きりになったときくらい、いいだろ?」

 今のオレは、チョロネコというよりレパルダスのような目をしているのだろう。獲物を捕らえ、視線だけで喰い殺してしまいそうな、そんな眼差しを受ければ、レインには頷く以外の選択肢がなくなってしまうのだ。
 ぺろりと舌なめずりをして喉を鳴らし、いただきますと呟くと、オレはもう一度その軟らかな肉に噛みついた。



2012.05.03
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