真実と理想と現実と




 綺麗なだけじゃない。汚いものもたくさん見てきた。人間とポケモンの関係だって、それぞれ違うことも、知っている。

 ランターンはチョンチーだった頃、色違いの体を目当てにした人間から、いつも狙われていた。ランターンを仲間にしたくてゲットしようとするのではなく、見せ物にするため、高値で売りさばくため、捕まえようとしていたという。
 そういった理由から、ランターンは初めて会う人間に対しては強い警戒心を持っている。

 ジーランスは、今より遥か昔の時代でに戦争を経験している。人間の醜さが汚泥のように溢れ出たとき、ポケモンは人間の手足となって戦った。人間だけではなく、たくさんのポケモンがその戦争で犠牲になった。
 だからか、ジーランスは人間に何も期待していない。

 トリトドンはカラナクシだった頃に私の前にもトレーナーがいて、そのトレーナーから置き去りにされた過去を持つ。ギンガ団に囲まれたとき、信頼していたトレーナーはトリトドンを置いて一人だけ逃げ出した。当時のトリトドンが感じたショックは計り知れないと思う。
 トリトドンが誰より負けず嫌いで強さに拘るのは、もうあんな思いをしたくないからなのかもしれない。

 ミロカロスはヒンバスだった頃、人間から蔑まれながら生きてきた。醜いと目を覆われ、弱いと嘲笑われ、生きてきた。重なる負の言葉による強い洗脳から、私と出会ったばかりのミロカロスは重度の自己否定症候群に陥っていた。
 今でもときおり、ミロカロスは人間の顔色を窺う素振りを見せるときがある。

 ラプラスという種族は人の手により絶滅寸前まで追いやられているポケモンだ。ラプラスの高い知能と大きな体と優しい性格を利用するため、昔人間はラプラスを大量に乱獲した。その結果、現代で野生のラプラスはとても少なくなってしまった。人やポケモンを乗せて海を泳ぐことが好きなポケモンだけど、私のラプラスは人間が海に投げ捨てた廃棄物により怪我をしたことがある。
 ラプラスは、人間と共存するための海を汚されたことを憤り、嘆いた。

 生まれたときから優しい人間に囲まれて育ったシャワーズ以外の子たちは、みんな少なからず人間に不信感を抱いていたし、今でもその不信感を心のどこかに抱えている。忘れることができない傷を負っている。
 そのことを、私は理解しているつもりだし、理解した上でこの子たちに接しているつもりだ。傷を抱えていても、この子たちは私のことを信じてくれている。その信頼を裏切らないトレーナーでありたい、と思う。

 綺麗なだけじゃない。汚いものもたくさん見てきた。人間とポケモンの関係だって、それぞれ違うことも、知っている。
 それでも、目の前で繰り広げられている光景は信じがたかった。

「……や、め……」

 一人のトレーナーが、自分の手持ちのポケモン同士を戦わせている。ここまでならよくある光景だ。苦手を克服したり、タッグバトルのために相手の戦い方を知るために、手持ちの子同士で戦わせることもある。でも。

「やめて……」

 目の前の光景は異常だった。トレーナーはコジョフーにばかり指示を出し、タブンネには何一つ指示を出さない。はっけいや跳び蹴りなどをされるがままに受けているタブンネは、人形のように吹き飛ばされて地面に倒れた。直後、コジョフーの体が光り輝き、コジョンドに進化した。

「よし! コジョンドに進化したぞ! やっぱりタブンネ相手に戦わせると進化が早いな」
「コジョッ!」
「ああ。もっともっと強くなろうな。ほら、タブンネ。立てよ」

 信じがたいことに、トレーナーはなおもタブンネを戦わせようとしている。あんなに傷付いて、ボロボロになっているのに、どうして立てなんて言えるのかわからない。
 タブンネは震えながらも体を起こそうとしたけれど、立ち上がることはかなわずにまた地面に倒れてしまった。

「なんだよ。もう動けないのか。使えないな。サンドバッグになるくらいしか使い道がないっていうのに」
「ミィ……ミィ……」
「いいよ。そのまま寝てて。おまえを殴れば経験値が入ってコジョンドは強くなるしな」
「やめて!」

 私は思わず、コジョンドとタブンネの間に割り込んだ。体中の震えが止まらない。悲しさと怒りが同時にこみ上げてくる。どうして、自分の手持ちの子にこんなことができるというの。

「なに? あんた。邪魔なんだけど」
「どうして……? このタブンネは野生じゃない。貴方の仲間でしょう? それなのに、どうして一方的に傷付けることができるの?」
「……仲間ねぇ。確かにそうだ。でも、あんたもトレーナーならわかるだろ? パーティーには役割がある。速攻アタッカー、物理受け、ダブルス要員、秘伝要員。このタブンネは経験値稼ぎ要員なんだよ」
「経験、値?」
「ああ。タブンネと戦うと、他のポケモンと戦うより早くレベルが上がるんだよ。野生のタブンネを見付けて戦わせるより、手持ちにして戦わせるほうが効率的だからな」
「……だから、タブンネには何も指示を出さないの? ただ一方的に攻撃して、サンドバッグみたいに殴り続けて、回復すらさせないで……」
「人を虐待しているみたいに言うなよ。せっかく捕まえたのに死なれたら困るし、ちゃんと餌はやってるしポケモンセンターにも連れて行ってる。タブンネのことはちゃんと必要としているんだぜ?」

