解けた指先と残された温度


 スポットライトの下。大勢の観客が見守る中で、私は胸を張ってコンテストのステージに立つ。注目される恥ずかしさはあるけれど、私は一人じゃない。傍らに寄り添ってくれているミロカロスと、ミロカロスをイメージしたシースルーの衣装が、私たちの一体感を高める。

「ミロカロス! アクアリング!」

 自らの体を水のベールで覆ったミロカロスは、最も美しいポケモンと称されるに相応しい佇まいで、ステージの中心に進む。会場からはうっとりしたため息が漏れている。掴みは、よし。
 私は持ち込んでいたきのみを高く投げながら、ミロカロスに次の技を命じる。

「れいとうビームを放って、そしてスピードスター!」

 ミロカロスが放った冷気は三つのきのみを凍らせ、続いて発射した星型の光線がきのみを砕く。氷の礫と星屑がキラキラと舞い落ちる中で、私たちは観客席に向かって深く頭を下げる。
 湧き上がる歓声と、はち切れんばかりの拍手が、私たちの演技に対する答えだった。


 * * *


 コンテストが終わった控室は、静けさに包まれていた。まだ、夢のような気持ちに包まれていて足に力が入らない。コンテストで優勝した証であるリボンがこの手にあるなんて、まだ信じられない。
 ミロカロスをモンスターボールから呼び出して、首元にそのリボンを付ける。すると、ようやく実感が湧いてきた。

「優勝したのね……私たち……コンテストで……」
「クゥンン」
「ふふ。旅をしていた頃に出場したときは準優勝だったから、やっとリベンジができて私も嬉しいわ」
「レインちゃん」

 鈴が転がるような澄んだ声が私の名前を呼ぶ。振り返ると、控室の反対側にいるその声の持ち主――ミカンちゃんは、ちょうどコンテスト衣装から着替え終えたところだった。

「着替えないんですか?」
「ええ。実は、孤児院の子供たちから「コンテストのおようふくをみたい!」って言われちゃったから、このまま着て帰るつもりなの。ちょっと恥ずかしいけれど」
「そうだったんですね! でも、コンテスト参加者は運営側のポケモンがテレポートで送ってくれるみたいですから、ナギサシティまであっという間ですよ」
「あ、その心配は大丈夫。そろそろ迎えに……」

 そのとき、控室のドアをコンコンと強めにノックする音が聞こえてきた。私はすぐに扉に駆け寄ると、ドアを開けて来客を――デンジ君を招き入れる。デンジ君は肩で呼吸をしていて、短い前髪から覗くすっきりした額には汗が滲んでいた。

「あー、コンテスト終わったか……くっそ、急いだんだけどな。間に合わなかったか」
「デンジ君はジム戦があったんだもの。駆けつけてくれただけでも嬉しいわ」
「中継は車の中で聞いてた。優勝、おめでとう。レイン、ミロカロス」
「ありがとう、デンジ君」
「そのミロカロスみたいなドレス、その、なんだ……似合ってる」
「! ……ありがとう」

 恥ずかしさに耐えられず、思わず視線を落とす。恋人同士になってから半年ほど経つけれど、時折紡がれる甘い言葉と慈しむような触れ方には、いつまで経っても慣れる自信がない。
 私の肩に手が触れる。ミカンちゃんだ。ミカンちゃんは私とデンジ君を交互に見ながらにっこりと笑う。

「レインちゃんのミロカロス、すごく素敵な演技だったんですよ! あたしとハガネールも敵いませんでした」
「そんな、ハガネールの演技もすごかったわ! 美しさの中に力強さがあって、とても堂々としていて」
「ありがとうございます、レインちゃん。次は負けませんから!」
「私だって」

 私とミカンちゃんが話していると、デンジ君は考え込む素振りを見せたあと、パッと目を開いた。

「きみもコンテストに出ていたのか。えーっと……デコポン?」
「ミカンです! 何回言ったら覚えてくれるんですか!? しかもあたしのオデコを見て言いましたよね!? デンジさん!」
「冗談だって。違う地方とはいえ、同じジムリーダーの名前くらい覚えてるさ」
「ふふふ。二人とも仲良しなのね」
「それはこっちの台詞だ。いつの間にミカンとこんなに仲良くなったんだ?」
「私がシンオウリーグを目指す前に、ミカンちゃんからひでんマシンのたきのぼりをもらったことが切欠で知り合ったの」
「はい! レインちゃんもコンテストに出たことがあるみたいだったし、ジムリーダーの勉強中ということもあって、お話しているうちに自然と」
「ねっ」

