銀灰色のあわれみ


 その日もいつもと変わらない一日を送るはずだった。家中の掃除をして、集落の外できのみと薬草を採って、川に水を汲みに行って、畑の手入れをする。一連の仕事の最後で、事件は起こった。

「困りましたね……鎌が壊れてしまいました……」

 鎌を使って畑の草むしりをしているときに、リオルが使っていた鎌の柄の部分が折れてしまったのだ。なんとかして元に戻せないかと、折れてしまった断面を合わせてみたり、紐でぐるぐる巻きにしてみたけれど、上手くいかない。

「クゥゥン……」
「大丈夫ですよ、リオル。どうにかして直してみせますから、心配しないでください」

 わたしの焦りを感じ取ったのか、リオルは房を垂らして落ち込んでしまった。リオルは何も悪くない。一生懸命手伝いをしてくれていただけなのだから。それに、もともとこの鎌はとても古くていつ壊れてもおかしくない状態だった。
 ただ、そんな事情はお構いなしに、母さんはわたしたちを叱るだろう。我が家は貧乏ではないけれど特別に裕福ではない。壊れたから、失くしたからといって、安易に代用品を買い求めることはできないのだ。それに、母さんにとって『異物』でしかないわたしたちが壊したとなると、その怒りは何倍にも膨れ上がることだろう。

「とりあえず、人気のないところに移動しましょう。母さんに見付からないようにしないと……」

 幸いなことに畑の手入れはほぼ終わっている。やることを終えてしまってから姿をくらましても、母さんはきっと気にも留めないだろう。むしろ、視界をうろつく『異物』がいなくなって機嫌が良くなるかもしれない。
 わたしは壊れた鎌を隠すように抱えながら、リオルを連れて集落の外れへと向かった。
 集落の外れには小さな林がある。薬草やきのみがあるわけでもない、ただ木が並んでいるだけの林だ。何もないそこを訪れる人は滅多にいない。たまに、木材を調達するために斧を持った人が訪れるくらいだ。そこで、この鎌を修理する方法を考えようも思ったのだ。

「ここなら誰も……」
「ん?」
「!」

 まさか、こんなところに誰かがいるとは思わなかった。しかも、それが集落に住んでいる以外の人で、わたしが避けようとしている相手なんて思わなかった。

「どーも。ルテアさん、リオル」
「クゥ」
「……ギンナン、さん」

 ギンナンさんは木陰で本を読んでいた。イチョウ商会の制服ではなく、この辺りでは見ない無造作な装いだ。帽子をとっているせいか、いつもと印象が違って見える。落ち着いた輝きの銀灰色の髪がさらけ出されて、とても綺麗だと思ったのが素直な印象だった。
 わたしの視線に気付いたギンナンさんは、わたしが疑問を口にするよりも早く答えを紡ぐ。

「今日は仕事は休みなんですよ」
「そ、そうなのですね。お休み中のところを邪魔して申し訳ありません。すぐに場所を変えますので……」
「それ、どーしたんです?」

 ……本当に、商人とはみんなこうも目ざといものなのでしょうか。
 わたしは壊れた鎌を隠すように抱え直そうとしたけれど、すぐに「危ないですよ」と逆に手を取られる形になってしまった。観念したわたしは渋々と口を開く。

「……使っていたら壊れてしまっただけです」
「そうですか。でも、使っていたということは、新しいものがないと困るのでは?」
「それは……」
「ちょっと見せてください」
「あ、あの……」

 ギンナンさんはわたしの手を刃で傷付けないように、そっと壊れた鎌を取り上げた。二つに分かれてしまった刃と柄を交互に見比べる顔付きは、少しだけ商人のそれに戻っている。

「刃と柄の結合部分の木材が腐れて折れてしまったようですね。物の寿命、買い替え時とも言えますが」
「いえ……わたしが壊してしまったのです。金属は高価ですし、家のお金で買い換えるわけにもいきません」

 こんなことにお金を使う余裕なんてないし、そもそもお金を使うには母さんの許可がいる。このことが母さんに知られたら、どんな視線を向けられるか、どんな言葉を浴びせられるか、簡単に想像がついてしまう。母さんはいつだってわたしの粗を探して、何かとわたしを攻め立てようとするのだから。
 きっと、ギンナンさんは不思議に思っているだろう。いつも週に数回きのみを買うだけの余裕はあるのに、鎌一つ買い替えられないのかと。金銭の問題よりも、もっと別のところに問題があるのだと、鋭い彼はもしかしたら勘付いているかもしれないけれど。
 わたしは口を閉ざして必死に言い訳を探した。いっそのこと放っといてくれたら気が楽になるのだけど。

「よかったら、わたしが直しましょうか?」
「え?」

 思考を巡らせている最中に、ギンナンさんの口から飛び出したのはわたしが予想していなかった言葉だった。驚いたわたしが言葉を返せず固まってしまっていると、ギンナンさんはわたしの沈黙を『承知』として捉えて話を続ける。

