王様とトモダチの真実
「キミ今ポケモンと話していたよね」
「え?」
シャワーズとお散歩をしていたところに突然、後ろから話しかけられた。聞き覚えのない声の主を確認するために、シャワーズに落としていた視線をゆっくりと上げる。
私に声をかけてきたのは、ゾロアを連れた一人の男の子だった。イッシュの人は見た目が実年齢より大人びている人が多いから、男の子という表現が正しいかわからないけれど、少なくとも私より年下だろうと思う。
ボリュームのある緑の長い髪を後ろで一つに結い、目深に帽子を被った男の子。かなりの長身でデンジ君よりやや低いくらいだ。帽子と前髪の奥に隠れた瞳は髪と同じ緑色だったけれど、その瞳には暗い影がかかっているように見えた。
波導を使ってポケモンと話していて、はっきりとそう問われたのは初めてだった。
例えば、デンジ君やオーバ君だってポケモンに話しかけることは少なくない。完全な意志の疎通はできなくても、ポケモンは人間の言葉をくみ取ってくれるし、人間もポケモンの動作や表情や鳴き声から気持ちを察することができている。波導を使ってポケモンと直接会話できる私やゲンさん以外のトレーナーも、実質ポケモンと意志の疎通ができるのだ。
だから、彼が問いかけてきた内容に少なからず私は動揺していた。
「え、ええ。会話できているのかわからないけど、私はポケモンに話しかけるのが好きなの。ポケモンの表情を見ていると、何となく言いたいことがわかるから」
「ボクはそういうことを言っているんじゃない。キミはポケモンの言葉を完璧に理解した上でちゃんと会話できている」
彼はとても早口だ。言葉の間のどこにも息継ぎを入れずに、一気に核心を突く言葉を並べ立てる。
どうして、そんなことがわかるのだろう。彼からは波導使い特有の波導が感じられない。波導使いではない彼も、ポケモンの言葉がわかるの?
「ボクはN。ポケモンの言葉がわかるんだ」
「貴方も……?」
「それだけじゃない。ボクには訪れるべき未来が視えるんだ。キミとここで会うことはわかっていたよ。ナギサシティのレイン」
今度こそ本当に驚かされた。私は彼――N君と今さっき初めて会ったはずなのに、彼は私の名前と来た場所を知っていた。彼が本当に未来を視られるのだとしたら、N君は過去に今の私たちの会話を視て、それで私の名を知ったのだろうか。
ポケモンには未来予知を使える種族もいるけれど、人間が未来を視ることが可能なんて信じがたかった。波導でさえも、それは不可能だ。周囲に残る波導から、その周りに起こりえることを予測はできるけれど、誰が誰といつどんな話をするかなんて、過去は視えても未来は視えない。
「ねぇレイン。もしかしたらキミも世界を変えるべき英雄なのかもしれない」
「英、雄?」
「そう。ボクは人とポケモンが住む世界を完全にわけるために英雄になるんだ」
さっきからN君の言葉を理解することに必死だったけれど、またしても早口に並べられた言葉に私の脳はさらに混乱した。
人とポケモンが住む世界を完全にわかつ? そのために英雄と呼ばれる存在になる? 冗談? いや、本気だ。N君の波導を読むまでもない。彼の目を見れば、本気だということがわかる。
「どうして? どうしてポケモンと人をわける必要があるの?」
「……?」
N君は不思議そうに首を傾げた。それは、子供が何か初めて見るものを目にしたときのような、心からの純粋な疑問が動作に出たような動作と表情だった。
「ポケモンの言葉を理解できるキミがそんなことを問うなんて理解に苦しむね。ポケモンは人間にこき使われ虐げられ傷つけられている。そんなことが許されるはずないだろう?」
……N君が言うことも理解できる。実際、私は数年前にギンガ団の事件に関わり、ポケモンを道具のように、ううん、自分自身の力として使おうとする悪を見た。その悪に、私も大切なものを奪われた。
でも、それでも。ポケモンと人は共存してこそ互いに幸せになれると思う。
「……確かに、ポケモンを使って悪事を働く人間もいるわ。でも、ほとんどのポケモンと人間は助け合い支え合いながら暮らしているわ。それなのに引き離すなんて」
「キミは本当にポケモンと人間が平等でトモダチだと思っているのかい?」
「ええ」
「それならばどうしてトモダチを狭いモンスターボールに閉じこめて自由を奪っている?」
「え……?」
「キミもトレーナーだろう? バトルと称してトモダチを傷つけて勝った負けたと騒ぐのだろう?」
「それは」
(マスター)
私たちの会話を聞いていたシャワーズが、前足で私の足元を引っ掻いた。
「シャワーズ」
(マスター。シャワーズたちはね)
「やっぱり」
「え?」
「キミは英雄なんかじゃない」
シャワーズの言葉を遮ったN君の視線が、まるで凶器のように鋭く、冷たく、私を貫いた。
