波折りの導き


 訓練場の脇の木陰で、私たちは休日のひとときを過ごしていた。私はギンナンさんたちからいただいた藍白色の着物に身を包み、デンジ君はもともと着ていたVネックとパンツ、それから私が持っていた青いジャケットをまとっている。
 私たちの時代の服装はコトブキムラでは『キテレツ』と呼ばれる出で立ちだけど、デンジ君は私と再会するまでずっとコンゴウ団の制服を着ていたから、私服として着る和服を持ち合わせていないらしいのだ。
 ギンナンさんが「おれと揃いの着流しを用意してあげようか?」とデンジ君に提案していたのは、今朝の出来事。デンジ君は首を立てにも横にも振らなかったけれど、くすぐったそうな、嬉しそうな表情をしていたことが印象的だった。

「……もう、少し……」

 周りの音が何も聞こえてこない。私の目には鈍色に光る細く鋭い針先しか映らない。
 針先を布に突き刺し、糸を表へ裏へといったり来たりさせながら縫い込んでいく。ただそれだけを繰り返す作業なのに、自分でやってみると難しさを思い知った。
 最後に布裏で玉結びをして、余りの糸を切ったら完成だ。
 私たちの街であるナギサシティの灯台の名前を与えられた、デンジ君が守っているものが、いびつながらもそこに現れた。

「見て、デンジ君!」

 私の隣に腰を下ろしているデンジ君のジャケットを控え目に引っ張り、布を広げて完成したことをアピールする。デンジ君は布を受け取ると、眼前でそれを広げて、私が縫い付けたものを一言目で言い当てた。

「ビーコンバッジを刺繍したのか!? 再現度がすごいな……!」
「刺繍のやり方をルテアさんから教えていただいたの。シンオウに戻ったら子供たちのハンカチに好きなポケモンを刺繍してあげたいわ」
「ああ。みんな喜ぶだろうな」
「デンジくん」
「うん?」
「ここはどーしたらいい?」
「そこは……」

 デンジ君を挟んで反対隣りに座っているギンナンさんは、以前時空の歪みの跡地で拾ったという『カラクリ』の中身をデンジ君に見せている。
 あれは、おそらくエレキブースター。エレブーがエレキブルに進化するための道具だけど、この時代にはありえない精密機器だ。いくらギンナンさんがクラフト関係を得意としていても『カラクリ』を解き明かすには無理がある。
 でも、ナギサシティをソーラーパネルだらけの街に改造するほどの機械好きであるデンジ君なら朝飯前だった。ギンナンさんから質問を受けるたびに、カラクリの仕組みを解説しているデンジ君は、どこか嬉しそうにも見えた。こうしてみると、本当の親子みたい。
 そのとき、ターンッという高い音が道場に響いた。ギンナンさんは目を細め、素直な賛辞を零す。

「いい音だ」
「ルテアさん、また真ん中を射抜いたわ。すごい……!」

 道場は主に警備隊の人やポケモンが、剣術や柔術といった武道を鍛錬するために使用される。しかしそれ以外の時間は、コトブキムラに住んでいる人なら自由に使える時間がある。例えば、子どもたちが集まって相撲を取ったり、ルテアさんのように弓矢と袴を借りて弓術を楽しんだり。
 ルテアさんは弓に次の矢をつがえると、左右均等に引き分けて、開ききったところで矢先の狙いを定めた。
 キリキリと弦が軋む音がここまで聞こえてきそうなほど、長い時を待っているように感じた。
 ふと、ルテアさんの右手が自然と矢から離れた。放たれた矢は宙を裂くように飛んでいき、的の中心へと吸い込まれていく。そしてまた、タン! という高い音が道場に響いたのだ。

「ほんと、商人にしておくのがもったいないよ。警備隊に入ったら弓術の師範になれる腕なのにさ」
「ペリーラさん」

 私たちの背後にはいつの間にかペリーラさんが仁王立ちしていて、ルテアさんが的に向かって一礼する様子を感心したように見ていた。それを見たデンジ君も、ボソリと一言。

「……他人の空似の気がしないな」
「ふふ、そうね。オーバ君、元気かしら」

 私もデンジ君も、ペリーラさんを見て連想する人は同じだったようで、顔を見合わせると小さく吹き出した。そのくらい、オーバ君とペリーラさんはよく似ている。
 話を聞いていたギンナンさんは、眉の間に小さなシワを刻みつけた。

「ルテアの刺繍や機織りは商品にすることがあるが、弓道はあくまでも趣味として始めたものなんだ。のんびり自分の心のままに引かせてやってほしい」
「ははは! わかってるよ! 断られるのもこれで何度目かわからないくらいだからね!」
「断られることをわかって言っているね?」
「まあね。でも、そのくらいルテアの腕が確かだっていうことは本当さ!」
「ルテアは繊細な作業が得意なんだ。……本人がそうだからね」