「こう見えて器用なんですよ。そうと決まれば、木材を探しに行きましょう。確か、ここに来る前に地面に斧が突き刺さっていたのを見た覚えがあります。ちょっとだけ使わせてもらいましょう」
「そ、そんな。お休み中のあなたにご迷惑をかけられません」
「迷惑なんて思ってませんよ。むしろ、物を修理したり作り変えることが好きなので、わくわくしています」
「そ、それよりも、わたしと一緒にいるところを見られたら……」

 そうだ。ギンナンさんの貴重な時間を使わせてしまうということ以前に、わたしと一緒にいるところを集落の人に見られたら、ギンナンさんまでわたしと同様に冷たい視線を向けられることになるかもしれない。それが商売に影響しないとは限らない。
 だから、ダメ。ダメなのに、ギンナンさんはお構いなしに林の中へと進んでいくから、慌ててその背中を追いかけた。
 ギンナンさんはある木の前で立ち止まると、木の幹や枝を触って質を確かめたあとに、誰かが置いていった斧を使って太い枝を切り落とした。わたしでは鎌で草を刈ることがやっとなのに、重い斧を振り上げて太い枝をいとも簡単に落としてしまう姿を見て、大人の男の人なんだということを改めて実感してしまった。
 ギンナンさんは落ちた枝を拾い上げると、それをわたしに見せた。

「これなんか良さそうですね。どー思います?」
「……そうですね。しっかりしていますし、この木は腐れにくい性質だったと思います」
「なるほど。やはり、ルテアさんは博識ですね」
「いえ……この集落ではみんな自給自足の生活をしていますので、自然と身についただけです」

 頼ってしまってはいけないと、わかっているのに。わたしの足はギンナンさんの後を追ってしまう。
 ギンナンさんはイチョウ商会の荷車までわたしを連れてきた。ギンナンさんは仕事が休みだと言ったけど、該当するのは彼だけみたいだ。商売自体が休みというわけではなく、いつもギンナンさんが座って店番をしているところには代わりにコウヨウさんが座っていた。

「リーダー」
「おや、ギンナン。きみが休日出勤とは珍しいね」
「ははは、まさか。クラフト台を借りたいのですが」
「ああ。好きに使っていいよ」
「どーも」

 ギンナンさんは荷車の裏手に回った。そこには簡易的なクラフト台が用意されていて、モンスターボールやこけしといった雑貨を作った形跡があった。クラフト台の前に腰を落として胡座をかくギンナンさんの表情は、どこか高揚しているようにも見える。修理や作り変えることが好きだと言っていたけれど、わたしが気を遣わないようにそう言ったわけではなくて、彼の本心なのかもしれない。

「さて、始めますか。危ないから手を出さないようにしてくださいね」
「は、はい」

 壊れた鎌と、用意した木材。ギンナンさんはまず木材を手に取って、鑢や鉋を使って形を整えた。次に、折れてしまった柄から刃だけを完全に取り外し、錆を取ったついでに刃先を石で研ぐ。そして、道具箱の中から金具を取り出すと、木材から作った柄と新品のように綺麗になった刃を固定し始めた。

「すごい……」

 その一連の動作には迷いがなく、感嘆の息が漏れてしまうほど美しい手さばきで、わたしはギンナンさんの手元に見入ってしまった。
 経過した時間は短くない。太陽は傾き空は茜色に染まり始めている。でも、ギンナンさんの作業を見ている時間はわたしにとってあっという間に過ぎてしまった。

「できました。既製品とまではいきませんが、鎌として使うには十分でしょう」
「はい。すごいです。本当に元通りになるなんて思いませんでした……」

 本当に、修理してしまった。信用していなかったわけではないけれど、元通りに、いや新品同様の姿になった鎌を見て、感動と感謝の気持が湧き上がってきた。
 わたしは鎌を受け取ると、深く頭を下げた。

「ありがとうございます、ギンナンさん。恩に着ます」
「クゥン!」
「ははは、大袈裟ですよ。でも、あなたに少しでも恩を返せたならよかった。……そーだ。ちょっと待っててくださいね」

 ギンナンさんは荷車の中に引っ込んだかと思うと、すぐに出てきてあるものをわたしに差し出した。それはイチョウ商会の制服にも使われている、山吹色の布生地だった。

「布、ですか?」
「切れ端で申し訳ない。でも、ルテアさんの裁縫の腕なら、刃物部分を保護する覆いを作れるでしょう。刃物は危険ですから、ルテアさんが怪我をしないように」

 わたしは差し出された布生地と、ギンナンさんの顔を交互に見比べた。
 刃物を使った仕事で怪我しないように、という優しさ。そして、既製品ではなく布切れを渡すことでわたしが気負わなくてもいいように、という気遣いの気持ちが伝わってくる。

「ありがとう……っ、ございます……」

 わたしは布生地を受け取ると、感謝の言葉を絞り出すことしかできなかった。ギンナンさんの親切心が、返礼や同情から来るものであったとしても、わたしにとってはそれが陽だまりのようにあたたかくて、尊かった。



2022.03.13


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