君への想いと友の願い




 狭いゴンドラの中で向かい合って座る、二人。そこに甘ったるい空気などが存在するわけもなく、ただただ時が流れるのを待つのみ。

「…………」

 ライモンシティ名物の大観覧車。もちろん、オレはレインと二人きりで乗るつもりだった。二人で片側に座って肩を抱いたりキスしたり、十数分間の甘いひとときを楽しむつもりだった。
 しかし、空気を読めない男の代表であるオーバが「俺も乗りたい!」と駄々をこね出したのだから、それだけでオレの血管は切れそうだった。心優しいレインに促され三人で乗ることになったのだが、さあもうすぐオレたちの順番だというところでまたしても問題が発生した。なんとこの観覧車、二人乗り専用だったのである。
 オレは内心「しめた」と思った。二人乗りとあればさすがのオーバも空気を読むはずである。実際、それを聞いた瞬間にオーバは「あー、じゃあ」と身を引く素振りを見せた。
 しかし、ここでまたしても思いも寄らない展開になってしまった。オレたちの後ろに並んでいた親子が「すみません」とレインに声をかけてきたのだ。母親の顔は若干青ざめているようだった。
 話を聞くと、子供が観覧車に乗りたいというので並んでいたらしいが、母親本人は高所恐怖症で観覧車が苦手なのだという。子供のためだと思って並んでいたが、直前まで来て恐怖の限界が訪れたらしい。そこで、ちょうど前に並んでいたオレたちが三人組であることを知り、レインに娘と一緒に観覧車に乗ってくれないだろうかと頼んできたのである。「ちょうど一人余るところだったんでいいですよ。一緒に乗りましょう」とレインは子供に笑いかけた。
 さあ、もうお気付きだろう。オレは現在、オーバと二人っきりで観覧車に乗っているのだ。あのときオレは、野郎二人で乗るくらいなら観覧車なんか乗るものかと思った。それはオーバも同じ意見だったようで、驚愕に満ちた表情で口を開こうとしていた。しかし、ちょうどよく順番が回ってきてしまい、係員に誘導されたオレとオーバはあれよあれよという間にゴンドラの中へと押し込まれてしまったのだ。
 無情にも閉まる錠の音。それからオレたちは男二人だけの空中遊泳へと向かったのだ。
 別にオーバと二人になったからといって何も困ることはないのだが、問題はこのシチュエーションだ。もう一度言おう。観覧車に野郎二人で乗って何が楽しいというんだ。はぁ、と吐き出されたため息は二つ分だった。

「苦い……苦いぜ俺の青春……野郎二人きりで観覧車なんて……」
「その言葉、そのまま返させてもらうからな。というか、もう青春って年齢でもないだろ」
「そういやそうだなぁ。もう二十年以上一緒にいるんだよなー、俺たち。不思議だよなぁ」
「こうも性格は違うのにな」
「ははっ! まあな! よく遊ぶようになったのって五歳頃だったっけな? レインも加わって、なんか今まであっという間だったよなぁー……」
「…………」
「変わったこともたくさんあるよな。俺は四天王になったし、おまえはジムリーダーになった。レインもジムリーダーになるための準備を始めてるし、同じだけど違う道を歩いてる。まあ、一番変わったことといえばおまえらがくっついたってことか! おまえ、あんないい子を絶対に手放すなよ?」
「…………」

 さっきから、所々に気になるところがあった。オーバがレインの名前を口にするその瞬間だ。懐古の中に何か別の色をした感情が込められているような、そんな気がした。

「いい加減俺も彼女、というかお嫁さん候補が欲しい年頃だぜ。ほんと、レインみたいな子がお嫁さんだったら幸せだろうなぁ。家庭的で料理は上手い……」
「オーバ」
「ん?」
「おまえにとってレインって何だ?」
「? 幼馴染だろ。それ以外に何かあるのか?」
「じゃあ、好きになったことはないのかよ」
「いや、ある」

 観覧車がようやく頂上に到達した頃、あっけらかんというような口調でオーバは言った。あまりにもさらりと言い放たれたものだから、面食らったのはオレのほうだった。

「まだ十代半ばのガキの頃は、好きだったなぁ。たぶん、おまえがレインを好きだって自覚するよりずっと前、俺はレインを好きだった。つか、レインってひっそりとモテてたんだぞ?」
「え?」
「レインって特別に可愛いってわけじゃないけど、いつもにこにこしてて大人しい性格だろ。料理だって上手いし面倒見はいいし、男ってああいうタイプは結構好きだと思うぞ。まあ、デンジが常に近くにいたから誰も言い寄ろうなんてしなかったけどな」
「……そうだったのか」
「俺もその一人だったけど、幼馴染を好きになるなんてよくある話だよな。まあ、一瞬で諦めついたけど」
「なんでだよ」
「だってレイン、同じ幼馴染といえど明らかにおまえのほうにべったりだったろ。その頃はお互いに恋愛感情はなかったかもしれないが、いつかこいつらくっつくだろうなってそのときから思ってたさ。だから、諦めた」
「………」
「おいおい。そんなに眉間に皺を寄せるなよ。別に今、俺がレインを彼女にしたいとか言ってるわけじゃねぇだろ。むしろ、俺は嬉しいんだぜ! おまえたちがくっついたことが! それに俺にはもう……」
「……そういうことじゃない」
「は?」
「なんか、悔しい。アフロのくせに」
「は? は? 何が?」
「絶対に言わん」

 悔しいというか、こいつには敵わないなと思った。こいつは昔からオレとレインのことを見ていて、自分の気持ちを吹っ切ってまでオレたちのことを見守っていただなんて。バカみたいな頭して空気読めないくせに、三人の中では一番大人なのかもしれない。ほんと、よくできた親友、いや――腐れ縁だよおまえは。こんなこと、思ってても絶対に口にしてやらないけど。
 ゴンドラが地上に戻ってきた。腑に落ちない表情でブツブツぼやいているオーバよりも先に地に足を着ける。少しだけふわふわしていて妙な感覚だった。
 オレたちが降りたゴンドラの次に、レインと子供が降りてきた。子供は観覧車を気に入ったようで、終始笑顔でレインと別れの言葉を交わしていた。
 母親に子供を返したレインが戻ってきた。そのとき、オーバがオレとレインの背を押した。

「今度はおまえら二人だけで行ってこいよ! せっかくなんだしさ!」
「でも、オーバ君。一人で待ってるの、退屈じゃない?」
「十数分くらい、いいって! 俺は適当に時間潰しとくからさ!」
「オーバ」
「ん?」
「悪いな」
「おお!」
「レイン。行くぞ」
「え? あ、はい。オーバ君、いってきます」
「ごゆっくりー」

 茶化すような声を背中で聞いて、オレたちは観覧車に戻っていく。隣を歩くレインの頬が微かに上気していた。茶化されて恥ずかしいのか、はたまた嬉しいのか。おそらく両方が原因だろう。本当に、可愛い女。
 手放すなよと、オーバは言った。言われるまでもなく、そのつもりである。それはオレのためであり、オレたちのことを見守っていてくれていたオーバのためでもある。自らの気持ちを捨てて、応援してくれていたこの関係を、最後まで育てきろう。そう、思った。
 そのために、オレはこの旅を始めたのだから。



2011.03.06
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