 ルテアさんが繊細で、気配り上手で、細かい作業を得意としていることは知っている。刺繍や弓道はもちろんのこと、イチョウ商会の商人としてのルテアさんの仕事ぶりにも、そんな一面が現れているからだ。
 ルテアさんは表立った交渉や販売などを担当しない。商品の在庫管理や品質管理、副資材の手配を中心に、たまに配達にも出かける。ギンナンさんが特別な商品を売り込むときや交渉に赴くときは、その補佐として一歩後ろに控えている。細かなところまで行き届くルテアさんの仕事っぷりを、ギンナンさんは心から信頼しているということが一緒に仕事をしていて伝わってくるくらいだ。
 だから、ギンナンさんの唇から漏れ出した呟きには頷ける。でも、私が知る以外の意味を含んでいるような気がするのは、どうしてかしら。

「で、何か要件でも?」
「そうそう! イチョウ商会の! あんたたちにポケモン勝負をしてもらいたいんだ!」
「イチョウ紹介のって、私とデンジ君のことですか?」
「ああ! レインはもちろん、あんたはデンジだっけ? あんたもレインに負けず劣らずポケモン勝負が上手いんだろ?」
「私とは比べ物にならないくらいです! デンジ君は私たちの世界ではジムリーダーっていう職についていて、挑戦者のバトルの腕とポケモンとの絆を測る立場にいて、その強さからシンオウ地方最強のジムリーダーと呼ばれていて四天王へのスカウトが」
「レイン、もういいから」

 デンジ君の片手で口を覆われてしまい、私の唇の中で丸め込まれた言葉たちが形を成さないまま消えてしまった。デンジ君のすごいところは誰にでも知ってほしいし、いくらでも語り続けることができるのに。

「ははは! これは期待できそうだね! そんなすご技をぜひ警備隊のみんなに見せてやってくれよ!」
「ポケモン勝負か……いいぜ。レイン相手なら本気が出せそうだ」
「! 私でよければ!」

 イチョウ商会の仕事でコトブキムラを離れるときにデンジ君と共闘することはあっても、勝負をしたことは再会してから一度もなかった。だから、ペリーラさんの頼みは私とデンジ君にとって格好の機会だった。
 例えここがどんな場所だろうとも、私も、デンジ君も、ポケモントレーナーであることに変わりはない。強い相手がいたら戦ってみたいし、戦いからかけ離れた生活はどこか物足りなさを感じていたから。
 表に向かうために私たちが道具をしまっていると、弓矢を持ったルテアさんが外に出てきて首を傾げた。

「あら、ペリーラさん。どうかされたのですか?」
「デンジくんとレインさんが、今からポケモン勝負をするらしい。せっかくだ、おれたちも見せてもらおう」
「まあ。それはぜひ、見てみたいです」
「おう! じゃ、みんなで行くとするか!」

 ペリーラさんを先頭にして表へと向かう。その間も、私は手のひらにモンスターボールをなじませるように転がしていた。
 デンジ君の手持ちはコリンク一体。そして、私の手持ちはイーブイ一体。まるで新人トレーナーのようなバトルになりそうだ、と小さく笑う。それでも、久しぶりの高揚感はとても心地よかった。
 表ではすでに戦いが繰り広げられていた。一人は警備隊のタキさんで、相手はルカリオをつれた畑作隊の……。 

「おーい! 畑作隊の!」
「ん?」
「今からポケモン勝負をしてもらうんだ! ハク、ちょっと場を開けてもらえるかい?」
「わかった。ルカリオ、わたしたちも見ていこうか」
「ガルッ」

 畑作隊のハクと呼ばれた男の人は笠を目深に被り直すと、場の隅に引っ込んでしまった。デンジ君は、まるで幽霊でも見たかのような目つきでハクさんの後ろ姿を追いかけた。

「こっちも他人の空似の気がしない……というかそのままじゃないか」
「本当ね。ゲンさんそっくりだわ」

 確かに、今までこの世界で既視感を覚えた人がいて、その人が私たちの知る人たちにどれだけ似ていても、あくまで『似る』の範囲内だ。例えば、年齢が違ったり、性別が違ったり、見た目の一部が違ったり、差はあれどたしかに違いは存在していた。
 でも、ハクさんに関してはそうじゃない。見た目、年齢、性別、話し方、声色。全てがゲンさんと一致していたのだ。まるでコピーでもしたかのように。それがとても不思議だった。
 私は首を左右に振って、余計な考えを頭の中から弾き出す。今は、目の前のバトルに集中しなくては。
 私とデンジ君はバトルフィールドの両端に立ち、向かい合った。お互いモンスターボールは一つ。探り合いはできない。最初から全力でいかなければ、勝てない。
 勝負開始の合図を告げる太鼓が響き渡ろうとしたとき、鼻先を冷たい雫が濡らした。雫は一滴、二滴と数を増し、雨と呼ばれるものに変わっていく。

