眠りに落ちる直前のゆったりとした時間が好きだ。二人の体温を重ね合ったあと、シーツの中で他愛のないことを話していると、レインの目が次第にとろんと溶けてきて、最後は穏やかな寝息がオレの耳を撫でる。レインが眠ったことを確認してから、オレも一日を終えるのだ。
今夜もいつもと同じように、髪を撫でて、額に口づけを落として、一ミリの隙間すら惜しむように抱きしめあって、甘い言葉を交わしていた。
レインはときおり、オレの声や心音が子守唄のようだという。聞いていると安心して、すぐに眠ってしまうらしい。
今もほら、雨を固めたような薄氷色の瞳が見えなくなっていく。もう少しで日付が変わるというのに、少し残念な気もするが、その瞳は眠る直前までオレの姿を映しているから、悪い気はしない。
おやすみ。ありったけの愛情を込めて、薄い瞼に口づけを落とす。
そのとき――ぱらり、ぱらりと、軽やかな音が耳をくすぐった。
眠りの世界にいざなわれ始めていた意識が戻ってきたらしい。ぼんやりとした目をこすりながら、レインはオレを見上げる。
「ん……なんの音……?」
「雨が降ってきたみたいだ」
「雨……そっか」
すり、と甘えるようにオレの肩口にすり寄ってきたレインの後頭部に手を回し、髪に唇を寄せる。そうしている間にも、聴覚は軽やかな雨音で埋め尽くされていった。
「朝が来るまでに止んだらいいが、この調子だと難しそうだ。出かける予定はお預けかもな」
「そうね。仕方ないけれど」
「残念だったな。せっかくの日なのに、雨が降る中をずっと家の中でオレと二人きりなんて」
「雨の中をずっとデンジ君と二人きり?」
レインは確かめるようにオレの言葉を重ねたあと。
「ねえ、デンジ君。それってとっても幸せなことね」
世界中の幸せをかき集めてきたかのような幸福感を滲ませて、微笑んだのだ。
ふと、ベッドサイドのテーブルを見やった。すでに消灯している間接照明の下で、デジタル式の置き時計が薄く柔らかい光で時間を表示している。
六月十一日の午前零時。今日はオレとレインにとって、一年間で一番特別な日。
「誕生日おめでとう、レイン」
雨が降りしきるナギサの海で、オレとレインが出会った日。あの日がなければ、今のオレたちはいなかった。
だから、毎年この日を噛みしめるように大切にしたい。オレにとっても、レインにとっても、特別な日であることを再確認できるような一日にしたいのだ。
「出かけられない代わりに、今日は一日何でも願い事を聞いてやるよ」
「本当?」
「ああ。どんなに小さいことでもいいから、試しに聞かせてくれよ」
レインのことだから、きっとうんうん言いながらしばらく迷ってしまうのだろうと思っていた。しかし思いの外、レインの答えはオレが想像していたよりも早く返ってきた。
「じゃあ、朝までずっと抱きしめていてほしい、な。大好きな雨の音とデンジ君の体温に包まれて眠ることができたら、きっといい夢を見られそうだから」
「抱きしめて眠るって、いつものことじゃないか?」
「ええ。そんな毎日のことが、私にとってはとても尊いものなの」
「……っ」
「デンジ君?」
「はは、言葉ではどうやってもレインには敵わないな」
きっとレインにとっては、オレと過ごす毎日が特別で愛おしいものなのだろう。誕生日に特別なことをしなくてもいいくらい、毎日が幸福に満ちている。それを素直に伝えられたオレの身にもなって欲しい。頬が緩んでしまって仕方がない。
でも、誕生日という一日は日常より少しでも特別なものになってほしいから。普段は言葉より行動で想いを伝えることが多いオレの、精一杯の形を贈る。
「おめでと、レイン」
「ありがとう」
「好きだよ」
薄氷色の眼差しを絡めとり、吐息にのせるように想いを囁き、触れるだけの柔らかな口づけで愛を伝える。
レインは一瞬だけ息をつまらせた。オレの言葉を、想いを、心の全てで受け止めたような、美しい表情だった。
微かに潤んだ目尻を下げて微笑み、オレの胸に頬を寄せる。そして、幸福という繭に包まれたまま、レインは眠りの世界に落ちていく。
「私も……デンジ君のことが……だいすき……」
レインの望み通り、溶け合うように、一つになるように、優しく、強く抱きしめて、オレも瞼を落とした。雨は降り止むことなく優しい雨音を奏でて、眠るオレたちをずっと包んでいた。
2022.06.11