 ジョウト地方のジムリーダーであるミカンちゃんがシンオウ地方に来た理由は、ポケモンコンテストに参加するためだった。ポケモンコンテストに出場することで、より効果的な技の出し方を学び、ジム戦とは違うステージに立つことで度胸をつけて、さらなる強さを求める。コーディネーターである前にジムリーダーである、ミカンちゃんらしい理由だった。
 シンオウ地方に滞在する間の拠点としてナギサシティを選んだのは、地元のアサギシティと同じように海と灯台があるかららしい。ミカンちゃんはコンテストがない期間も、浜辺で技の練習をしていた。そこに、私がひでんマシンのお礼を言うために声をかけ、話が広がり、今の関係に至る。
 ミカンちゃんとは性格の波長が合うと思っているし、いい友人関係を築いていると私は思っている。デンジ君もそれを感じ取ってくれたのか、私たちを見る視線はどこが柔らかかった。

「そうか。それはよかった」
「お迎えに来てくれてありがとう。ナギサシティに帰りましょう」
「ああ。ミカンも乗っていくか?」
「いえ、あたしはこのあとメリッサさんと手合わせをして貰う予定があるので」
「コンテストのあとはポケモンバトルか。大人しそうに見えて、さすがはジムリーダー。強さを求めることに対して貪欲だな」
「ふふ、褒め言葉として受け取りますね! じゃあ、レインちゃん。また!」
「ええ。またね、ミカンちゃん」

 私とデンジ君は一緒にコンテスト会場を後にした。車を停めているというところまで、並んで歩く。デンジ君が隣りにいるということと、コンテストの衣装を着たままということが重なって、すれ違う人の視線を感じる。

「やっぱり、いったん着替えたらよかったかしら」
「子供たちが見たいって言ってたんだろう? それなら、そのままでいいじゃないか。着替えたらヘアメイクまで崩れるだろうし」
「それはそうなのだけど、視線が……」
「……仕方ないさ。今のレイン、すごく綺麗だからな」
「! あ、ありがとう……! あ」

 ふと立ち止まる。私の視線の先には真っ白な建物があった。一ミリの汚れも許されない純白は、畏怖すら覚えてしまいそうになる。

「デンジ君、少しここに寄って行ってもいい?」
「大聖堂か。何か用事があるのか?」
「孤児院でお掃除を手伝ってくれていたポケモンが亡くなったでしょう? ロストタワーまでは少し遠いから、せめてここでお祈りをしていきたいと思ったの」
「ああ……そうだったな。わかった、行こう」
「ありがとう」

 私たちは重厚な扉を押し開き、大聖堂の中に入った。パタンと扉が閉まると、その先は無音だった。もとより大聖堂というものは静かだけれど、今日はそれ以上に音がない。そもそも、私たち以外に人がいないみたいだ。
 足音さえも厚い絨毯に飲み込まれて消えていく。大聖堂の中ほどまで進み、私たちは席に腰を下ろした。目を閉じて、亡くなってしまったポケモンに想いを寄せる。
 生きている以上、避けられない死。人間にもポケモンにも平等に訪れる、永遠の静寂。それはいつか、私やこの子たちにも例外なく訪れるもの。
 ゆっくりと瞼を持ち上げる。私はミロカロスが入ったモンスターボールをそっと撫でた。
 
「いつか、この子たちともお別れをする日が来るのよね」
「ああ。ポケモンによって寿命は違うし、オレたちが先か、こいつらが先かはわからない。だからこそ、何があっても後悔しないように、一瞬一瞬を痺れるように生きていきたいよな」
「ええ。そうね」

 デンジ君の言う通りだ。限りがある生だからこそ、一瞬一瞬の煌めきを逃さないように、精一杯生きていきたい。そうしたらきっと、最期も笑ってお別れができるはずだから。
 私は視線を上へと向けた。光を受けて煌めくステンドグラスに挟まれたそこには、絵画が掛けられている。神聖な山の頂に鎮座する光は、まるで神様が世界を創り出しているような光景にも見えた。

「こんなところで不謹慎かもしれないけれど……すごく綺麗な絵」
「そうだな」
「記憶を探してシンオウ地方を旅していたときにもここに寄ったの。描かれているのはテンガン山、よね」
「そうだろうな。確か、全ての始まりのポケモンと共に描かれていると聞いたことがある」
「全ての始まりのポケモン……」

 不思議な感覚がする。何かが繋がるような、千切れるような、散らばるような、割れるような、絡み合うような。

「そう……私、旅をしていたときも……何かを……」

 あのとき、不思議な文字の羅列が脳裏に浮かんだことは覚えている。ただ、それを繋げたらどんなメッセージになるのか、そこまでは思い出せない。壮大な神話の一端だったような気もする。
 あのポケモンの名前は……確か……。
 私はゆっくりと首を振った。思い出したところで、特に何の意味も持たないのだから、これ以上ここにいる理由もない。

「どうした?」
「ううん、なんでもないの。ナギサシティに帰りましょう」

 神話は、神話だ。途方も無いスケールの物語なんて現実味が湧かないし、私たちが関わる理由もない。それよりも、今このときに思いを馳せて生きたい。
 目の前の幸せを抱きしめるだけで満足してしまう私たちは、絵画がぐにゃりと歪んだことに気付かなかった。


