とある電気使い達の事情




 昨日から、心の隅にずっしりと残った痼りが消えない。こんな状態でジム戦なんてできる気がしなかったけど、二人の前では平静を装い、重いため息を飲み込んだ。
 ポケモンセンターを出ると、街に流れる賑やかな音楽が私たちを迎えてくれた。

「よし、絶好のジム戦日和だな」
「ええ……頑張りましょうね」
「ライモンジムリーダーはでんき使いみたいだからなぁ。特にレイン、気をつけろよ」
「ええ……」

 晴天なのに、私の心は曇り空のままだ。昨日、デンジ君が呟いた一言がどうしても忘れられない。
 デンジ君が昔、いろんな女の子と付き合ったことがあるのは知っているし、それを気にしたことはなかった。だって、デンジ君みたいに素敵な人に今まで恋人がいないほうがおかしいもの。私が知る限り、みんな綺麗で可愛い子ばかりだった。
 でも、いつの恋人だったのかはわからないけど、カミツレさんは『綺麗』とか『可愛い』とか、そんな言葉だけでは言い表せないくらいすごい人だと思う。彼女を知らない人なんて、きっとイッシュ地方だけでなく他の地方にもほとんどいない。シンオウ地方で販売されているファッション雑誌にもカミツレさんは何度も登場していて、見るたびにスズナちゃんが黄色い声を上げていたっけ。
 カミツレさん。私とは別の世界に住む人。そんな彼女と、デンジ君は付き合ってた。なんだか、デンジ君まで少し遠くに感じてしまう。

「なぁ、デンジ。昨日のこと、どういうことだよ」
「何が?」
「だから、イッシュ地方のトップモデルがおまえの元カノって、俺聞いてないぞ!?」

 オーバ君が話し出した話題に、心臓が跳ねた。何も関心がないふりをしようとしても、耳はデンジ君の声を拾おうと必死だった。

「話すのだるい」
「なんだよ。レインだって気になるよな?」
「え? ええ……」
「つかおまえ、レインがいる前でよくそんな話題を振れるよな。無神経かよ」
「いやいや、俺はおまえらを信用してるんだよ。もう、付き合いだして何年だ? 元カノの話題で気まずくなるような、柔な繋がりじゃないだろ。な?」

 同意を求めるように、オーバ君は私にニカッと笑いかけた。私は上手く笑い返せたかしら。
 気まずくなんてならない。だって、二人が付き合っていたのは昔のことだもの。今、デンジ君の一番近い場所にいるのは私だもの。
 ただ、私が気にしているのは、そういうことではなくて。

「言っとくけどな、付き合ったかどうかも怪しいんだよ」



 ――二十歳を過ぎて、オレがジムリーダーになったばかりの頃、研修の一環で一週間ほどイッシュ地方に来たことがあった。研修の場になるのは、もちろんでんきタイプのジムがあるライモンシティだった。そこで、同じ時期にジムリーダーになった少女――カミツレと出会った。
 あいつはオレよりも少しばかり年下だったが、当時からモデルの仕事をしており、ちょっとした有名人だった。お高くとまっているガキと一緒に研修なんてやっていけるんだろうかと思ったが、若いうちから業界に揉まれているせいか、カミツレは礼儀正しかった。モデルなんて、紙面では笑顔を振りまいているが、実際はツンとして性格が悪そうだという先入観があったが、それもなくなった。
 実際、カミツレは賢くしっかりしていて、どちらかといえばクールな性格だったが、関わっていく中で抜けている部分があることもわかったし、個性的な笑いの価値観を持っていることもわかった。モデルといえども、カミツレは未だ十代の少女だったのだ。
 同じでんきタイプを極める、ポケモン好きのバトル好きという共通点も合わさって、オレたちが打ち解けるまでそう時間はかからなかった。研修が終わる頃には、オレたちは仲間だと呼べる間柄になっていたんだと思う。
 研修最後の日、シンオウ地方へと帰る直前にカミツレから告白されたオレは、二つ返事で頷いた。互いを高め合ういい関係を築いていけるかもしれない、とそのときは思ったからだ。
 連絡先を交換し、オレはシンオウ地方へと帰った。しかしまあ、これだけ離れている遠距離恋愛がそう長く続くはずもなく、互いに連絡する頻度が減り、僅か一ヶ月ほどで自然消滅をし、今日に至る。



「以上」

 デンジ君は半ば自棄になりながら、一気に語った。オーバ君は目を点にして、呆れかえった様子でデンジ君を見ている。

「なんだよ、オーバ。話してやったぞ」
「……遠距離恋愛って、やっぱ難しいものなんだな」
「これだけ聞いておいて触れるところがそこか」
「あ、いやいやなんでもない。それにしてもおまえ、本当にスーパーモデルと付き合ってたんだな。もちろん今はレイン一筋ってことは知ってるけどよ……あ!? もしかしてライモンジムリーダーって」
「ああ。あれから変わってなければ、カミツレだろうな」
「最初から言えよ!」
「いや、まったく頭になかったんだよ。忘れてた」
「トップモデルと付き合った過去を忘れてたなんて、おまえってやつは……」

