終わらない夜




「お疲れ様、二人とも」
「本日のバトルは引き分けでございましたね」
「ぼく、すごく楽しかった! でも、次はちゃんと勝ちたいな! ねぇ?」
「はい。私もまたお二人とバトルをしたいです」

 バトルを終えて地上に戻った私たちは、四人並んでライモンシティを歩いた。
 話題に上がったとおり、私とカミツレさんがタッグを組んで、サブウェイマスターに挑んだバトルは引き分けという結果に終わった。というより、終着駅までに勝敗がつかず、次回に持ち越しとなってしまったのだ。
 次、があるのかはわからないけれど、サブウェイマスターの二人とはまたバトルしてみたいと思う。もちろん、カミツレさんとも。
 私の隣を歩くカミツレさんをちらりと見上げる。彼女の反対隣では、今日のバトルは楽しかったと言ってはしゃいでいるクダリさんがいる。

「カミツレさん」
「なに?」
「今日はどうして私を誘ってくれたの?」
「んー。……レインさんがわたしに対してちょっと警戒心を持ってるように感じたから、仲良くなりたかったの」
「! カミツレさん……」

 少しだけ寂しそうにカミツレさんは笑った。
 ああ、バレてたんだ、私の気持ち。不思議と驚かなかったし、気まずさも感じなかった。だって、カミツレさんに対して余所余所しい態度をとって一線を引いているって、自分自身で気付いていたから。
 それに、と言ってカミツレさんは視線だけを反対隣に向けた。
 ノボリさんとクダリさんはサブウェイを出たときから相変わらず賑やかだ。というより、絶え間なく喋るクダリさんにノボリさんが相槌を打ったり、時折ツッコミを入れたりしているのだけど。同じように見えて正反対な二人だけど、仲が良いなぁと思う。まるで、デンジ君とオーバ君みたい。そんな二人を楽しそうに見つめるカミツレさんは、まるで私自身を見ているようで。

「わたしがただ彼らに会いたかっただけかもしれないわ。バトルがしたいなんて言っておきながら、会う口実が欲しかったのかも」
「カミツレさん……」
「わたしはモデル兼ジムリーダー。彼らはサブウェイマスター。幼馴染でずっと一緒にいたけど、最近は忙しくて一緒に過ごす時間がなかったから」

 このとき、私は初めてカミツレさんが普通の女性であると感じられた。カリスマモデル、そしてジムリーダー。世の中の脚光を一身に浴びる彼女。そして、二人の男性の幼馴染であり……その一人に恋をする彼女。どちらも、カミツレさんだ。
 有名人だって、恋をするしきっとそれで悩むことだってあるんだ。私と同じ。そう考えたら、今まで胸につっかえていた靄が少しだけ晴れたような気がした。

「カミツレさん」
「なに?」
「カミツレさんが好きなのって……」
「え」
「カミツレ様」
「カミツレちゃん!」

 ノボリさんとクダリさんが同時に名前を呼んだとき、カミツレさんの肩が大きく跳ねた。同時に、彼女から強い想いの波導を感じ取ってしまった。
 そっか。カミツレさんが好きなのは……。

「ねぇねぇ! 久しぶりに飲みに行こうよ!」
「え? わ、わたしはいいけど、二人とも明日は早いんじゃない?」
「わたくしたち、明日は遅番ですのである程度なら大丈夫でございますよ」
「そ、そう? じゃあ決まり! レインさんも一緒にどう? お酒、強いんでしょう?」
「え、ええ。でも、どうしてそれを……?」
「デンジから聞いたの。あいつ、バトルを始める前も後も、レインさんのことばかり話すのよ。ふふっ」
「デンジ君ったら……」
「ねぇ。行きましょう?」
「ええ、是非……」

 ご一緒させて、と言おうとしたとき、あることを思いました。デンジ君、バトル、カミツレさん……ジム戦。そうだ、私はデンジ君がジム戦を始めるという直前、具合が悪いから先に戻ると言ってジムを飛び出したのだった。
 私がカミツレさんと会ったのは一時間ほど前だ。短く見てもカミツレさんは一時間前にはジムを出ている。デンジ君だって、同じくらいかそれより早くジムを出て、ポケモンを回復させるためにポケモンセンターへと一直線に戻っているはず。私がいないことがバレたら……。

