薄紅色の微笑み


 日が高く昇る前に、イチョウ商会は店を開く。日射しで痛むことがないモンスターボールや鉱石などは店頭に並べ、痛みやすいきのみや薬草は直射日光が当たらない冷暗所で管理する。
 品出しを終えて荷車の前に腰掛けを用意していると、リュックを背負ったリーダーが現れた。

「おはよう、ギンナン」
「おはようございます。今日も採取へ?」
「ああ。このあたりではポケモンがしんかをするための石がよく採れるみたいなんだ。ポケモンと距離を置いているこの集落には馴染みがないものだが、他の地方では重宝されるかもしれないからね。在庫として持っておいて損はないと思う」
「そーですか。まだ暑いですし、倒れないように気を付けてくださいよ。あと、在庫も持ちすぎると……」
「わかってる、わかってるよ。ギンナンは本当に面倒見が良いというか、しっかりしてるな。いずれリーダーをきみに任せようと思っている身としては安心するよ」

 リーダーは「荷車と店番をよろしく!」と言うと、カイリキーと一緒に集落の外へと向かった。
 今日もまた、いつもと同じように腰掛けに座って客を待つ。買い物に来た客の接客をする以外にも、目の前を通る人に「いい品が入ってますよ」と声掛けをすることも忘れない。そうしているうちにあっという間に時間は過ぎ、太陽は高く昇り集落を照らす。
 この集落に滞在することになってひと月ほど経っただろうか。暑中の暑さは過ぎたものの、照りつける日射しはまだ緩む気配を見せない。残暑が過ぎるまではこの集落に世話になることになるだろう。
 額に滲む汗を手の甲で拭ったとき、小さな足音が聞こえてきた。このひと月で何度も聞き慣れたそれは、顔を見ずとも持ち主を特定させる。

「どーも、ルテアさん」
「……ギンナンさん、おはようございます」

 いつものようにリオルを肩に乗せて現れたルテアは、頭を軽く下げて挨拶をしてくれた。
 このひと月で、ルテアの雰囲気はだいぶ変わったように思える。きっかけは、彼女が壊してしまったという鎌をおれが修理したことだろう。あの日を境に、ルテアは買い物に来ると世間話に嫌な顔をしなくなったし、何よりもおれの目を見てくれるようになった。
 おれのことを心を許せる相手だと、少しだけでもそう思ってくれるようになったのだろうか。

「今日も目玉商品、入荷してますけど。見ていきますか?」
「いえ、今日もいつものようにズリのみを……」
「おやおや。今日も断られてしまいましたか。お好きなものを選んでもらって構わないのに」
「……お礼のつもりでしたら、先日鎌を修理していただいたので十分ですから」
「十分? わたしは命を救われたのに、全然足りていませんよ。何か欲しいものがあればいつでも申し付けてくださいね」
「でも……」

 ルテアは以前に比べて口数が多くなったし、目を見て話してくれるようにはなったが、それでも、寂しそうな瞳の色に変わりはない。こうして話している間も、ときおり視線をおれ以外の周りに向けている。怯えているような、警戒しているような、そんな気配が伝わってくるのだ。

「いつも急がれていますね」
「えっ?」
「お待ちいただいている間、そわそわしていると言いますか。無駄話が多くて申し訳ない。すぐに商品を用意しますので」
「ち、違うんです。お話していただくのはとても嬉しいのです。そうではなくて……」

 素直に、驚いた。話してもらうのが『嬉しい』と、彼女自身の感情をその口から直接的に言葉として聞けるとは思っていなかったからだ。
 ルテアは自分が口にした言葉が、どれだけおれの心に響いているのか自覚していないようである。それよりも、一刻も早く誤解を解くために理由を探しているようだ。

「……ギンナンさんは、この集落にとってわたしがどういう存在なのか、気付いていらっしゃるでしょう?」
「それは……」

 集落を訪れたその日から感じていたルテアに対する違和感は、このひと月の間に確信へと変わった。
 出会ったときに薄汚れていた身なりをしていたこと。十五になる前から家の仕事を任されていること。長老や母親の言いつけでたひたび集落の外に向かわされていること。集落の人たちが恐れにも似た視線を向けていること。
 それらから考察して、ルテアはこの集落で迫害されている身にあることを嫌でもでも察することができたのだ。おれにはルテアが普通の少女にしか見えないが、原因があるとしたら……『リオルが放った』群青色の光だろうか。