 デンジ君。カミツレさん。研修。トップモデル。でんきタイプ使い。元恋人同士……。

「レイン?」

 いろんな単語でぐちゃぐちゃになっていた私の脳に、新しい単語が響いた。私の名前。デンジ君が、呼んだ名前。
 デンジ君と視線を合わせると、彼は少し不安そうに眉を潜めていた。

「なぁ、何か変なこと考えてないよな?」
「え?」
「あくまでも、昔の話だからな。カミツレと恋人らしいことなんて何もしてないし」
「……ええ。わかってるわ」

 わかってる。昔のことだってわかってる。でも、やっぱり、どうして、胸の中の靄が晴れないんだろう。
 そうこうしているうちに、ライモンジムに着いてしまった。ライモンジムの中は薄暗く、様々な色のネオンライトで飾られていた。
 一際目を引いたのが、ジェットコースターだった。入り口に置いてあるそれはちゃんと動くらしく、走行するためのレールまで設置されている。

「すげぇ、このジム! つか、ジムというより遊園地だな! こんなの見たら、また改造魂に火が点くんじゃねぇの?」
「確かにすごいが、これは仕掛けってレベルじゃないからな。オレのジムとはまた別物だ」
「もしかして、これに乗るの……?」

 近くにいたジムトレーナーに恐る恐る聞くと、にこりと笑って頷かれた。どうやら、正解らしい。
 ジェットコースターに座り、安全バーが下ろされ、私はそれに強くしがみつき、きつく目を閉じた。ガタン。車両が揺れて、ジェットコースターが動き出した。

「〜〜っっ!!」

 目を閉じていたし、波導も閉じていたから、ジェットコースターがどんな道を走ったのかはわからない。ただ、体が左右に揺れたり、体に強い遠心力を感じたりして、思わず息をするのも忘れてしまいそうになったのは事実。
 ジェットコースターが停止し、それから降りると足下が覚束無く、デンジ君の腕を借りてようやく立っていられたくらいだ。

「楽しかったなぁ! 一回転するとことか最高!」
「レイン、大丈夫か?」
「な、なんとか……」
「デンジ?」

 想像していたよりも少し低めの声が最初に紡いだのは、デンジ君の名前だった。
 バトルフィールドで待っていたのは、間違いなくカミツレさんだった。体にフィットした露出度の高い衣装は、個性的なデザインで、きっとカミツレさんじゃないと似合わない。想像に違わず、身長は高かった。それに加えて高いヒールを履いているものだから、オーバ君よりも高そうだ。そのヒールをコツコツ鳴らしながら、カミツレさんは私たちに近付いてきた。

「やっぱり。昨日、ミュージカル会場で見たのはあなただったのね」
「カミツレ……」
「研修でデンジがこっちに来たとき以来かしら?」
「ああ。そうだな。やっぱり、おまえがジムリーダーか」
「ええ」

 何年も会っていなかったはずなのに、二人はまるで数日ぶりに再会した恋人のように会話を交わしている。
 さっきのデンジ君の話から考えると、二人の付き合いは気まずい終わりかただったのかもしれないのに、それすら感じさせない。本当に、もうお互いに何とも思っていないのかもしれない。
 でも……。

「近くで見るとまた違うなぁ。顔小さいし、目はでけぇし、背は高いし、足ながっ!」
「ええ……」
「つか、隣に立っても様になるあたり腹立つよな。デンジの野郎」
「…………」

 オーバ君が漏らした言葉は、私もずっと思っていたことだった。
 神様がいるとしたら、神様自身が手がけた作品であるかのように、カミツレさんは綺麗だ。例えば、シロナさんもとても綺麗な人だけど、カミツレさんからはまた違った種類の美しさを感じる。
 その隣に立つ、デンジ君。ヒールを履いたカミツレさんよりも高い身長と、カリスマモデルと並んでも決して劣らない容姿。いつもは近くに居すぎて気付けなかったけど、デンジ君って本当にすごい人なのかもしれない。
 そんな人の隣にいるのは、平凡を絵に描いたような私で……劣等感、羞恥心。考えちゃいけないのに、マイナスの感情ばかりが胸の中で渦巻く。

「今日はどうしたの? 研修じゃないでしょう?」
「ああ。今、イッシュ地方のジムを巡ってるんだよ」
「お友達と一緒に?」

 にこり、カミツレさんが私とオーバ君に笑いかけてくれた。ステージ上の笑顔とはまた違う、とても素敵な、キラキラした笑顔。
 俯いて、額に手を当てる。あまりにも眩しすぎて、眩暈がした。

「あの……私、ちょっと気分が悪くなったみたい……ごめんなさい。ポケモンセンターに戻るわね」
「マジか!? ……ほんとに顔色が悪いな。ジェットコースターで酔ったか?」
「え、ええ。そうかも」
「レイン」
「で、デンジ君とオーバ君はジム戦をしてきて? 私はまた、日を改めるから……」

 具合が悪い、なんて言っておきながら、その場を走り去った。あそこにいたら、自分が、自分の心がどんどん醜くなっていくような気がしたから。
 誰も、何も悪くない。この靄は私の気持ちの問題なんだ。
 デンジ君を信じていないわけじゃない、疑っているわけじゃない。ただ、私が私自身に対して自信を持てないだけ。私は、カミツレさんみたいに素敵な女性ではないから。デンジ君に相応しいか、不安に駆られただけなのだ。



2011.11.27
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