「雨が……」
「これは運がいいな」

 デンジ君は唇を釣り上げて笑った。観客として周りを囲んでいる警備隊のみなさんや、ギンナンさんたちが「どういう意味だ?」と口々に話している声が聞こえてくる。

「勝負、はじめっ!」

 ペリーラさんが声を張り上げ、太鼓を叩いたのと同時に、私たちはモンスターボールを投げ上げた。泡のエフェクトを出しながら現れたイーブイに、私はこの技を命ずる。雨が降ってきたときから、まずこの技を出すことは私の中で決まっていた。

「コリンク、かみなり!」
「イーブイ、まもって!」

 やっぱり、デンジ君は雷を撃ってきた。天候が雨だと雷の命中率が100%になるという事実は、私たち『ポケモントレーナー』の間では常識だ。でも、まだ人がポケモンを知ろうとするようになって間もないヒスイでは、浸透していないことらしい。「今の技、綺麗に命中してたなぁ!」「イーブイのほうも、この技が来るってわかってたみたいな動きだったな」という声が聞こえてくる。

「オレのコリンクのかみなりを守り切るとは、やるな!」
「今度はこっちの番! イーブイ、あまえて!」

 イーブイはつぶらな瞳でコリンクを見つめ、砂糖のような甘い声で鳴いた。コリンクが攻撃を躊躇した、今がチャンス。

「アイアンテール!」
「惑わされるな! ほのおのキバ!」

 イーブイが振り下ろした鋼の尻尾を、コリンクは炎をまとわりつかせた小さな牙が受け止める。コリンクはイーブイをそのまま上空へと投げ飛ばした。
 宙で体勢を整えたイーブイは、次の技の指示を待っている。

「スピードスター!」
「必中技は逃げても無駄だ! 相殺しろ、10まんボルト!」

 イーブイが尻尾を大きく振ると、星型の光が流れ星のようにコリンクへと飛んでいく。その一つ一つを、コリンクは電撃で的確に打ち消していく。
 二つの力がぶつかった衝撃で白い煙幕が発生し、イーブイの視界を奪った。

「イーブイ!」
「まだまだ! オレたちについてこられるか? ワイルドボルト!」

 ワイルドボルトなんて強力な技を覚えさせているなんて、さすがはデンジ君だ。シンオウ地方のポケモントレーナーとして、最強の冠を持つジムリーダーである彼に勝負の相手として認められている事実を、改めて誇りに思った。
 煙幕はまだ晴れない。視界は閉ざされたままだ。それなら、目はなくても同じこと。
 私は目を閉じて、目の前に波導を集中させた。瞼の裏にはイーブイの輪郭が橙色の波導となって映し出され、それに向かって突進してくるコリンクの黄色い波導が見える。

「イーブイ、右に飛んで!」
「なに!?」

 ワイルドボルトが炸裂される寸前で私は指示を出した。獲物がいなくなったことにふいを突かれたコリンクの動きが止まる。

「なるほど。読んだな……!」
「もう一度、アイアンテール!」

 煙幕は晴れ、狙いを定められるようになった。このアイアンテールはコリンクの急所を貫けると確信するくらい、場は整っていた。
 イーブイの尻尾が、小さく爛れていなければ。

「っ、やけど状態!」
「もらった!」

 攻撃を繰り出そうとした瞬間、イーブイは痛そうに顔を歪めた。それを見逃さないデンジ君ではなかった。

「かみなり!」

 雨雲から落ちた雷は、今度こそイーブイを貫いた。イーブイは一歩、二歩とよろけると、目を回してその場に倒れたまま動かなくなってしまった。

「イーブイ!」

 私がイーブイに駆け寄り、名前を呼びながら体を起こすと、イーブイは力なく鳴いた。私が首を横に振りながら「お疲れ様」と労りの言葉を贈ると、場外から割れんばかりの完成と拍手が沸き起こった。
 イーブイをモンスターボールの中に戻し、差し出してくれたデンジ君の手を握り返した。

「さすがだわ。完敗です」
「そっちがやけどになってなかったら危なかった。いい勝負だったぜ」

 デンジ君の言う通り、本当にいい勝負だった。相手の技と動きを読みながら、次の一手を考える。チェスのように頭脳をフルで使いながらも、指示を出す声に込める熱は隠せない。
 私たちは『ポケモントレーナー』。勝って生き残ることが最終目的のヒスイの『ポケモン使い』とは違って、バトルの過程が熱く激しく痺れるほど、勝っても負けても「いいポケモン勝負ができた」と胸を張ることができる。
 デンジ君と固い握手を交わしながらバトルの余韻に浸っていると、心臓が大きく鳴った。

 ――ドクン、ドクン。

 私の様子がおかしいことに気がついたデンジ君が、不思議そうに顔を覗き込んでいる。

「この気配は……」
「レイン?」
「扇風機から感じた波導と同じ……これは……」

 ギンナンさんに見せてもらった『カラクリ風車』から感じた波導と、つい先日読み取った『群青の海岸』の波導が、重なった。それは、つまり。

「時空の歪みが出現するわ!」

 群青の海岸に時空の歪みが発生しようとしている、ということなのだ。



2022.05.28



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