「わたしと関わることで、あなたまで何かを言われるようになったりするのではないかと……それがただ、嫌なだけです」
「そーですか」
「そうですかって、他人事のように……買い物に寄りつかなくなる人間が増える恐れだってありますよ?」
「そのときは、そのときです。わたしたちは旅をしながら商いを営む商人の集団。いずれこの地を去る身ですから、誰に何と思われようと気にしません。そもそもこの集落に滞在している理由は、商売をすることよりも休息の意味合いの方が大きいですからね」

 商売は伝聞に左右されることが大きい。いい噂が流れたら店を訪れる客が増えることは当然だし、悪い噂が流れたら客足が遠のくのもまた当然だ。賢いルテアはその仕組みを理解している。理解しているからこそ、おれを自身から遠ざけようとしているのだろう。
 商人として、おれの判断は正しくないのだろう。それでも。

「それよりもわたしは、ルテアさんと縁を結べたことを大切にしたい」

 個人として、ひとりの大人として、ギンナンという男として。辛い思いをしている目の前の少女から、目をそらすことなどできなかった。いずれここを去る男が一時的に手を差し伸べて、一縷の希望を持たせることは良くないかもしれない。同情や憐れみだと言われたらそれまでだが、見て見ぬ振りをすることのほうが人間としてよっぽど罪深いのだ。
 ルテアは何も言わない。しかし、ほんの僅かだが、薄氷色の瞳に光が宿ったような気がした。

「もちろん、お客様から良い印象を持たれるに越したことはないが……」
「すみません、お買い物をしてもいいかしら?」
「! わたしはあとで構いませんので……」

 ルテアはその場から一歩下がり、あとから来た客に場所を譲ってしまった。先客を差し置いてあとから来た客を通すことは気が引けるが、ここでルテアを優先させたらそれこそまた彼女が何か言われることになる要因に繋がりかねない。ここは、ルテアが望むとおりにしよう。
 おれにとってイチョウ商会以外の人間は全て客に該当する。ルテアも例外ではないが、彼女と話しているときは少しだけ気が緩んでしまうのも事実だった。
 ルテアとのやり取りで一個人に戻りかけていた思考を、商人としてのそれに戻す。真摯に客に寄り添うような口調と、安心感を与える柔らかな表情を意識する。それが、商人としてのおれだった。

「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件で?」
「クスリソウとムシヨケソウを三本ずつ下さるかしら」
「かしこまりました」

 荷車から商品を取り出しながら、同時に検品作業を行う。商品に痛みはいないか? 異物がついていないか? 求められている商品に間違いはないか?
 全ての項目を通過した商品を、客の前で包装する。商品がバラつかないよう種類ごとに束にしてまとめ、袋に入れて、金銭と引き換えに手渡す。

「お待たせしました。どーぞ。またのお越しをお待ちしています」
「どうも〜」

 軽く帽子を持ち上げて、客を見送る。これで一連の接客は終わりだ。
 さあ、ようやくルテアの接客に戻ることができる。そう思って、ルテアに視線を向けたおれの思考は完全に止まってしまった。

「……ふふふっ」

 笑った、のだ。今まで『無』以外の表情を見せたことがなかった、あのルテアが。彼女の肩にいるリオルも驚いている様子なのだから、おれの見間違いではないだろう。
 目を三日月のように細め、転がる鈴のように澄んだ声で、頬を微かに薄紅色に染めて。ルテアが、笑っている。まるで人間に怯えていたポケモンが懐いてくれたような、そんな感覚を覚えてしまう。

「ルテア、さん」
「あ、ごめんなさい。接客の口調はとても丁寧で親しみやすいのに、表情が真顔だったから、おかしくて……ふふっ」
「……表情を作るのは苦手なんだ」
「ふふっ。商人として致命的ですよ?」
「ははは! 確かに!」

 思わず声を上げて笑ってしまった。商人としてではなく、ギンナンという人間としての素をイチョウ商会の人間以外に見せるのは、いつぶりだろうか。
 温かな感情がじんわりと胸の中に広がっていく。ルテアの言葉を借りるとしたら、おれは『嬉しい』のだろう。彼女がおれの前で笑ってくれるようになったという事実が、こんなにも。



2022.03.21


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