10万ボルトって知ってる?




 底なし沼にハマってしまった体のように、気だるさが足下からじわじわと全身を飲み込んでいく。この薄暗い部屋で、仄かに灯るランプの下で、小説を書くことしかすることがない。ペン先を原稿用紙に押し当てても、それはぴくりとも動かない。ペン先からじわじわとインクが滲み出て、気付けば原稿用紙に小さな染みを作っていた。
 はぁ、とため息をついてペンを放り投げる。まるで、意識を深い闇に侵蝕されているいるような感覚。創作意欲がまるで沸かない。強い挑戦者でも来てくれれば、強烈なインスピレーションを受けるかもしれないけれど、挑戦者なんてここ数ヶ月来ていない。望みは薄い。
 まあ、挑戦者が来ないのも仕方がないのかもしれない。今のイッシュリーグの王座は空席だから。

「『王が消え、やがては四天もこの地を見限り、そして残るは』……」

 首を横に振って、物語の先を考えることを拒んだ。たまにはイッシュリーグを出て、違う空気を吸ってみようか。そうすれば、スランプから脱出できるかもしれない。そう思ったときだった。
 ランプの中で燃えている炎が、風でも吹いたかのように一斉に消えた。モンスターボールからシャンデラを呼び出して灯り代わりになってもらう。
 コツ、コツ、と誰かが階段を上がってくる足音が聞こえてきた。この静かな部屋では、小さな音でもよく響く。

「チャレンジャー……ですか? アタシはゴーストタイプ使いの」

 そこまで口にしたとき、今、アタシたちの間に言葉は要らないのだと悟った。アタシの前に現れた、金色の髪を持つ男は無表情ではあったが、海のような青い目だけは爛々と輝かせてアタシを見ている。
 彼から、これから始まる勝負に対する高揚感が、電流のようにビリビリと伝わってくる。まるで、餌に餓えた獣のようだ。稲妻のように颯爽と、しかし音もなく現れたこの男の隣には、サンダースが静かに寄り添っている。アタシの隣にるシャンデラは、相手の力量を悟り、闘志を燃やしている。
 言葉は要らない。薄暗いこのバトルフィールドで、無言で見つめ合うアタシたちの間には、今にも火花が迸ろうとしている。こめかみを汗が伝いそうになるこの緊張感の中で、アタシはすっと息を吸った。

「シャンデラ! サイコ」

 シャンデラが技を繰り出す前に、重厚な音が轟くのと同時に、視界が真っ白に染まった。光が解けた直後、バチバチと音を立てた電気が、シャンデラにまとわりついているのが見えた。
 ドッ、ドッ、と今までにないくらい大きな動悸を感じる。同時に、体の奥底より、久しく感じていなかった感情が沸き上がってくるのがわかった。速い。サンダースという種族が速いということを差し引いても、このサンダースは群を抜いている。そして、このデタラメな威力の技は何?
 アタシの疑問を見透かすように、男は目を細めて口角を上げた。

「10まんボルトって知ってる?」

 挨拶代わりにそう言った男の名前がデンジだと知るのは、ポケモン勝負のあとだった。



2012.08.11
- ナノ -