 * * *


「ミロカロス、お疲れ様。今日はゆっくり休んでね」
「ミロー」

 ナギサシティへと帰り着いた私たちは、デンジ君のポケモンたちをポケモンセンターに預け、私のポケモンたちがいる海にミロカロスを放したあとで、夕暮れの砂浜に車を停めて海を眺めていた。寄せては返す波の音をBGMにしながら、穏やかで幸せな時間に浸る。

「夕焼けが綺麗ね」

 夕焼けの光を浴びたデンジ君の横顔がいつもより赤く見えて、気付けばまた綺麗だと口にしていた。

「そうだな。少し散歩して帰るか」
「うん!」
「ははっ! 嬉しそうだな」
「デンジ君と一緒に海辺を歩くのが大好きだから」

 当たり前のように手を絡め合って波打ち際を歩く。黄昏は徐々に夜へと傾き、暗くなってきた空に星が一つ、二つと瞬き始め、太陽の代わりに月が浮かぶ。

「あの日もこんな景色だったな。夕暮れから夜になって、星と月明かりの中をシルベの灯台の光が真っ直ぐに進んで……」
「あの日?」
「レインがシンオウを旅する前の日。上着を貸したのを覚えているか?」
「……もちろん、覚えているわ」

 私が頷くと、デンジ君は微笑みと一緒にその上着を私の肩に掛けてくれた。あの日と、同じように。

「ほら」
「ありがとう、デンジ君」

 肩から落ちないように上着を胸元にギュッと寄せる。デンジ君の香りと温もりがふわりと鼻先を掠める。まるでデンジ君から抱きしめられているみたいで、とても安心する。

「後になってあのときを後悔したことはなかった。もっときちんと踏み込んで話を聞いていたら、レイン一人で旅させることもなかったんじゃないか……ってな」
「……」
「でも、レインはオレが思い込んでいたような弱い女じゃなかった。レインは自分の力で仲間を増やして、シンオウ地方を歩いて、記憶とバッジを集めて帰ってきた」
「そんな、私だけの力じゃないわ。デンジ君にだって、旅の途中に何度も勇気付けてもらった。それに、初めてナギサジムでバトルをしたとき、デンジ君には負けちゃったし」
「それでも、次に挑んだときはオレを倒してビーコンバッジをゲットしただろ? その後のシンオウリーグだって、ゴヨウのポケモンを途中まで倒せたじゃないか。その強さは本物だ」
「デンジ君……」
「いろいろあったけど、結果オーライだったかもな」

 デンジ君は足を止めて私の目を見つめる。海をそのまま映したようなデンジ君のコバルトブルーの瞳には、私の姿だけが映っている。ああ、なんて贅沢なことなのかしら。

「それでも、もう何があっても絶対に一人にはさせない。前にも言ったことだけど、何回だって釘を刺してやるからな」
「……うん。私もこれからはきちんと話すし、デンジ君のことを頼るわ。だって、貴方は私の……」
「うん」
「……恋人、だから」
「……うん」

 そう、私たちはもう一人じゃない。私の不安はデンジ君の不安だし、デンジ君の悩みは私の悩みだ。
でも、同時に私の喜びはデンジ君の喜びでもあり、デンジ君の幸せは私の幸せでもある。
 そうやって、辛いことは分け合って、楽しいことは共有して倍になる。そんな風に、これからは生きていきたい。

「帰ろうか。孤児院まで送る」
「ええ。ありがとう」
「このままオレの家に泊まっていってもいいけどな?」
「!」
「ははっ、冗談だ。この前泊まったばかりだし、今日は帰すよ」

 デンジ君の靴底が、砂を踏む。私もデンジ君の後に続こうとしたけれど、それ以上足が進まなかった。

 ――ドクン、ドクン。心音が耳元で聞こえる錯覚。

 足を踏み出そうとしても、何故か元に戻ってしまう。潮風が吹き込んで海面に波を作っているのに、私の髪は一筋も靡かない。
 デンジ君が何かを叫んでいる。でも、こんなに近い距離にいるにも関わらず、その声はワンテンポ遅れて私の耳に届く。

「な……だ……!? 空間……歪んで……いる……か……!?」
「デンジ君!」
「時間……流……おかしい……どうなって……!?」
「デンジ君っ!!」

 バチリ、バチリ。大きな静電気が弾けるような音が、半径二十メートルほどの範囲で鳴る。宙がマーブル模様のようにぐにゃりと濁る。さっきまで星月明かりがあったのに、今は常闇色のドームのような壁に遮られて空さえも見えない。
 ブラックホールに食べられたらこんな状態なのかしらと、混乱する頭の片隅でそんなことを考えた。
 捻れていく。溶けていく。消えていく。
 私も。デンジ君、も。

「レイン!」
「デンジ君……!」

 必死に伸ばしてくれたその手を掴む前に、私の意識は途切れた。肩に触れる温もりだけが、守るようにずっと私の体を包んでくれていた。



2022.02.10



- ナノ -