恋を待つ青梅雨

※付き合う前の時間軸



 細かな雨が静かに降る、とある梅雨の日のことだった。

「今日は雨が降って何もできないだろ? と思って、オーバ様がゲームを持ってきたぜ!」

 と、オーバが雨に濡れた髪を弾きながらデンジの家のドアを叩いたのは三十分ほど前のこと。外に出られないことを口実として、この休日を改造に勤しもうと思っていたデンジは、突然の来訪者に整った眉をかすかに寄せてみせた。しかし。

「人数は多いほうが楽しいし、せっかくだからレインも呼ぼうぜ!」

 というオーバの提案によって、まるで晴れ間がさしたように表情が明るくなるのだから、現金な奴だとオーバは笑い、レインに連絡を入れたのだった。
 結局は、いつものことである。オーバの家は他にも家族がいるし、レインの家は孤児院だ。貿易関係の仕事に就き、一年のほとんどをシンオウ地方の外で過ごしているデンジの両親は、年に数回しか家には帰ってこないため、三人が集まるとなると必然的にデンジの家に決まるのだ。
 そしてレインがやってきた今、三人はそれぞれゲームのコントローラーを握りしめ、五十五インチの大画面のテレビに向かっている。それぞれの容姿に似せて作ったアバターを、オーバは赤色、デンジは黄色、そしてレインは水色の車に乗せて、障害物だらけのコースを走っている

「よっしゃ、抜いたぜ! 俺がトップだ!」
「させるか!」
「あ! デンジてめぇこんなところでアイテム使うやつがいるかよ!?」
「そういうゲームだろ」

 オーバは純粋に運転の腕前をぶつけていたが、デンジがコースに仕掛けた妨害アイテムによって場外に弾き飛ばされてしまった。
 そして、レインはというと。

「あ、またコースアウトしちゃった……」
「ゆっくりでいいからな〜!」
「う、うん。頑張るわ……!」

 誰の妨害を受けることもないのに、周回遅れという状況である。
 見ての通り、レインはゲームが得意ではないのだ。しかし、得意でなくとも純粋に楽しんでいる様子で、車が右に曲がればレインの体も右に揺れ、車が左に曲がればレインの体が左に傾く。そのくらい本人は真剣そのものである。
 ソファーの足元でゲームを見ているブースターとサンダースとイーブイも、車体が曲がるたびに同じように体を傾けているものだから、先にゴールをしたデンジとオーバは笑いを堪えるのに必死だった。なんて可笑しく、なんて可愛らしい光景なのだろう。

「レイン、ちょっとこっち来てみ」
「なに? デンジ君」

 レインは素直に立ち上がると、デンジの足の間にちょこんと収まった。デンジはそのまま後ろから抱き込むように腕を回し、一回り以上も小さな手の上からコントローラーを握る。

「まず、コントローラーはこう持って……」
「はい」
「このボタンを押すと加速するから、直線になったときに、こう」
「あ! 一気に進んだわ!」
「そう。逆にカーブでは若干スピードを緩めると上手く曲がる」
「なるほど。今まではそのままのスピードで曲がっていたからスピンしちゃったのね」
「ああ。あとは障害物をうまく避けつつ、アイテムを拾って得点を稼ぐ」
「デンジ君、一度このままゴールまで教えてくれる?」
「ああ。もちろんだ」
「ありがとう!」

 誰も、そのやり取りについて言及する者はいない。『触れたら負けだ』というよりは『見慣れすぎていてツッコむ気すら起こらない』というほうが正しい。
 デンジとレインは『幼馴染』という括りに収めるには一般的に近すぎる距離感だが、二人にとってはそれが普通なのだ。お互い、相手に対して恋愛感情の欠片ほども持ち合わせていないから成し得ることなのかもしれない。
 デンジにとってレインは、捨てられているところを拾って過保護に面倒を見ているポケモンのようなものだ。レインにとってデンジは、命を救ってもらったことで無条件に信頼できるポケモンにとってのマスターのような存在だ。
 この関係が変わることがあるのだろうか、とオーバは頭の片隅でぼんやりと思う。

「やった! ゴールできたわ!」
「上手くできたじゃないか。その調子だ」
「デンジ君の教え方が上手だからだわ。ありがとう。次は一人で頑張ってみる」
「ああ。でも、手加減はしないからな。オーバ、なにぼさっとしてるんだ。次、始めるぞ」
「次は負けないわ!」
「あー、はいはい。今やりますよっと」

 もし、デンジとレインの関係がいつか変わる日が来るとしても、バカみたいなことで三人で笑いあえる関係は変わらないままであってほしいと、オーバは願うのだった。



2022.06.11


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