催涙雨

 宵と夜半の狭間。空が漆黒に塗り潰される前の時間帯に、レインたちは馴染み深い童歌を口ずさみながら短冊に願い事を書いていた。
 ポケモンたちにも一枚ずつ短冊を与え、前足の裏に絵の具を塗ってやりぺたりと手形をつけてもらう。もっとも、レインのポケモンたちの中には手足がない子が多く、例えばジーランスやラプラスはひれの形をとることになったのだが、それもまた趣がある。
 色とりどりの折り紙で作られた飾りのところどころに、ポケモンたちの個性ある可愛らしい手形が混じっている光景に笑みが零れる。

『レインさま、リオルの短冊も飾ってください』
「ええ。わぁ、かわいい手形ができたわね。リオルは何をお願いしたの?」
『かけっこがはやくなりますように!』
「ふふ。お願い事が叶うといいわね」
『はい! お星さまから見えるように高いところにつけてください!』
「いいわよ。ミロカロス、お願いできるかしら?」

 ミロカロスは短く鳴くと、長い首を下げてレインの手からリオルの短冊を受け取った。すると今度は長い首を伸ばし、口先を使って笹の先に引っ掛ける。『リオルの短冊が一番高いところにあります!』と言って、リオルが喜んでいる姿をレインが微笑ましく思っていると、ウッドデッキに続いている窓が開いてデンジが顔を出した。

「星が瞬いているみたいに綺麗なLEDライトがあるんだが、使うか?」
「え?」
『デンジさま、それじゃクリスマスツリーになってしまいますよ』

 もっともな意見である。デンジは頭を掻きながら「そうだな」と少しだけ残念そうに笑いながら、庭先に降りてきた。
デンジの後に続いている彼のポケモンたちの手や口元には、それぞれの願いがこもった短冊が飾られるのを待っている。背が高いエレキブルと尻尾を伸ばすことができるエテボースが、ライチュウとサンダースとオクタンの分の短冊を飾り付けると、笹は一層華やかになった。

「素敵な七夕飾りが完成したわね」
「まだだ。ほら、オレたちの分の短冊」
「あ、すっかり忘れていたわ」

 デンジの手から白藍色の短冊とペンを受け取り、何を綴ろうかと考え込む。料理の幅を広げたいから新しく圧力鍋が欲しい。足を付けたことのない地方に旅行に行ってみたい気持ちもある。まだ見たことのないポケモンたちにも会ってみたい。
 ――それとも。
 頭一つ分よりもさらに高い位置にある、デンジの顔を見上げる。一緒に視界に入ってきたデンジの短冊にはこう書かれていた。

「『新しい改造のアイディアが思いつきますように』……ふふっ。デンジ君らしいわ」
「まあ、こういうのは程よい願いを飾るに限るよな」
「そうなの?」
「ああ。本当に叶えたい願いはオレの手で叶えるから」

 力強く言い切ったデンジの横顔は、あまりにも鮮烈な光を放っていた。
 こういうとき、レインにとってデンジは『太陽のような光』だということを改めて実感する。ジムリーダーのキャッチコピーに例えられる『輝きしびれさせるスター』になぞらえて、世間は彼を星と形容することがあるし、確かにそうだとも思う。
 しかし、レインにとってのデンジは太陽。『太陽が照らす街』ナギサシティを象徴する存在なのだ。彼自身が強い光を放ち、人を惹きつけ、導となる。
 レインにとって変わりはいない。彼がいなければ息をすることすらできない。唯一無二の絶対的な光。それが、デンジという存在だった。

「本当に叶えたい願いのためにはレインにも協力してもらわないといけないんだが」
「え? 私?」
「ああ。だって、オレの一番の願いは……」

 アイスブルーの髪が流れる肩を抱き寄せて、耳元に唇を寄せようとしたとき。二人の鼻先に、冷たい雫が弾けた。

「ん? 雨か?」
「大変! 笹を中に入れなきゃ」
「ああ。エレキブル、頼む」

 雨は一滴、二滴と増えていき、次第に本降りとなってきた。家の中に逃げ込んだレインたちは、窓を開けて夜空を見上げる。しとしとと雨は降り続いているというのに、そこには宝石箱をひっくり返したような輝きを放つ、星の川がくっきりと浮かんでいた。

「綺麗……いつの間にか天の川が出ていたのね」
「通り雨みたいだな。きっとすぐに止むだろう」
「ええ。でも、天の川から落ちる雨ってなんだかロマンティックね」
「催涙雨だな」
「さいるいう……?」

 聞きなれない単語に首を傾げつつ問い返すと、デンジは手のひらを広げて指先で文字を書きながら説明した。

「涙を催す雨。だから催涙雨。七夕の夜に降る雨のことを言うんだと」
「そうなのね。そんなことを知っているなんて、デンジ君すごい!」
「知っていたのはオレじゃなくてナズナだ。ジムで七夕の夜は雨の予報だっていう話になったときに教えてもらったんだよ。雨雲が出たら天の川が見えなくなるだろ? だから、一年に一度の逢瀬も叶わなかった彦星と織姫が流す涙が由来だといわれているらしい」
「それは悲しいわね。……でも、それなら今日の雨はきっと彦星と織姫が会えたことを喜んで流している涙だわ」

 空よりももっと高いところで、星の川を渡り、恋人たちは一年に一度の逢瀬を果たした。そんな二人が流した涙が、地上にいる恋人たちに平等に降り注いでいるのだというレインの解釈は、彼女の人柄を表しているようにあたたかい。
 デンジが目を細めながらレインの髪に手を滑らせると、思い出したように「あっ!」と高い声が上がる。

「デンジ君、さっきの続きは?」
「続き?」
「デンジ君が一番叶えたいお願い事に、私の協力が必要だっていう話」
「ああ、そのことか」

 デンジは腰を折って身を屈めると、レインの耳元で彼にとって一番の願いを口にした。それを聞いたレインの頬が淡く色づき「私も」と微笑む。重なった二人の想いはまだ白紙の短冊に綴られて、願いよりも強く、約束よりも確かな誓いとして、胸に刻まれる。

 ――あなたと、
 ――きみと、
 ――ずっと一緒にいられますように。



2022.07.08


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