レイニーダンス

 私は、雨が好き。雨は私の名前であり、それは私の大切な人が初めて私にくれたものだから。誰かから名前を呼ばれるたびに、空から落ちてくる雫を見るたびに、私は私自身と雨をもっと好きになれる。
 それに、雨の日には何か特別なことが起こる予感がするのだ。例えば、新しいことの始まり。例えば、大切な人との出会い。例えば、身を引き裂くような決別。
 悲しい思い出も、辛い思い出も、雨粒一つ一つに込められている。私の記憶は、雨と共にある。
 だから、だろう。雨の日は室内で静かに過ごすことも好きだけれど、お気に入りの傘を差して雨音を聞きながら、雨の中を歩くことのほうが好きなのだ。

「レイン」

 どうしてだろう。小雨が降る傘の下、私の名前を呼んでくれる声がいつもよりずっと優しく聞こえる。

「濡れてないか?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう。デンジ君のほうは大丈夫?」
「ああ。この傘、結構広いし」

 広い傘の下で身を寄せ合って雨の中を歩く。肩に触れている体温が心地良い。

「無理を言ってごめんね。お散歩は雨が止んでからでも行けたのに」
「いいよ。レインは雨が好きだから。それに、こうしてのんびり話しながら歩くのもたまにはいいだろ。このくらいの雨なら別に……」

 デンジ君が言い掛けたとき「ボツッ」と大きな水滴が傘に落ちる音がした。数ある雨粒の中の一粒だったそれは、二粒、三粒と増えていき、音を奏でるスピードが速くなっていく。

「うっわ。少し強くなってきたな。どこかで雨宿りするか」
「そうね……ねぇ、あそこの木の下はどうかしら。あの大きさなら濡れなそう」
「よし。走るぞ」

 傘を閉じてしまって、少しくらい濡れるのも悪くない。手を引かれて、お気に入りのレインブーツで小走りに駆けると、なんだか雨の中で踊っているみたいだ。
 大木の葉の下に駆け込んだ瞬間、滝のような雨が空から一気に降ってきた。あと一歩遅かったら、髪がしっとり湿る程度では済まなかったに違いない。

「セーフ、だな」
「ええ。はぁ、久しぶりに走っちゃった!」
「オレも。運動しないとまずいな」
「ふふっ。そうね……あら」
「どうした?」
「先客がいたみたい」

 私たちが駆け込んだ大木の根本では、すでに一匹のポケモンが雨を凌いでいた。
 丸っこい紫色の体は、見たところヌメヌメした粘膜で覆われているように見える。体の左右には、人間でいう頬のように緑色の丸い模様がある。小さくてつぶらな目は人間の指先ほどの大きさだ。頭には四本の触手のようなものが生えている。
 シンオウではもちろん、今まで行ったことのある他の地方でも見たことがないポケモンとの出会いに、私もデンジ君も胸の高鳴りをおさえられずにいた。

「こんにちは。あなたのお名前は?」
(ヌメラ)
「私はレイン。彼はデンジ君よ。ヌメラ、一緒に雨宿りしてもいいかしら?」
(うん)

 ヌメラの許可を得たところで、驚かさないようにそっと両隣に腰を下ろす。ヌメラは物珍しそうに私とデンジ君を交互に見上げた。

(すごいなぁ。人間とお話しするのは初めてだよぉ。嬉しいなぁ)
「私も、あなたとお話できてとっても嬉しいわ」
「レイン、このヌメラってポケモン、何タイプだ?」
(ドラゴンなのぉ!)
「ドラゴンタイプですって」
「ドラゴン? へぇ……見えないな。小さいし、プルプルしているし、プリンみたいだ」

 ツン、とデンジ君が人差し指でヌメラの頬をつつくと、例えの通りプルンとした弾力をもってヌメラの体が揺れた。「……楽しい」と呟いたデンジ君は、さらにヌメラの体をつついて揺らす。
 人間の子供の中には、好きな子にはちょっかいを出してしまうという子がいるけれど、今のデンジ君はそんな風に見えて少し可愛い。
 (きゃー! ツンツンやめてよぉ)と言いながら、ヌメラは大木の根元に近いところにある窪みの中に逃げ込んでしまった。デンジ君が「悪い」と笑いながらその中を覗き込むと、また少しだけ顔を出してくれた。

「そこ、おまえの家か?」
(そうなのぉ。ジメジメしていて居心地いいよぉ)
「デンジ君、そうみたいよ」
「へぇ」
「素敵なおうちを持っているのね」
(うん。この辺は雨だってよく降るから、大好きなんだぁ)
「あなたも雨が好きなのね。私も大好きなの」
「レイン。雨が弱まってきた」

 大木の根本を離れて、葉の屋根の下から空を見上げる。雨は小降りになってきているし、雨雲は散り散りになり雲間からは光が射し込んでいるところがある。

「さっきの雨は通り雨だったみたいね。このくらいなら進めるわね。もうすぐ止みそうなのが少し残念だけれど」
「レインは本当に雨が好きだよな」
「ええ。大好き。だって、デンジ君が初めて私にくれたものと同じだもの」
「……そっか」

 でもやっぱり一番好きなのは、こうやって照れくさそうに笑いながら頭を撫でてくれるデンジ君だよ。

「ヌメラ。私たちはそろそろ行くわね」
「じゃあな」
(……)

 大木の窪みの中から顔を出しているヌメラに手を振って、再び小雨の中を歩き出す。
 しばらく歩いていると、背後から落ち葉が擦れる音や水溜まりを踏む水音が聞こえてくることに気が付いた。不思議に思って振り向くと、先ほどのヌメラがそこにいた。
 デンジ君の服の裾を引いて止まるように促す。ヌメラがついて来ていることに気付いたデンジ君は、笑いながら私に空のモンスターボールを差し出した。

「ヌメラ。私たちが行くところは雨ばかり降っているようなところではないけれど、よかったら一緒に行かない?」
(うん!)

 新しい出会いをまた一つ運んでくれた雨を、私はますます大好きになるのだ。



2013.11.28



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