「や、やっぱり私はいいわ。ポケモンセンターに戻らなきゃ……すっかり忘れてたわ。デンジ君に心配かけちゃう……」
「へぇ、デンジが?」
「ええ。デンジ君、心配性だから」
「変わったのね、デンジ。それとも、あなただからかしら」
「デンジ君は小さいときからずっと心配性よ? 私、迷惑や心配をかけてばかりで」
「じゃあ、やっぱり後者ってことね。愛されてるのね、レインさん」
「え?」
「ねー! 二人とも何の話?」
「内緒よ」
「ケチー!」
「クダリ。少し大人しくなさってくださいまし。それでは、まずはレイン様をお送りいたしましょう」
「え? いえ、大丈夫です」
「女の子一人、夜道危険!」
「クダリ。やっぱり、わたしたちはいらないかも」
「どうして?」

 カミツレさんは悪戯っぽく笑って、目線だけを右に向けた。それを辿ってみると、数十メートル先に見知った人影が見えた。
 私は思わず身震いしてしまった。その人影――デンジ君は、離れたここからでもわかるほど、表情が険しかった。

「じゃあね。レインさん。デンジによろしく。あと、これ」
「え、え!? これ……」
「ボルトバッジ。ジム戦はしてないけど、一緒に戦ってみて、あなたがこのバッジに相応しいトレーナーだってわかったから。じゃあね」
「あ、あの」
「レイン」

 デンジ君の声はいつの間にか真後から聞こえた。さよならをするために上げていた右手が固まってしまって動かない。その体勢のまま恐る恐る振り向き、目線を上げる。
 驚くことに、デンジ君は笑顔だった。でも、その笑顔にどこか恐怖を感じている私がいるのも事実。
 私は一歩、後ろに下がった。すると、デンジ君がまた一歩、私に近付く。そして、また私が一歩下がる。

「で、デンジ君」
「具合が悪かったんじゃなかったのかな? ん?」
「あ、あの」
「カミツレと一緒に男二人侍らして夜遊びか? レインチャン?」
「ちっ、ちが」

 とん、と背中に何かが当たって、それ以上下がれなくなってしまった。背と右側には建物の壁があり、左側にはデンジ君の右腕が伸び、正面には笑顔の裏に怒りを隠したデンジ君がいる。
 泣き出しそうになるのを堪えながら、私は胸の前で両手をぎゅっと握った。まるで、肉食獣を前にして命乞いをする草食獣みたいだ。

「何か言うことはあるか?」
「っっっ、ごめんなさいっ!」
「……全く」

 ぎゅう、と体全体で押し潰されるように抱きしめられる。時間が遅くて人通りが少ないのが幸いだと思った。人前で触れられるのは、何年付き合っていても慣れない。

「浮気とかそんな心配はしてないが、おまえ自身の心配はするだろう? 具合が悪くて先に帰るって言うから、こっちも早いとこジム戦を終えてポケモンセンターに戻ったら、レインは帰ってないし」
「……本当にごめんなさい。私、デンジ君がカミツレさんと一緒にいるところを、見たくなかったの」
「考えるなって言ったのに」
「だって……二人が並んでいて、すごくお似合いだったから。私なんかがデンジ君の隣にいていいのかなって思って……」
「……くだらないし、わからない。オレが好きなのはレインだけなのに」
「うん。それは……わかってる。すごく大事にしてくれてるって、ちゃんと感じてる。私の気持ちの問題だったの」
「でも、もう解決したみたいだな」
「え?」
「なんか、カミツレと話してるところを見付けたとき、すっきりした顔してた」
「……ええ。もう大丈夫なの。心配かけて本当にごめんなさい。探しに来てくれてありがとう」
「ん。じゃ、戻るか。オーバも心配して探してる」

 私の手を取って、デンジ君は歩き出そうとした。でも、私はデンジ君の手を握ったまま、そこから動かなかった。デンジ君が不思議そうに私を見下ろしている。

「レイン?」
「…………」
「どうした?」
「……もう少し、二人でいたい」
「…………」
「な、なんて……あ、あは、冗談だから……っ、で、デンジ君?」

 デンジ君は少し強めに私の手を引っ張って、歩き出した。その方向は、なぜかポケモンセンターがあるほうとは逆だ。

「どこに行くの?」
「どこって、レインが言ったんだろ? 二人でいたいって」
「!」
「少しだけとは言わず、朝まで二人でいてやるよ」
「え、えっと」
「そのつもりで言ったんだろ?」
「あああああの、でも、オーバ君は、っ」

 戸惑う唇にキスを落とされた。言い訳ばかりを探す私を黙らせるように、触れられた。
 ああ、やっぱり、もっとこうしていたい。

「不安だったんだろ? そんなもの感じる暇もないくらい、愛してやるよ」

 その言葉に私が頷くまで、そう時間はかからなかった。
 きっとデンジ君は、これから先、また私が不安になることがあっても、こうして私の中のもやもやを全部吹き飛ばしてくれる。彼に愛されるたびに、私は私のことを一つずつ好きになっていくんだ。



2011.12.18
- ナノ -