深海からこんにちは




 跳ね橋の上でバトルをした後のことだった。シャワーズが火傷を負ってしまったので波導を使って治していたところ、海から水の帯のようなものが伸びてきて、私の体に絡みついた。体が持ち上げられて、そのまま海へと引きずり込まれて、そこからは先のことは覚えていない。体が海に沈んだ瞬間、私の思考は恐怖に飲まれて、苦しむ間もなく意識を手放した。
 意識を取り戻したとき、私の目に映ったのは黒だった。もちろん、それは瞼を持ち上げて見えた景色だ。私がいる場所は辺り一面、果てがないほどの暗闇だった。あの、嵐の夜の恐怖が襲い来る。海に落ちた私は冷たい暗闇に飲まれて、沈んでいって……。
 声にならない悲鳴を上げて、瞼を閉じた。その瞬間、瞼越しに光を感じた。
 恐る恐る、再び瞼を持ち上げる。半径五メートルほどではあるけど、光が生まれて周囲が見えるようになっていた。私はごつごつした岩の上にいるようだ。周りには壊れた船が横たわり、人やポケモンの骨が、そこら中に転がっている。
 宙には気泡が浮いている。ここは、海の底。深海だ。一瞬にして体中に鳥肌が立った。
 私は薄いベール状の腕をした半透明のポケモンの群れに囲まれていた。そのうちの一体、私の側にいる桃色の体のポケモンがダイビングを使って私を深海の環境から守ってくれて、フラッシュを使って周りを照らしてくれていた。
 このポケモン、は。

「貴方たちは……プル、リル?」

 ポケモン図鑑を開いて確かめた。周囲にいたのはプルリルと、その進化系のブルンゲル。みずタイプとゴーストタイプというシンオウ地方にはないタイプ組み合わせを持つポケモンだ。
 青い個体と桃色の個体がいるのはオスとメスで体の色が違うから。彼らは獲物を毒で痺れさせてベール状の腕を相手の体に巻き付け、8000メートルの深海にあるという住処に沈んでいくらしい。ここが、きっとその住処なんだ。
 私も、転がっている骨のように、なるの? 体の底から恐怖感が沸き上がってきた。怖い、けど、自分で何とかするしかない。
 パチリと図鑑を閉じながら用心深く辺りを見回し、モンスターボールに手をかけた。いつでもバトルに入れるように神経を研ぎ澄ませる。シャワーズはダイビングを覚えているから、この深海でも戦えるはず。
 でも、どうもおかしい。どうして、わざわざ獲物を生かすようにダイビングを使って深海圧から守る膜を張り、フラッシュで私の視界を確保するのか。

「私を、食べるの?」
(いいえ。あなたはは不思議な力を持っているでしょう。だから、助けて欲しいの。この子のことを)

 この子、とは、岩肌の窪みに寝かされた赤ん坊のプルリルだった。顔色が悪いし、呼吸が小刻みで速い。とても苦しそうだ。傍には母親らしきブルンゲルが心配そうに寄り添っている。
 フラッシュを使ってくれている桃色のプルリルが私に話しかけてきた。

(自分の体内で作り出す毒に侵されてしまって熱を出して苦しんでいるの)
「生まれたばかりで、まだ毒をうまく制御できないのね」
(お願いよ。あなたは橋の上で、バトルで傷付いたポケモンを癒していたでしょう? その力を使って、お願い……)
「わかったわ。やってみる」

 バトルをして毒状態に侵されたポケモンを癒す方法と同じなら、なんとかなる。あいにく、どくけしは持っていないけれど、私には波導がある。
 シャワーズの火傷を治療した要領でプルリルに波導を送り、毒素を浄化させる。三分くらいかけてじっくりと治療を行った結果、プルリルの顔色はよくなり規則的な寝息が聞こえるようになった。

「よかった……これでもう大丈夫……!?」

 突然、辺りがざわつきだした。プルリルやプルンゲルたちの目の色が変わった。あれは、獲物を狙う、目、だ。
 そうだ、ここは海の底。プルリルたちの住処。
 忘れていた恐怖が蘇ってきたとき、私の側にいたプルリルが手を広げて前に立ちはだかってくれた。

(この人間はダメ。仲間を助けてくれた人間を餌には出来ないわ)

 その言葉を聞いたプルリルたちはつまらなさそうに散っていった。どうやら、私も彼らに助けられたみたいだ。

(ありがとう)
「ううん。いいの。こちらこそ、ありがとう。食べられるんじゃないかと冷や冷やしたわ」
(わたくしたちの仲間は生命エネルギーが好物だから、生きている者には見境なく食らいつこうとするの。あなたのことはわたくしがちゃんと送っていくわ)
「ありがとう。きっと、みんな心配してると思うの……急いで戻らなくちゃ」

 右腕をプルリルに引かれて、私の体は海面へと向かう。上昇するにつれて海の色が変わっていく。真っ暗だった景色が濃紺へ、青へ、鮮やかなエメラルドグリーンへとグラデーションになっていった。
 もうフラッシュの明かりはいらない。太陽の光がカーテンのように揺れて、なんて綺麗なんだろう。海底にいたとは思えないくらい速く海面に着くことができた。きっとプルリルが急いでくれたんだ。
 私はダイビングの膜で守られていたから、何の水圧を感じることもなく無事に海面へ顔を出すことができた。海からライモンシティが見えない。ここはホドモエシティ側の海なのかもしれない。
 浜辺に立つと、足に力が入らず思わず座り込んでしまった。安心からか体が冷えたからかくしゃみが出た。全身ずぶ濡れだし、これはポケモンセンターに直行してシャワーを浴びなくちゃ。

「ありがとう。早くポケモンセンターに行ってデンジ君たちを探さなくちゃ。プルリル、貴方は海に帰るの?」
(……わたくしは助けを探すために海面に姿を現したのだけれど、深海以外の景色を初めて見たの……こんなに明るい景色もあるのね)

 つぶらな目にじっと見つめられる。彼女が何を言いたいかなんて、波導を使わなくてもわかる。

「私と一緒にいろんな景色を見てみる?」

 私がそう言うと、プルリルは初めて笑顔を見せてくれた。空のモンスターボールを差し出せば、プルリルは自ら中に入っていった。
 そのとき、砂を蹴る音が聞こえてきた。

「レイン!!」

 振り向いた瞬間に、デンジ君から抱きしめられた。汗の匂いがする。心音がドクドクいっている。私のこと、たくさん探してくれたのかもしれない。こんなに汗だくになるまで、ずっと。
 「無事でよかった」と啜り泣くデンジ君の背中に手を回して、私も泣きそうになりながら「ありがとう」と呟いた。



2011.03.14
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