青い鳥とおいかけっこ




 普段走らないぶん、たまに全力で走ると普段から少しくらい運動しておけばよかったといつも思う。少し走っただけで息が上がってしまって呼吸が苦しくなる。傍らを走るシャワーズはこのくらいなんてことないらしい。走り始めたときと同じくらい軽快な走りだった。
 ミュージカルホールの前で立ち止まり、膝に手を突いて息を吐き出す。すぐに新しい酸素を取り入れたいのに、体がついて行かないのが辛い。じんわりと汗までかいてしまった。

「はぁっ、はぁ……! どこに……?」
(マスター! あそこ!)

 シャワーズの視線を私も追いかけた。街灯の上にコアルヒーがいる。
 あの子が、私たちが走っている理由だ。コアルヒーがくわえている指輪を取り戻すために、私たちはあの子を追いかけている。

「シャワーズ! みずでっぽう!」

 シャワーズは水の塊を勢いよく棒状に発射したけれど、遠くにいるコアルヒーはそれをひょいっと避けて道沿いに飛んでいく。それをまた、私たちは走って追いかける。

「待って! 返して! 私の大切な……!」

 ひゅっ、と空気の塊が喉の奥に入り込んできて、一瞬息が詰まった。立ち止まりながら咳をして体を落ち着かせる。コアルヒーはあっという間にライモンシティの中に消えた。
 足に力が入らない。早くも体力切れだ。情けない。それでも、諦めたりしない。あの指輪は私の大切なものだから、絶対に取り返す。

「はあ、っ、はぁ……絶対、捕まえ、なくっちゃ」
(マスター。大丈夫?)
「ええ……っ、追いかけましょう! 波導を探れば追いかけられるから」
(うん!)

 こうなった経緯を思い返してみる。
 最初は、ポケモンセンターの庭でシャワーズと遊んでいたら、野生のコアルヒーが寄ってきたのだった。人懐っこそうに寄ってきたので、人間慣れしているのだと思い、左手を伸ばした。するとコアルヒーは、私が左小指にはめていたピンキーリングをするりと取って、飛んでいってしまったのだ。
 それが追いかけっこの始まりだった。あれは私の大切なものだ。デンジ君の恋人という存在になって、初めて迎えた私の誕生日に彼が贈ってくれたものだ。だから、絶対に取り返さなくちゃいけない。
 ふと、バトルサブウェイの時計が目に入ってきた。追いかけっこ開始から正に一時間が経過していた。
 そのとき、コアルヒーが私の視界を遊ぶように横切っていった。

(いた!)
「れいとうビームで動きを止めて!」

 シャワーズはれいとうビームを乱射した。しかし、コアルヒーが高いところにいるから狙いを付けにくく、思うように当たらない。それに、ここは街の中だ。強力な技の濫用はできない。
 コアルヒーはちらりとこちらを見ると、また翼を広げて空に舞い上がった。逃がしてなるものかと、上を向いて走る。

「待って! お願い、返し……っ!」

 前方と足下に意識が向いていなかった私は、自分の足に躓いて道路に叩き付けられてしまった。転んだときに突き出した手のひらが痛い。恐る恐る体を起こした。でも、そのまま立つ気力が沸かずに道路に座り込んだまま動けなかった。膝に血が滲んでいる。本当に、情けない。じわりと視界が潤んできた。ポタリ、地面に黒い染みができた。

「お願い……返して……」

 力なくそう呟いたとき、私の前に影が出来た。コアルヒーが舞い降りてきたのだ。嘴の先に咥えている指輪を差し出して、私に取れと言っているように見える。

「返してくれる、の?」

 コアルヒーはこくりと頷いた。血が滲んだ手のひらを器のようにして差し出せば、そこに指輪を落としてくれた。それをすぐに左小指にはめる。
 よかった。ちゃんと返ってきた。
 どっと安心感が押し寄せてきて、私の涙腺はまたしても弛んでしまった。

「ありがとう……っ」
(マスター! お礼なんか言わなくていいよ! 悪いのはこの子だよ!)
(ごめん! ほんっとにごめん!)
「コアルヒー」
(キミとシャワーズが楽しそうに遊んでいたから、オレも遊んで欲しくて……本当にごめんね。怪我させたり泣かせたりするつもりはなかったんだ)
「そうだったの……いいの。ありがとう。これ、本当に大切なものなの……」
(マスター。帰ろう? お膝とおてて、怪我してる)
「そうね……」

 気が立っているシャワーズの後を追おうとしたけれど、ふと立ち止まって振り向いてみた。コアルヒーはまだそこにいて、申し訳なさそうに俯いている。たぶん、悪いことをしてしまったと自分を責めているのもあると思うけれど、もう一つ気を落としている理由があるように見えた。だから、私はコアルヒーの目の前まで戻って、なるべく視線が近付くように屈んだ。

「貴方、野生のコアルヒーなの?」
(うん)
「じゃあ、私の手持ちにならない?」
(えっ?)
「そうしたらいつでも一緒に遊べるわ。ね? シャワーズ」
(もー、マスターはお人好しだよぉ……)
「ふふっ。ね?」

 ニコリと笑ってみせると、コアルヒーは嬉しそうに高く鳴いた。やっぱり、一緒に着いてきたかったのね。新しい仲間なら大歓迎。これから一緒に楽しい旅をしていきたい。
 一つ増えたモンスターボールを抱きしめながら、急ぎ足でポケモンセンターに帰る。確か、オーバ君はダルマッカを捕まえるって四番道路に行ってて、デンジ君はシママを進化させたいからと鍛えるためにビッグスタジアムに行っている。
 二人に心配をかけないよう、二人より先に帰って着替えたり膝を治療をしておきたい。と思っていたけれど、ポケモンセンターに戻るとすでにデンジ君が帰ってきていた。
 デンジ君は私の姿を見て目を見開いた

「レイン!」
「た、ただいま……」
「どうしたんだその格好……それに目が赤い……まさか……!」
「あ、あの! ちょっと転んじゃって……」

 デンジ君はジョーイさんから救急箱を借りた。ロビーにあるソファーに座り、膝と手のひらの消毒をしてもらいながらことの成り行きを話す。
 最後に、デンジ君は全ての心配を吐き出すような盛大なため息をついた。

「そんなことがあったのか」
「ええ」
「てっきり男に襲われたのかと……まったく、指輪くらいいいのに。おまえが怪我しないほうが大事だ」
「そんな。怪我は治るけど、これはデンジ君からもらったたった一つのものだから……大切なの」
「……そうか。でも、もう無理するなよ」
「はい」

 そうは言いつつ、指輪を大切にしていると知ったデンジ君は嬉しそうだった。
 左手に視線を落とす。もらったときと比べたらだいぶん色褪せてしまったけれど、大切であることに変わりはない。これは私のお守りのようなものだった。まるで、デンジ君がいつも傍にいてくれてるようで安心する。
 ぎゅっ。右手で左手を包み込み、柔らかく握った。うん、やっぱりこれがあるとしっくりくる。

「近々、本物を贈るつもりだしな」

 突然、そんな声が斜め上から降ってきた。もちろんデンジ君が言った言葉だった。意味を解りかねていた私が首を傾げながら見上げると、デンジ君ははぐらかすように笑って私の頭をわしゃわしゃと撫でた。



2011.03.19
- ナノ -