 ワンピースの裾を引っ張られた気がして、視線をしたに向ける。上半身だけ体を起こしたタブンネは、無理矢理笑顔を作って見せた。タブンネの目の周りは青く腫れ上がって、口の端は切れている。

(だいじょうぶ、だよ。タブンネは、だいじょうぶ。ちゃんと、ごしゅじんさまからは、ひつようとされてる、から。だから)

 そう言って、タブンネは再び立ち上がろうとした。その姿を見て、自分の目尻から涙が零れ落ちた感覚がした。
 立てるわけないじゃない。もう戦えるわけないじゃない。今までこんな生活をずっと続けていたのでしょう。この子の体は限界を超えている。これ以上無理をさせたら、本当に死んでしまう。
 予想通り、なんとか立ち上がりはしたものの、その状態を維持できずタブンネは膝から崩れ落ちた。再び地面に倒れてしまうことを阻止しするために抱き留めると、この子はタブンネという種族の平均に比べてだいぶん体格が小さいことを知った。

「タブンネ。貴方はあのトレーナーから必要とされているかもしれない。でもね、永遠に愛されることはないわ」
(……)
「それでもいいの? このままで本当にいいの?」
「おい! いい加減そいつから離れろよ! あんたも一緒に攻撃してやろうか!? あぁ!?」
「タブンネっ」
(……けて)
「え?」
(……たす、けて)

 か細くも確かに紡がれた言葉。ちゃんと、届いたよ。
 私は空のモンスターボールを取り出すと、タブンネの額に当てた。タブンネは赤い光に包まれてモンスターボールの中に入っていった。
 早くポケモンセンターに連れて行かなくちゃ。そう思って立ち上がると背後から「跳び蹴り!」という声が聞こえてきて、思わず体を強ばらせた。
 本能的に波導で自身の周りを囲むと、コジョンドの蹴りは波導壁に阻まれた。数秒遅れて、シャワーズが自らモンスターボールから飛び出し、コジョンドに向かって唸り声を上げた。

「おい! ふざけんなよ! 人のポケモンを盗る気かよ! 警察に突き出すぞ!」
「てめぇだろ」

 直後、耳をつんざくような雷撃が轟いた。雷が直撃したコジョンドは戦闘不能に陥った。トレーナーが恐る恐る振り返ると、そこにはゼブライカを連れたデンジ君が立っていた。

「デンジ君!」
「ったく。何やってるんだよ。ちょっと散歩してくるなんて言っといて、なかなかポケモンセンターに帰ってこないと思ったら、こんなとこで変な奴に絡まれてるし」
「……」
「まあ、なんとなく状況はわかるけどな」

 私の手の中にあるモンスターボールを見たあとに、デンジ君はトレーナーを睨み付けた。

「こ、こいつが悪いんだ! 俺のポケモンを盗ったから!」
「ほう。じゃあ、おまえのポケモンはどうして、他人のモンスターボールに入ったんだろうな。普通、人のポケモンをモンスターボールに入れようとすると、弾かれるはずなんだけどな」
「っ」
「ということは、だ。おまえのポケモンの心はおまえの元になかったんだよ。モンスターボールはポケモンの気持ちまで縛れない」
「っ、ふん! もういい! コジョンドは進化したしな! そんな使えないポケモンなんかくれてやるよ! けどな! そいつ一匹を救ったところで何も変わらないんだよ!」

 ひとしきりまくし立てたあと、トレーナーはコジョンドをモンスターボールに戻してこの場を走り去った。その後ろ姿をずっと眺めていたけれど「レイン」と名前を呼ばれて我に返った。

「大丈夫か?」
「ええ。ありがとう」
「何があったんだ? そのモンスターボールは?」
「怪我をしたタブンネが入っているの! 早くこの子をポケモンセンターに連れて行かなくちゃ……!」
「わかった。ゼブライカ!」

 デンジ君のゼブライカの背中に乗せてもらい、私たちが滞在しているポケモンセンターを目指した。道中、今し方起こったことをデンジ君に全て話すと、デンジ君は私を落ち着かせるように背後からぎゅっと抱きしめてくれた。

「確かに、人から理不尽な扱いを受けてるポケモンは世の中にたくさんいるだろう。でも、レインは何一つ間違ったことをしてないと思う。助けを求めてる目の前のたった一匹すら救えずに、他のポケモンを幸せになんてできるわけがない」
「……ありがとう、デンジ君」

 モンスターボール越しに視線を合わせると、タブンネはまだどこか怯えたように体を震わせていた。この子は体だけではなく、心にまで深い傷を負っている。
 ふと、数日前に出会ったN君のことを思い出した。このタブンネのことを思うと、彼の言葉が改めて胸に突き刺さる気がする。
 ポケモンのために、人間とポケモンが生きる世界をわかつ。それが世界のあるべき姿、真実だと、彼は言った。
 彼が言わんとしていることはわかる。現状は、ポケモンとの共存を望む人間が多くいる一方で、ポケモンを生き物として見ていない人間だっている。
 それでも、私は。

「タブンネ。一緒に、幸せになろうね」

 私のことを信じようとしてくれている、この小さな命を自分の手で守りたい。人間に虐げられているポケモンがいるなら、一匹でもいいから救いたい。綺麗事だと、偽善だと言われてもいい。これが私の信じる、正義。人間とポケモンは共存してこそ幸せになれるという理想を、真実にするために。



2012.08.05
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