「キミはトモダチをただの奴隷としか思っていない」
「そんなことないわ!」
「本当にそう言い切れるのかい?」
「ええ。この子たちは私の大切な仲間よ」
「そうか。気付いていないようだから言わせてもらうよ。キミは間違いなく自分のトモダチを下に見ている。その証拠にキミはシャワーズに自分のことをマスターと呼ばせている」
「!」
「本当のトモダチならば自分のことをマスターなんて呼ばせないはずだろう? トモダチの声が聞こえるキミはわかっているはずなのに」
「それ、は」
突然、腕をぐっと掴まれて、喉の奥からヒッと細い悲鳴が漏れた。N君のことが怖いから声が震えているんじゃない。手を振り払うこともできずにただ呆然としているのは、彼の言葉が私の胸に深く突き刺さったから。
ポケモンたちが私をどう呼ぶかなんて、今まで特に気にしたことなんかなかった。もちろん、みんなのことを下に見ているつもりなんて微塵にもない。
でも、彼が言った言葉には何も反論出来なかった。彼の言うとおり、だ。私は知らないうちに、ポケモンの世話をして「あげている」、と心のどこかで思っていたのかもしれない。ポケモンは私たちのために戦って「くれている」のに。
「世の中キミみたいなトレーナーばかりだからボクは世界を変える必要がある。ポケモンと人間が共に生きる灰色の世界を白黒はっきりわけなければならないんだ」
「そん、な」
「おい!」
聞き慣れた声の持ち主である二人が私とN君の間に入ってきた。青色と黄色の背中が私の目の前に壁を作ってN君を隠した。
デンジ君とオーバ君は、N君を警戒しながらも首だけを私のほうに振り向かせた。
「どうした?」
「レイン、なんかされたのか?」
「いえ……私は」
「シンオウ地方ジムリーダーのデンジと四天王のオーバか」
「!?」
「どうして名前を知ってるのかって顔をしているね。知っているさ。ポケモンを金儲けの道具にしている人間のことだからね」
「ああ!?」
「……どういうことだ」
私からN君の様子は見えないけれど、波導でわかる。N君は二人が凄んでも、少しも動揺していない。彼は、彼の思考が正しいと絶対の自信を持っているのだ。だから、揺るがない。
「だって、そうだろう? ジムリーダーも四天王もポケモンを使って自分の金を稼いでいるだけだ。ポケモンリーグなんていう制度があるからトレーナーになろうとする人間が後を絶たない。キミたちの存在はポケモンを傷付けることを勧めているようなものだよ」
「てめぇ、黙って聞いておけばなぁ!!」
(やめてよ!)
オーバ君がN君に掴みかかる前に、シャワーズが叫んだ。普段は温厚で滅多に怒ったりしないこの子から、微かに怒りの波導が伝わってきた。
それとは逆に、N君は今までに見せなかったような柔らかく優しい表情をシャワーズに向けた。しかし、その目の輝きは濁ったままだった。
(マスターたちのこと、そんな風に言わないで!)
「可哀想に。彼らを庇うように躾られているのかい? それとも彼らを守らないと後から酷い目に遭わされるのかな?」
(違うよ! シャワーズは……!)
「待っていてね。ボクが英雄になればキミも自由になれるから。ポケモンと人間が完全にわかれた世界。それこそが真実なんだ。さあ行こう」
N君はゾロアと一緒に立ち去ろうとした。ゾロアはこちらを気にするように時折チラチラと振り返ったけれど、N君は一度も振り返らなかった。
私はまだ彼の言葉を否定していない。否定しなきゃ。ポケモンは私にとって奴隷なんてものじゃなくて、仲間で、友達で、家族だと。
でも、足に根が生えたように動かなかった。N君の後ろ姿が小さくなるのをただ見つめて、唇を噛むことしかできなかった。
「待てよおまえ!」
「オーバ」
「何だよデンジ! 言われっぱなしでいいのかよ!? 俺たちは」
「レインが」
嗚呼、どうやらデンジ君が、私の様子がおかしいことに気付いたらしい。二人が私の顔を心配そうに覗き込んでくる。
「どうしたんだよ、レイン? あいつに何か言われたのか? 気にすんなよ! あんな不気味なやつのことなんか!」
「……」
「……レイン?」
(マスター。大丈夫?)
「呼ばないで」
(えっ?)
「私のことをマスターって呼ばないで」
絞り出すように出した声は、まるで私のものではないように低く、冷たかった。我に返って、シャワーズと視線を合わせる。困ったように鳴くシャワーズを抱きしめながら、ごめんねと呟いた。
人とポケモンが離れていいわけなんてない。そんなこと、あるはずがない。それでも、彼に言われた言葉がずっと頭の中で響いている。
彼はこれからも求め続けるのだろうか。彼が言う『トモダチ』のための世界を。人とポケモンが切り離された、共にあるべきものをわかつという、寂しい真実の世界を。
2011.04.09