恋雨のしずく


 デパートの中に入ると、煌びやかな世界が目の前に広がった。様々なブランドの新色が並ぶコスメカウンターの間を歩いていると、理由もなく気分が弾んでくる。反対に、デンジ君は少しだけしかめっ面だけれど。

「すごい匂いだな……」
「付き合わせちゃってごめんなさい。ボディークリームが少なくなってきたから買っておきたくて」
「いいよ。レインがいつも風呂上りに塗ってるあれだろ? ほんのり甘い香りでいいよな。美味そうな香りだって思ってたんだ」
「わ、私は食べられないわよ? ……あ」

 通りかかったのは香水を売っているお店だ。女心をくすぐるデザインのボトルに惹かれて、足を止めて香水の一つを手に取ってみる。ボトルの上部はクリスタルを花束にしたようなデザインで、ボトル本体はライトブルーからイエローへとグラデーションカラーで彩られている。手首の内側に少しだけ吹きかけてみると、野花を集めたような透明感のある柔らかい香りが広がった。
 デンジ君が顔を近づけてきたので、手首を差し出す。「悪くない」という表情だ。

「香水って香りが強いものばかりのイメージがあったけど、このくらいなら悪くないな。匂いはきつすぎないし、レインにもあってる」
「本当? 私もデンジ君と同じイメージを持っていたけど、香水にもいろいろあるのね。あ、自分好みの香りをオーダーメイドすることもできるんですって」
「へえ。……オレがレインに選ぶなら、トップノートは雨が降る前の海ような爽やかな香り。ミドルノートは静かに降る雨の中に咲く花のような優しい香り。ラストノートは雨上がりの空に輝く光のようなあたたかい香りになるものにするかな」
「わあ、すごい! そんな風にスラスラと出てくるなんて、デンジ君って香水に詳しいの?」
「まさか。レインのことを考えたら、こんな香りが良いんじゃないかって浮かんだだけだ」
「ふふふ、そうなのね。ありがとう。雨、海、花、光……うん。そんな、爽やかでフローラルな香りならつけてみたいわ」

 ポケモンたちの中には苦手な子もいるからあまり考えたことはなかったけれど、香りを想像してみるだけですごく楽しい。体に直接つけるのではなく、服に香りを移す楽しみかたもあるみたいだから、いつか自分の香水を買ってみてもいいかもしれない。香水をつけるって、それだけですごく女性らしくなれる気がするから、デンジ君にもっと好きになってもらえたら嬉しい、な。

「なあ、レイン。もう一回、手首を貸してくれるか?」
「ええ。どうぞ」

 デンジ君はこの香りを気に入ったのかしら。私の手首をとって鼻に近付けて、なにやら考え込んでいる。
 その様子をじっと見守っていると、デンジ君の視線が私に向けられた。同時に、手首に柔らかい感触が触れる。
 手首なんて、誰も触れないような場所にいきなりキスするなんて、ずるい。
 思わず手を引っ込めてしまうと、デンジ君は声をあげて笑った。

「ははは! いい反応」
「い、イジワル……!」
「ははは、悪い悪い。さ、ボディークリームを買うんだったっけ? 行くか」

 真っ赤になってしまった私の手に指を絡めて、デンジ君は微笑んだ。それだけで、どんなイタズラでも可愛いもののように思えてしまうのだから、私も私なのだけれど。

 そして、数週間後。雨のしずくのようなボトルをプレゼントされたとき、私はデンジ君のこの行動がイタズラではなかったことを思い知るのだった。



2022.10.01



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