28cmの愛しい距離


 デンジ君は、背が高い。

 つい先月行われた健康診断では身長が186cmあったと、デンジ君は何気なく呟いていたけれど、私にとってそれは未知の世界だった。デンジ君の視線から見える景色は、きっと158cmの私から見えるそれよりもずっと広いのだろうなということは想像がつく。
 デンジ君ほど背が高いと人混みに埋もれても頭一つ分飛び出てしまうから、はぐれてしまってもすぐに見つけることができる。自販機でサイコソーダを買おうとしたデンジ君の身長が、自動販売機よりも高いことに気付いたときは衝撃だったけれど。他にも、高いところに手が届きやすかったり、どんな服装もお洒落に着こなしたりと、背が高いと得することが多そうで少し羨ましい。
 でも、背が高いのはいいことばかりではないみたい。ドアを通るときはやや頭を屈めないといけないとか、乗り物に乗ると足元が窮屈だとか、背が低い人の声が聞き取りにくいとか、試着したスラックスの裾の長さが足りないときがあるとか。背が高いと不便なところもあるのだと、デンジ君が零していたことを思い出した。

 恋人や夫婦の身長差にはなにかと理想的なものがあるのだと、雑誌で読んだことがある。
 10cm差だと手を繋いだり抱き合ったり、キスをしたりといったスキンシップがしやすいらしい。15cm差になると、女性がヒールを履いても男性の身長を追い越しにくく、客観的に見てバランスがいいらしい。さらに20cm差にもなると、男性はより男らしく、女性はより女らしく見えてときめくことが多いという。
 私とデンジ君の身長差は、単純計算で28cm。私が高めのヒールを履くときその差は少し縮まるけど、それは本当に微々たるもので、28cmも身長差があるといろいろと面白い出来ことが起こるのだ。
 例えば、こうして並んで一緒に歩くと手を繋ぐのも少し不格好だ。でもその代わり、デンジ君が私の歩幅に合わせて自然と歩いてくれる。
 例えば、キスをするときの主導権は全てデンジ君にあり、私が背伸びをしてもデンジ君が屈まないと縮まらない距離がある。その代わり、ソファーに座っているデンジ君に不意打ちでキスをすると、照れつつも嬉しそうに笑ってくれる姿が見られる。
 例えば、眠るとき私は完全にデンジ君の抱き枕になってしまう。デンジ君の身長に合わせた大きなベッドを用意しても、二人でベッドの真ん中でくっつきあって、デンジ君のぬくもりにすっぽりと包み込まれることができるのだ。

「ほら、リオル。高い高いするぞ〜!」

 今日のデートの始まりは、ヨスガシティのふれあい広場。自然の中で思い切り遊んで、トレーナーもポケモンもリフレッシュすることが目的でやって来た。デンジ君が私のポケモンたちとじゃれあっている姿を眺めながら、私はデンジ君のポケモンたちと木陰でお喋りを楽しむ。
 私とデンジ君は、お互いのポケモンとも仲良しだ。トレーナー同士が恋人や夫婦だと嫉妬するポケモンもいるらしいけれど、私とデンジ君のポケモンはみんな私たちの関係を喜んでくれている。
 私とデンジくんが夫婦になったことで、自分たちに構う時間が減ったのが少しだけ寂しいと、デンジ君のライチュウが零したことはあるけれど。だから、寂しい思いをさせないためにも、こうしてポケモンたちとの時間も積極的に作るようにしているのだ。

(羨ましい?)

 私に問いかけてきたのは、デンジ君のサンダースだった。サンダースは私の隣に腰を下ろすと、身を委ねるように肩に顎をのせてきた。普段はクールなサンダースが甘えた姿はとても貴重で、デンジ君以外にもこんな姿を見せてくれることに嬉しくなる。
 頭を優しく撫でてやる。サンダースという種族は神経質で繊細という特徴があり、バトルのときや緊張しているときはその体毛を針のように尖らせ、トレーナー以外には懐きにくいという。デンジ君のサンダースも例に漏れない。でも、私の前ではこんなにリラックスした姿を見せてくれることの意味を考えると、嬉しさと愛しさがこみあげてくる。

「リオルのこと? ふふ、少しだけね。デンジ君に抱っこしてもらえるのは体が小さい特権……」
「なんだ。レインもして欲しかったのか?」

 声が聞こえた瞬間。柔らかい浮遊感が私を包んだ。膝の裏と肩に差し込まれたデンジ君の腕は、いとも簡単に私をデンジ君の目線の高さへとさらってしまった。
 頬が一気に熱くなる。羞恥心が津波のように押し寄せてきて、私はデンジ君の首筋に腕を回してしがみついた。顔を隠したところで、お姫様抱っこされている現状は変わらないのに。

「で、デンジ君……!」
「そんなに恥ずかしがらなくても、オレたち以外に誰もいないぞ?」
「そ、そうだけど……!」
「ほら、オレと同じ景色だ」

 とても優しい声色に手を引かれるように、恐る恐る顔を上げる。すると、いつもよりも28cm高いところから見える景色がそこに広がっていた。シャワーズたちが遠くで追いかけっこをしている様子までよく見える。
 それに、どうしてだろう。世界がすごく華やいで、色づいて見えるのは、デンジ君と視界を共有しているからかもしれない。

「デンジ君と同じ景色……デンジ君はいつもこういう風に世界が見えているのね」
「ああ。こうも身長差があるとだいぶ変わってくるだろ?」
「ええ」

 デンジ君は遠くを見ながら笑っていたけれど、私は近くにあるデンジ君の横顔から目をそらせなかった。いつもは見上げなければ合わせることができない視線が、今はすぐそこにある。愛おしさと、小さないたずら心が湧いてくる。
 ここは外だけれど、お姫様抱っこをされているのだから今さらだ。私は唇をデンジ君の頬に寄せて、二人の距離をゼロにする。

「! レイン」
「ふふふ。普段は私からはできないから」
「……やられたな」

 そしてデンジ君は「やられてばかりじゃ性に合わない」と言わんばかりに、私の唇へと触れるだけのキスを落としたのだった。



2022.06.15



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